1951年
解散寸前のプロ野球団広島カープが広島県・中国新聞などの再建策提出で存続を決定。
存続危機にあった広島カープが地元の支援で存続を決定した日です。
1951年3月23日、財政難で解散寸前だったプロ野球チーム・広島カープが広島県と中国新聞社の支援案を受け入れ、存続を決定しました。
広島市民の復興と地域活性化を目指す象徴的な取り組みとして、初の公的支援による球団存続事例となりました。
その後、地元企業やファンの協力を得て赤を基調としたユニフォームが定着し、「市民球団」の原型が誕生しました。
広島カープの復活は戦後の広島復興に大きな希望を与え、ファン文化の醸成につながりました。
現在も広島の誇りとして愛され続ける背景には、この日の決断が深く刻まれています。
1951年
広島カープ
広島県
中国新聞