1912年
洲崎遊郭で火災。1419戸が焼失。
洲崎遊郭で大規模な火災が発生し、多数の家屋が焼失。
1912年3月21日、東京洲崎の遊郭街で大規模な火災が発生しました。強風に煽られた火は急速に延焼し、1419戸を焼き払いました。被災地域には多くの遊女や遊客、居住者が暮らしており、一時は避難と救援活動が混乱する事態となりました。消火活動は夜を徹して行われ、周辺町会の協力も得て延焼を食い止めました。この火災は大正初期の都市火災の代表例として記録され、都市計画や防火対策強化の契機となりました。
1912年
洲崎
遊郭
1928年
千葉県旭村で火災。隣の和田村、根郷村(両村は現在の佐倉市)にも飛び火して住家120戸、189棟が全焼。死者2人。
1928年3月21日、千葉県旭村で発生した火災が隣接する和田村と根郷村に飛び火し、住家120戸と建物189棟が全焼、死者2名を出しました。
この火災は当地の乾燥した気候と強風の影響で急速に広がりました。当時の消火設備は未整備で、消防隊の対応が追いつかず被害を拡大。和田村や根郷村にまで延焼し、多くの住民が避難を強いられました。全焼した住宅は農家が中心で、農業生産への影響も大きかったといわれています。死者は2名でしたが、焼失した家屋の修復には長期間を要し、地域住民の生活再建は困難を伴いました。火災後、防災対策や消防組織の強化が急務とされました。
1928年
千葉県
旭村
和田村
根郷村
佐倉市
飛び火
1934年
函館大火が発生。死者2,166人。
1934年3月21日、北海道函館市で発生した大火災は、2,166人の死者を出す史上最大級の被害をもたらしました。
大火は市内中心部で発生し、木造家屋が密集していたため瞬く間に燃え広がりました。強風が燃え広がりを助長し、多くの避難者が犠牲に。死者2,166人、負傷者3,283人、家屋約11,000棟が焼失し市街地の大部分が壊滅。被災者救援と復興には全国からの支援が寄せられ、野外シェルターや仮設住宅が設置されました。火災後、都市計画の見直しや防災設備の整備が進められ、函館市の再建は数十年かけて行われました。
1934年
函館大火
1982年
浦河沖地震が発生。
1982年に北海道浦河沖で発生した地震で、各地に被害をもたらしました。
1982年3月21日早朝、北海道浦河沖を震源とする地震が発生しました。
揺れは浦河町を中心に強く観測され、建物の倒壊や土砂崩れなどの被害が出ました。
海底地震のため一時的に津波警報が発令され、沿岸部での避難行動が実施されました。
地域住民や自治体は復旧・救援活動に取り組み、被害の全容把握と復興に努めました。
この地震は北海道沖の地震リスクを再認識させる契機となりました。
1982年
浦河沖地震
2019年
中国江蘇省塩城市の化学工場で爆発事故。(en:2019 Yancheng chemical plant explosion)
2019年、中国江蘇省塩城市の化学工場で大規模な爆発事故が発生しました。
2019年3月21日午後、江蘇省塩城市の化学物流倉庫で大規模な爆発が発生しました。周辺市街地まで衝撃波が届き、多数の建物が損壊しました。公式発表によると78人が死亡、約600人が負傷しました。事故現場では硝酸などの腐食性化学薬品が貯蔵されており、適切な安全管理が行われていなかったと指摘されています。中国当局は直後に捜査チームを派遣し、企業関係者への罰則や再発防止策を検討しました。地域住民への影響や環境への懸念も大きく、安全規制強化の必要性が改めて浮き彫りになりました。
中国
江蘇省
塩城市
en:2019 Yancheng chemical plant explosion
2022年
中国東方航空5735便墜落事故。
2022年、中国東方航空5735便が墜落し、多数の犠牲者を出す大惨事となりました。
中国東方航空5735便は2022年3月21日、昆明発広州行きの定期便として運航中に中国南部の山岳地帯に墜落しました。搭乗していた132人全員が犠牲となり、生存者はありませんでした。運航中に急激な降下を始めたため、事故原因は機体制御の喪失や意図的な行動の可能性などが検討されています。中国民用航空局はブラックボックスを回収し、原因究明のための調査を進めました。航空業界全体に衝撃を与え、同型機の安全確認や操縦士の訓練体制見直しが議論されました。
2022年
中国東方航空5735便墜落事故