建暦2年2月18日

後堀河天皇

(1212 - 1234)

第86代天皇

第86代天皇
鎌倉時代の第86代天皇。幼少で即位し、師教親王が執務の実権を握った。
1212年に山城国で生まれる。承久の乱の後、後鳥羽上皇の第二皇子として擁立され、1221年3月に即位。 実際の政治は摂政や院庁が担い、後堀河天皇は幼少時は象徴的存在だった。 その治世中、鎌倉幕府は朝廷の実権を一層強化し、院政の機構整備が進められた。 1232年に退位し、後深草天皇が即位。権威は保たれたが、死去の1234年まで隠居生活を送った。 討幕運動や政治改革には直接関与しなかったが、鎌倉時代の朝廷の在り方を象徴する存在。
1212年 建暦 2月18日 後堀河天皇 天皇 1234年
1394年

ウルグ・ベク

(1394 - 1449)

ティムール朝の第4代君主

ティムール朝の第4代君主
ティムール朝の君主であり、天文学者としても知られる学者君主。
1394年にサマルカンドで生まれる。ティムール大帝の孫として育ち、若くして軍事や行政を学んだ。 1411年に第4代君主に就任し、平和的統治を行うと同時に学問を奨励。 特に天文観測所「ウルグ・ベク天文台」を設立し、星表『ウルグ・ベク星表』を編纂。 これにより当時最高精度の天文データを後世に残した。 数学や天文学の研究を通じてイスラム科学の発展に大きく貢献。 1449年に政変で失脚し、同年暗殺されたが、その業績は世界史的にも高く評価されている。
1394年 ウルグ・ベク ティムール朝 君主 1449年
1459年

マクシミリアン1世

(1459 - 1519)

神聖ローマ皇帝

神聖ローマ皇帝
神聖ローマ帝国の皇帝として中世から近代への過渡期を担った君主。
1459年6月22日にウィーンで生まれる。レンヌ・ルイーズ家の出身で、双子として生まれた。 1493年に神聖ローマ皇帝となり、婚姻政策を通じてハプスブルク家の勢力を拡大。 イタリア戦争や対オスマン防衛戦を指揮しつつ、宮廷芸術や学問を奨励。 行政改革や法整備にも着手し、帝国行政機構の近代化を進めた。 「最後の騎士」と称される文化的素養を持ち、ラテン語詩人ディラバンドを庇護。 1519年にウィーンで没し、その治世はヨーロッパの地政学的基盤を築いた。
1459年 マクシミリアン1世 神聖ローマ皇帝 1519年
1599年

アンソニー・ヴァン・ダイク

(1599 - 1641)

画家

画家
フランドル出身のバロック期を代表する宮廷画家。
1599年3月22日にアントウェルペンで生まれる。17世紀バロック絵画の巨匠ピーター・パウル・ルーベンスの弟子。 後にイングランドに渡り、チャールズ1世の宮廷画家として肖像画を数多く制作。 柔らかな筆致と優雅な構図で貴族や王侯の気品を表現し、バロック肖像画に新風をもたらした。 代表作には『シャーロット・デ・ラ・トレモイユ嬢の肖像』などがあり、王室コレクションに多数収蔵。 1641年にロンドンで没するまで、ヨーロッパ各地で高い評価を受けた。
1599年 アンソニー・ヴァン・ダイク 1641年
1609年

ヤン2世

(1609 - 1672)

ポーランド王

ポーランド王
ポーランド・リトアニア共和国の王として国内外の改革を試みた君主。
1609年3月22日にワルシャワで生まれる。ヴァーサ朝出身で、1648年にポーランド・リトアニア共和国の国王に選出。 政治的混乱期において議会強化や軍制改革を推進し、反乱鎮圧に尽力。 ウクライナやトランシルヴァニアでの戦争において指揮を執り、共和国の領土防衛を図った。 宗教寛容政策を支持し、多民族国家の維持に腐心。 1672年に内陸部での政治的対立や戦争疲弊から退位を余儀なくされ、翌年没する。 その治世はポーランド黄金時代の終焉を象徴するとともに、近代化への試みでもあった。
1609年 ヤン2世 ポーランド王 1672年
1785年

アダム・セジウィック

(1785 - 1873)

地質学者

地質学者
イギリスの地質学者で、現代地質学の基礎を築いた学者。
1785年3月22日にイギリスのダラムで生まれる。ケンブリッジ大学で学位を取得。 地質学のパイオニアとして地層の年代学的分類を提唱し、古生代・新生代の概念を確立。 化石研究を通じて地層序を明確にし、地球史の理解を飛躍的に深めた。 ダーウィンとも親交があり、若きチャールズ・ダーウィンの師として影響を与えた。 ケンブリッジ大学で長年教鞭をとり、多くの後進を育成。 1873年に逝去するまで第一線で研究と教育に従事した。
1785年 アダム・セジウィック 地質学者 1873年
1797年

ヴィルヘルム1世

(1797 - 1888)

ドイツ皇帝、プロイセン王

ドイツ皇帝 プロイセン王
プロイセン王となり、ドイツ帝国初代皇帝として統一を成就した君主。
1797年3月22日にベルリンで生まれる。ホーエンツォレルン家の出身で、プロイセン王子として育つ。 1861年にプロイセン王に即位し、宰相ビスマルクと協力して普墺戦争・普仏戦争を勝利に導く。 1871年にドイツ帝国の初代皇帝として戴冠し、統一ドイツの時代を切り開いた。 行政や軍制改革にも取り組み、近代国家としての基盤を整備。 1888年に没したが、その統治はビスマルク体制の礎を築き、ヨーロッパ史に大きな影響を与えた。
1797年 ヴィルヘルム1世 ドイツ皇帝 1888年
1797年

エドゥアルト・ガンス

(1797 - 1839)

法学者

法学者
ドイツの法学者で、法哲学・歴史法学の発展に寄与した学者。
1797年3月22日にブレスラウ(現ヴロツワフ)で生まれる。ベルリン大学で教授職を務める。 ヘーゲル哲学を法学に導入し、歴史法学を体系化した。 ローマ法や自然法理論の研究を通じて、近代法学教育の基礎を築く。 ユダヤ人として当時の社会的制約に直面しつつも、学術界で高い評価を受けた。 代表的著作『ローマ法史研究』などで後進に大きな影響を与え、1839年に逝去した。
エドゥアルト・ガンス 法学者 1839年
1799年

フリードリヒ・ヴィルヘルム・アルゲランダー

(1799 - 1875)

天文学者

天文学者
ドイツの天文学者で、星表作成と天体観測の基礎を築いた学者。
1799年3月22日にケーニヒスベルクで生まれる。天文学と数学を学び、パーダーボルン天文台で研鑽を積む。 1830年代からハンブルク天文台を率い、膨大な恒星観測を行い『ボン星表』を編纂。 全天星表の完成を目指し、詳細な天体位置記録を整備。 経度測定技術の改良にも貢献し、航海術や地理学に影響を与えた。 後進の育成にも力を注ぎ、ドイツ近代天文学の発展に寄与。 1875年に逝去するまで観測と研究を続けた。
1799年 フリードリヒ・ヴィルヘルム・アルゲランダー 天文学者 1875年
文化8年2月28日

佐久間象山

(1811 - 1864)

兵学者

兵学者
江戸時代末期の兵学者・思想家で、洋学と和学の融合を唱えた人物。
1811年2月28日に播磨国赤穂で生まれる。兵学と蘭学を学び、幕府の軍事改革に尽力。 西洋の銃砲技術や火薬製造法を紹介し、日本の近代化を推進。 儒学や道教などの伝統思想とも融合し、『和魂洋才』を提唱。 多くの藩士や長州の志士に影響を与え、維新運動の精神的基盤の一端を担った。 1864年に京都で暗殺されるも、その思想は明治維新後も受け継がれた。
1811年 文化 2月28日 佐久間象山 1864年
文政4年2月19日

花柳壽輔 (初代)

(1821 - 1903)

日本舞踊家

日本舞踊家
江戸末期から明治期にかけて活躍した日本舞踊家。芸風を継承・発展させ、後世に大きな影響を与えた。
1821年(文政4年)に生まれ、日本舞踊の技術を継承・発展させた。 明治時代において舞踊界の振興に尽力し、後進の育成にも力を注いだ。 その芸風は現在の花柳流の基盤となり、多くの流派に影響を与えた。 多彩な演目を得意とし、宮廷や公開興行で高い評価を得た。 1903年に没し、その功績は舞踊史に刻まれている。
1821年 文政 2月19日 花柳壽輔 (初代) 日本舞踊家 1903年
天保8年2月16日

成島柳北

(1837 - 1884)

文学者、ジャーナリスト

文学者 ジャーナリスト
幕末から明治期にかけて活躍した文学者・ジャーナリスト。報道と評論を通じて近代日本の言論界に貢献した。
1837年(天保8年)に生まれ、江戸末期から明治期にかけて活動した。 新聞や雑誌で記事を執筆し、社会風刺や政治評論を得意とした。 近代日本の言論形成に寄与し、新たな報道文化の礎を築いた。 多くの門下を育て、後進の文学者・記者に影響を与えた。 1884年に没し、その業績は文字文化史に残る。
1837年 天保 2月16日 成島柳北 文学者 ジャーナリスト 1884年