1874年

築地の海軍兵学寮で日本初の運動会「競闘遊戯会」が開催される。

築地海軍兵学寮で日本初の運動会『競闘遊戯会』が開催。
1874年3月21日、東京築地の海軍兵学寮において日本初とされる運動会『競闘遊戯会』が実施されました。軍事訓練の一環として組まれた競技は、走競争や綱引きなど多彩なプログラムで構成されました。西洋体育を導入した教育方針の一例として注目され、後の学校教育への運動会普及につながりました。参加した生徒たちは団体競技を通じて規律と協調性を学び、近代日本の身体教育の礎を築きました。
1874年 築地 海軍兵学寮 運動会 競闘遊戯会
1909年

神戸・湊川埋め立て地から大阪・西成大橋東端までの32.2kmの「マラソン大競走阪神間20哩長距離競争」が開催。マラソンという言葉を使った最初のイベント。

神戸から大阪までの長距離マラソン大会が開催され、『マラソン』という言葉が初使用された。
1909年3月21日、『マラソン大競走阪神間20哩長距離競争』が神戸・湊川埋立地から大阪・西成大橋東端までの32.2km区間で開催されました。本大会は日本で初めて『マラソン』という名称を冠した記録的イベントとなりました。地元の陸上競技団体が主催し、多くのランナーが参加して注目を集めました。コース沿線には多くの観衆が詰めかけ、近代スポーツ文化の幕開けを告げる出来事となりました。大会の成功はその後の陸上競技普及に大きく寄与しました。
1909年 神戸 大阪
1967年

ストックホルムオリンピックのマラソン競技を日射病のために途中棄権し、その後行方不明になったとされていた金栗四三が同大会開催から55周年を記念した式典に招待され、用意されたゴールテープを切る。

ストックホルムオリンピックのマラソンで日射病により途中棄権した金栗四三が55年後にゴールテープを切った。
1912年ストックホルムオリンピックのマラソン競技で日射病により途中棄権し行方不明扱いとなった日本人選手、金栗四三。 1967年3月21日、大会開催55周年を記念する式典に招待され、用意されたゴールテープを切った。 実際には現地で回復後村へ戻り、その後の人生を日本で過ごしていたが、長らく“幻のゴール”と呼ばれた。 式典でのフィニッシュは日本スポーツ界に感動を呼び、マラソン史に残る逸話となった。 金栗のエピソードは努力と挫折、再会の物語として今なお語り継がれている。
1967年 ストックホルムオリンピック マラソン 日射病 金栗四三
1980年

アメリカ合衆国大統領ジミー・カーターが、ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議して、同年夏のモスクワオリンピックのボイコットを表明。

カーター米大統領がソ連のアフガニスタン侵攻抗議として、1980年モスクワオリンピックへのボイコットを宣言しました。
1980年3月21日、ジミー・カーター大統領はソ連のアフガニスタン侵攻を非難し、米国選手団にモスクワ五輪への参加自粛を命じるボイコットを表明しました。 これにより約60か国が五輪をボイコットし、国際スポーツの舞台は冷戦の影響を色濃く受けることとなりました。 カーター政権は人権問題や国際法の尊重を訴えつつスポーツを外交の手段とする新たなアプローチを示しました。 一方で多くのアスリートが開催都市モスクワでの出場機会を失い、五輪史上に残る政治介入の一例となりました。 この決断はスポーツと政治の境界線を問う論争を呼び、国際オリンピック委員会にも大きな影響を与えました。
1980年 アメリカ合衆国大統領 ジミー・カーター ソ連のアフガニスタン侵攻 モスクワオリンピック ボイコット
2019年

MLB・シアトル・マリナーズのイチローが現役引退を発表。

MLBのシアトル・マリナーズで活躍したイチローが2019年に現役引退を表明しました。
イチロー(鈴木一朗)は日本人メジャーリーガーの先駆けとしてMLBで数々の記録を打ち立てました。2019年3月21日にシアトル・マリナーズの一員として現役引退を発表し、約28年に及ぶプロキャリアに幕を下ろしました。通算安打数は日米合わせて4367本に達し、MLBでは3000本安打を達成しました。10回のゴールドグラブ賞受賞や2001年の新人王・MVP獲得など輝かしい実績を残しました。引退後はマリナーズ球団の特別アドバイザーなどを務め、野球界への貢献を続けています。
2019年 MLB シアトル・マリナーズ イチロー
2022年

長崎県大村市の大村競艇場で開催された SG「第57回総理大臣杯」で遠藤エミがスペシャルグレードの女子選手初制覇の快挙を成し遂げる。

2022年、大村競艇場で開催されたSG第57回総理大臣杯で遠藤エミが女子選手初のスペシャルグレード制覇を果たしました。
遠藤エミはボートレース界で活躍する女子選手で、特にSG(スペシャルグレード)レースでの優勝は従来女子には難しいとされてきました。2022年3月21日、長崎県大村市の大村競艇場で行われた第57回総理大臣杯決勝において、遠藤は堂々としたレース運びでトップを維持し、そのままゴールしました。この勝利により、ボートレース史上初めて女子選手がSGレースを制覇する快挙を達成しました。競技関係者やファンからは大きな称賛と祝福の声が寄せられ、女子レーサーの地位向上に一石を投じました。今後の活躍にも期待が集まっています。
長崎県 大村市 大村競艇場 総理大臣杯 遠藤エミ