1229年

第6回十字軍: エルサレムに入城した神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世が聖墳墓教会でエルサレム王として戴冠。

第6回十字軍でフリードリヒ2世が平和裏にエルサレム王に戴冠しました。
第6回十字軍(1228-1229年)において、神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世は軍事力を用いず和平交渉を進めました。 1229年、イスラム教指導者アル=カーミルとの講和によりエルサレムへの入城を許可されます。 その後、聖墳墓教会内でエルサレム王として正式に戴冠式を行いました。 戦闘を避けた異例の和平によって、十字軍史上でも特異な出来事とされています。 フリードリヒ2世は宗教的権威と政治力を巧みに利用し、交渉に成功しました。
1229年 第6回十字軍 エルサレム 神聖ローマ皇帝 フリードリヒ2世 聖墳墓教会 エルサレム王
1871年

パリの民衆がアドルフ・ティエールの臨時政府に対し武器をとり蜂起。(パリ・コミューン)

パリ市民が臨時政府に対抗し、パリ・コミューンの蜂起が始まりました。
1871年3月18日、普仏戦争後のフランス臨時政府による治安部隊がパリ市民を弾圧し、市民は武装蜂起してパリ・コミューンを樹立しました。 コミューンは労働者主体の自治政府として社会改革を掲げ、労働条件の改善や教育改革に取り組みました。 政府軍との対立は激化し、最終的に「血の週」と呼ばれる激しい鎮圧へとつながりました。 この事件は近代史における最初の市民社会による自治運動の一つとして評価されています。 パリ・コミューンの理念は後の社会主義運動にも大きな影響を与えました。
1871年 アドルフ・ティエール パリ・コミューン
1915年

第一次世界大戦・ガリポリの戦い: 連合国によるダーダネルス海峡進攻作戦が失敗。

第一次世界大戦中、連合国がダーダネルス海峡の要衝ガリポリへ侵攻したものの、作戦に失敗した日。
1915年3月18日、イギリスやフランスなど連合国軍はオスマン帝国支配下のダーダネルス海峡を通じて黒海へ進出し、ロシア支援を目的にガリポリ半島への上陸作戦を開始しました。陸軍と海軍の連携不足や地形の厳しさ、オスマン軍の徹底抗戦により作戦は頓挫します。特にオーストラリア・ニュージーランド軍団(ANZAC)など各国部隊が激戦を繰り広げ、多大な犠牲を出しました。艦隊による海峡突破も阻まれ、多数の艦船が損傷しました。この失敗は連合国の戦略転換を迫り、後の戦線に大きな影響を与えました。
1915年 第一次世界大戦 ガリポリの戦い ダーダネルス海峡
1940年

第二次世界大戦: アドルフ・ヒトラーとベニト・ムッソリーニがブレンナー峠で会談し、フランス・イギリスに対して共同で当たることを確認。

ヒトラーとムッソリーニがブレンナー峠で会談し、英仏に対抗する連携を確認した日。
1940年3月18日、ドイツのアドルフ・ヒトラーとイタリアのベニート・ムッソリーニがオーストリア・イタリア国境のブレンナー峠で会談しました。両首脳はフランスとイギリスに対して共同作戦を行うことで合意し、枢軸国の連携を一層強固なものとしました。会談では地中海方面やバルカン政策についても協議され、イタリアの参戦条件や補給路確保などが話し合われました。この合意はその後の西ヨーロッパ侵攻や北アフリカ戦線に影響を与え、第二次世界大戦の展開を左右しました。
1940年 第二次世界大戦 アドルフ・ヒトラー ベニト・ムッソリーニ ブレンナー峠
1944年

第二次世界大戦: ナチス・ドイツ軍がハンガリーを占領。

第二次世界大戦中、ナチス・ドイツ軍がハンガリーを占領し、枢軸国の勢力拡大を象徴する重要な出来事。
1944年3月18日、ドイツ軍はハンガリーへの侵攻を開始し、短期間で首都ブダペストを含む主要地域を占領した。 この作戦(マーガレット作戦)は、ハンガリーが連合国との秘密交渉を進めるのを阻止する目的で実施された。 占領後、親独的な新政府が樹立され、ユダヤ人への迫害と大量虐殺が加速した。 これにより、ハンガリーのユダヤ人コミュニティは壊滅的な被害を受けた。 枢軸国の戦局は西部戦線から東部圏へと大きく影響し、戦争の悲劇を顕著に示した。
1944年 ナチス・ドイツ ハンガリー
1962年

フランスとアルジェリアがエビアン協定に調印し、アルジェリア戦争が終結。

フランスとアルジェリアがエビアン協定に調印し、アルジェリア戦争が終結しました。
1954年から続いたアルジェリア戦争は、1962年3月18日のエビアン協定調印により正式に終結した。 協定では停戦、アルジェリア住民の自決権承認、フランス軍の段階的撤退などが合意された。 同年7月5日、アルジェリア共和国が独立を宣言し、フランスの植民地支配が終焉を迎えた。 およそ120万人の死傷者を出した紛争の終止符は、植民地解放運動の象徴ともなった。 北アフリカ地域の政治地図を大きく塗り替えた歴史的転換点である。
1962年 フランス アルジェリア エビアン協定 アルジェリア戦争
2015年

バルド国立博物館での銃乱射事件が発生。

チュニジアのバルド国立博物館で銃乱射事件が発生し、多数の死傷者が出ました。
2015年3月18日、チュニジアの首都チュニスにあるバルド国立博物館で武装した襲撃者が観光客を狙って銃を乱射しました。襲撃により外国人観光客を含む22人が死亡し、多くが負傷しました。イスラム国(ISIS)が犯行声明を出し、チュニジア政府は非常事態を宣言しました。事件は同国の重要観光資源を狙ったテロとして国際的な衝撃を与えました。治安強化とテロ対策の必要性が改めて認識されました。
2015年 バルド国立博物館での銃乱射事件