1806年

ルイス・クラーク探検隊が、セント・ルイスへ帰還するため、フォート・クラットソップを出発。

1806年、ルイス・クラーク探検隊が帰還のためフォート・クラットソップを出発しました。
ルイス・クラーク探検隊は1804年にミズーリ川を下り太平洋岸を目指したアメリカ最初の大陸横断探検です。フォート・クラットソップは太平洋沿岸で越冬用の拠点として築かれました。1806年3月23日、雪解けを待ちつつ装備を整え、隊員たちは帰路につきました。帰還ルートでは交易路の開拓や先住民との交流が行われました。彼らの報告は西部開拓の基盤となり、合衆国の西方拡大を後押ししました。
1806年 ルイス・クラーク探検隊 セント・ルイス
1914年

アメリカ海軍の戦艦オクラホマが進水。

1914年、アメリカ海軍の戦艦オクラホマが進水し、太平洋艦隊の新戦力となりました。
オクラホマ(BB-37)はノースカロライナ級戦艦の2番艦として建造されました。進水式は1914年3月23日にサウスカロライナ州チェールストンで行われました。船体は最新鋭の装甲と大口径砲を備え、海上戦力強化の象徴とされました。進水後は太平洋艦隊に配属され、第一次世界大戦中は訓練や演習に参加しました。その後も長年にわたり艦隊の中核を担いました。
1914年 オクラホマ
1950年

世界気象機関設立。

世界気象機関(WMO)が設立され、国際的な気象協力の枠組みが始まった日です。
1950年3月23日、国際連合の専門機関として世界気象機関(WMO)が発足しました。 WMOは加盟国間で気象観測データの共有や標準化を進め、気象予報の精度向上を目指しています。 設立により、気象災害の早期警戒体制や気候変動研究の国際的連携が強化されました。 本部はスイス・ジュネーブに置かれ、世界中の気象局との協力ネットワークを構築しています。 気象情報の統一基準が確立されたことで、航空・海洋・農業など多分野での活用が促進されました。
1950年 世界気象機関
1965年

アメリカが、宇宙飛行士ヴァージル・ガス・グリッソムとジョン・ヤングの2名が搭乗する世界初の有人地球周回宇宙船「ジェミニ3号」を打上げ。

1965年3月23日、米国がジェミニ3号を打ち上げ、世界初の有人地球周回飛行を成功させました。
ジェミニ3号はアメリカの有人宇宙船計画で初の宇宙船同乗者2名による飛行を実現した。搭乗したヴァージル・ガス・グリッソムとジョン・ヤングはオービターに愛称『モリー・ブラウン』と名付けられた船体で地球を3周回した。飛行時間は約5時間15分で、生命維持装置や航法システムの性能検証を目的とした。これにより後続のアポロ計画への技術的基盤が強化され、二人乗り船体の運用ノウハウが蓄積された。ジェミニ計画はNASAの技術的自信を高めるとともに、有人月面着陸への重要なステップとなった。
1965年 ヴァージル・ガス・グリッソム ジョン・ヤング ジェミニ3号
1989年

アメリカ・ユタ大学の2教授が常温核融合に成功したと発表。その後真偽を巡る論争に発展。

1989年3月23日、ユタ大学の2教授が常温核融合成功を発表し、科学界に大きな論争を巻き起こしました。
1989年3月23日、アメリカのユタ大学に所属するマーティン・フライシュマン教授とスタンリー・ポンズ教授が常温核融合実験の成功を発表した。彼らは電気分解装置に重水素を用い、通常では考えにくい反応生成物を検出したと主張した。発表はメディアを通じて世界中に伝わり、一時は「夢のエネルギー」と称賛された。しかし他大学や研究機関での再現実験に失敗が相次ぎ、科学的検証を巡る論争が激化した。最終的に多くの研究者から疑問視され、常温核融合熱は未解決の課題として残った。
1989年 アメリカ ユタ大学 常温核融合
2001年

旧ソビエト連邦の宇宙ステーション「ミール」が南太平洋上の大気圏で廃棄処分される。

旧ソ連の宇宙ステーション「ミール」が大気圏再突入により廃棄処分された日です。
2001年3月23日、旧ソビエト連邦が建造した宇宙ステーション「ミール」が南太平洋上空で大気圏再突入し、廃棄処分されました。 ミールは1986年に打ち上げられ、長期にわたる国際宇宙協力や実験プラットフォームとして活躍しました。 冷戦後もロシアとアメリカなどが協力し、宇宙技術の発展に貢献しました。 その解体は新世代宇宙ステーション計画への移行を意味し、国際宇宙ステーション(ISS)への注力が進みました。 ミールの成功と教訓は、後の宇宙開発計画に多大な影響を与えました。
2001年 ソビエト連邦 宇宙ステーション ミール