明治2年2月12日
江戸幕府の貨幣鋳造所だった金座・銀座が廃止される。
江戸幕府の金座・銀座が廃止され、貨幣制度の改革が進みました。
明治2年2月12日(1869年3月24日)に江戸幕府の金座・銀座が廃止されました。
明治政府は新貨条例を制定し、金本位制導入に向けて貨幣鋳造の一元化を推進。
これにより従来の幕府時代の貨幣制度が廃止され、近代的な通貨制度が確立。
国内の商取引が統一された貨幣で行われるようになり、経済の近代化が加速しました。
1869年
明治2年
2月12日
江戸幕府
金座
銀座
1891年
日本で度量衡法公布。(施行1893年1月1日)
日本で度量衡法が公布され、近代的な計量制度が導入されました。
1891年3月24日(明治24年)、度量衡法が公布され、1893年1月1日に施行されました。
長さ・重さ・容量の単位が統一され、メートル法の採用や国内計量基準の整備が進展。
これにより商取引や工業生産で共通の単位が使用され、産業発展を後押ししました。
国際的にもメートル法に準拠した制度となり、日本の近代化に大きく貢献しました。
1891年
度量衡法
1928年
上野公園で御大礼記念国産振興博覧会が始まる。
1928年3月24日、上野公園で御大礼記念国産振興博覧会が開幕し、国内産業と文化が一堂に展示されました。
1928年3月24日、上野公園を会場に御大礼記念国産振興博覧会が始まりました。
この博覧会は大正天皇の大礼を記念し、日本国内の工芸品や産業技術を紹介する目的で開催されました。
会場には多数の企業や職人が出展し、最新の機械や伝統工芸品が紹介されました。
来場者数は数十万人に上り、国内産業の振興と文化交流の場として大きな成果をあげました。
このイベントは後の産業博覧会開催の先駆けともなりました。
1928年
上野公園
1953年
国際電信電話株式会社(KDD、現在のKDDI)設立。
1953年3月24日、国際電信電話株式会社(KDD)が設立され、日本の国際通信網が整備され始めました。
1953年3月24日、郵政省と日本電信電話公社などの出資により国際電信電話株式会社(KDD)が設立されました。
KDDは国際電話や電信のサービスを一元的に提供し、日本の海外通信を支える基盤となりました。
同社は衛星通信や海底ケーブルの敷設など先進的な技術を導入し、アジアの通信ハブとして発展しました。
その後、企業再編を経てKDDIとして現在まで続く日本有数の通信事業者となりました。
設立日は日本の通信史における重要なマイルストーンです。
1953年
国際電信電話
KDDI
1975年
合成洗剤事業の出遅れや第一次オイルショックによる資源節減等の影響で、大手老舗メーカー・ミツワ石鹸が倒産。同社の生産設備および商標は旧日本サンホームとの関係からP&Gサンホームが買収。
第一次オイルショックなどの影響で老舗メーカー・ミツワ石鹸が倒産し、P&Gサンホームが一部資産を買収しました。
1975年3月24日、合成洗剤事業で出遅れた大手石鹸メーカーのミツワ石鹸が倒産しました。背景には1973年の第一次オイルショックによる原材料高騰や省資源政策による需要変化がありました。同社は伝統的な石鹸製造に強みを持っていましたが、合成洗剤市場でシェアを拡大できませんでした。倒産後、同社の生産設備と商標権は旧日本サンホームとの関係からP&Gサンホームが引き継ぎました。これにより、P&Gサンホームは国内市場でのプレゼンスをさらに強化しました。ミツワ石鹸の倒産は日本の石鹸業界再編の象徴的事件となりました。
1975年
第一次オイルショック
ミツワ石鹸
P&Gサンホーム
2025年
読売株価指数の算出開始。
読売新聞社が独自に算出する『読売株価指数』の提供を開始した。
新たな株価指数として、読売新聞社が主要銘柄を選定し指数化を実施。
指数の算出方法や構成銘柄は毎年見直され、時価総額加重平均で計算。
市場動向を多角的に把握する指標として、投資家や金融機関の関心を集めています。
初回の構成銘柄は国内外の主要企業から選ばれ、幅広い業種をカバー。
今後は公式ウェブサイトや新聞紙面で指数値を日々公表し、市場分析に活用されます。
読売株価指数