1964年

ライシャワー米大使が日本人少年に刺され負傷。輸血された血液から肝炎に感染し、売血が問題化する。

1964年3月24日、ライシャワー駐日米大使が襲撃され負傷し、輸血を通じて肝炎感染が発覚しました。
1964年3月24日、当時駐日米大使のダグラス・マッカーサー二世(ライシャワー)が東京都内で14歳の日本人少年に刺され負傷しました。 大使は救急搬送され、輸血を受けた後に肝炎ウイルスに感染していることが明らかになりました。 この出来事は売血による血液提供の安全性に疑問を投げかけ、売血制度の実態が社会問題に発展しました。 厚生省は売血業者の取り締まりを強化し、後の血液製剤の安全基準確立へとつながりました。 政治的緊張だけでなく、公衆衛生政策に大きな影響を与えた事件です。
1964年 ライシャワー 売血
1975年

集団就職列車の運行が終了。

戦後の農村から都市への若年労働力輸送を担った集団就職列車の運行が終了しました。
1950年代から全国で運行されていた集団就職列車は、地方の中学生や高校生を都市部の工場や企業に一括して輸送する制度でした。団塊世代の大量就職需要を支えた社会インフラの一つでした。1975年3月24日に最後の運行が行われ、以後は都市間交通や雇用形態の変化で自然消滅しました。列車は専用ダイヤで運行され、多くの若者が初めての上京体験として記憶しています。鉄道会社や自治体、企業が連携して実施した大規模プロジェクトの終焉を示す出来事でした。
集団就職列車