元暦2年/寿永4年2月19日
治承・寿永の乱: 屋島の戦いがおこなわれ源氏方が勝利。
治承・寿永の乱中の屋島の戦いで源氏勢力が平氏軍を撃破しました。
屋島の戦いは元暦2年(1185年)2月、日本の四国沖で行われた海戦です。源義経率いる源氏軍が流れ矢で平氏の大将・平知盛を追撃しました。平氏方は水軍として優れた技術を誇りましたが、奇襲に遭い敗北を喫しました。この勝利により源氏は勢いを増し、壇ノ浦の戦いへと繋がりました。屋島の戦いは日本中世の武家社会を決定づける重要な転機となりました。
1185年
元暦
寿永
2月19日
治承・寿永の乱
屋島の戦い
1919年
シベリア出兵: イワノフカ事件おこる。
シベリア出兵中、日本軍とロシア系勢力の間でイワノフカ事件と呼ばれる衝突が発生。
1919年3月22日、シベリア出兵中の日本軍がイワノフカ地区でロシア現地勢力と衝突しました。ロシア内戦期における複雑な勢力図の中で、日本軍は混乱を鎮圧しつつ撤退準備を進めていました。イワノフカ事件は武力行使を伴う数少ない事例の一つとされ、戦後にも日露関係の論争材料となりました。詳細な戦闘規模や死傷者数は記録が不十分であり、研究者の間でも評価が分かれています。
1919年
シベリア出兵
イワノフカ事件
1939年
第二次世界大戦: ドイツの要求によりリトアニアがメーメルを割譲。
ヒトラー政権の圧力により、リトアニアが戦略的拠点メーメルをドイツに割譲した外交的屈服。
1939年3月22日、ナチス・ドイツはリトアニア政府に対しメーメル(現在のクライペダ)地域の割譲を要求し、リトアニアはこれを受け入れました。第一次世界大戦後のヴェルサイユ体制で国際連盟の保護領となっていたメーメル地区は、ドイツにとって戦略的に重要な港湾都市でした。この割譲によりヒトラーは東方進出の足掛かりを固め、第二次世界大戦開戦前の勢力拡大を加速させました。リトアニア側には軍事的抵抗の余地なく、後のバルト三国侵攻への前兆ともなりました。
1939年
第二次世界大戦
ドイツ
リトアニア
メーメル
1942年
第二次世界大戦: 第2次シルテ湾海戦。
地中海で補給船団を護衛中の英軍艦隊がイタリア艦隊と交戦した、シルテ湾での海戦。
1942年3月22日、第二次世界大戦中の地中海においてイギリス海軍とイタリア王立海軍が第2次シルテ湾海戦で衝突しました。イギリス艦隊はマルタ島への補給を目指すコンボイを護衛中で、イタリア艦隊はこれを阻止すべく奇襲を行いました。戦闘は駆逐艦同士の砲撃戦と魚雷攻撃を中心に展開され、双方に被害が発生しましたが、決定的な勝敗はつきませんでした。この海戦は地中海補給線の重要性を浮き彫りにし、両海軍の戦術にも影響を与えました。
1942年
第2次シルテ湾海戦
2016年
2016年ブリュッセル爆発が発生。
2016年3月22日、ベルギー・ブリュッセルで国際テロ組織による連続爆発事件が発生しました。
多くの死傷者を出し、欧州全域で衝撃が広がりました。
マールベーク駅とブリュッセル空港で同時多発爆発が起こり、ISIS関連のテロ組織が犯行声明を発表しました。
爆破により約32人が死亡し、300人以上が負傷し、死傷者は国際的にも多くの注目を集めました。
市内の公共交通網が一時的に停止し、空港は閉鎖、復旧には数日を要しました。
ブリュッセルはEUの主要都市であったことから、各国政府が相次いでテロを非難し、厳格な警戒態勢を敷きました。
この事件は欧州全体のテロ対策の見直しや情報共有の強化を促す契機となりました。
現在も市内には犠牲者を悼むモニュメントが設置されています。
2016年
2016年ブリュッセル爆発
2017年
ロンドンのウェストミンスター橋で、車が歩行者を次々とはね、英国会議事堂付近の敷地内で警官が襲われる2017年ロンドンテロ事件が発生。4人が死亡し、約40人が負傷した。
2017年3月22日、ロンドンのウェストミンスター橋で車両突入と襲撃事件が発生し、4人が死亡、約40人が負傷しました。
警察は迅速に犯人を制圧しました。
加害者は白い乗用車で橋上の歩行者を次々とはね、その後議事堂敷地内で警官に刃物で襲いかかりました。
警察官に射殺され、事件は約82秒で終結しました。
襲撃はISISとの関連が指摘され、テロ事件と断定されました。
死者には一般市民や警察官が含まれ、負傷者も幅広い年齢層に及びました。
事件後、ロンドン交通局や首都警察は警備を強化し、議会敷地周辺の警備態勢を一段と厳重にしました。
この事件は英国テロ法制の見直しや警察権限拡大の議論を呼び起こしました。
2017年
ロンドン
2017年ロンドンテロ事件