画家
画家
ドイツ出身のバロック期画家。ローマを拠点に小品や夜景画を手掛けた。
フランクフルト生まれ。若くしてイタリアへ渡り、ローマで活躍した。
カラヴァッジョの光と影の手法を取り入れつつ、細密な風景や神話画を制作。
小さな銅板に描く緻密な筆致と幻想的な夜景表現で知られる。
代表作『聖マチアスの召命』や『流星のある風景』は後の画家にも大きな影響を与えた。
31歳の若さで没するも、その画風はレンブラントやルーベンスに受け継がれた。
1578年
アダム・エルスハイマー
画家
1610年
初代広島藩主
初代広島藩主
江戸初期の大名で、初代広島藩主を務めた人物。
浅野家の一族として生まれ、徳川家康に仕えた。
関ヶ原の戦い後、安芸国広島に移封され、広島城を拠点に藩政を開始。
領内の治水や産業振興に努め、城下町の整備を進めた。
学問や文化を奨励し、寺社の復興にも力を注いだ。
1632年に没し、跡を長子が継いだ。
1586年
天正
1月28日
浅野長晟
広島藩主
1632年
ポルトガル王
ポルトガル王
ポルトガルの王で、スペイン支配からの独立を回復した立役者。
ブルガンザ家の支流に生まれ、1640年のポルトガル王位回復革命を率いた。
スペイン・ハプスブルク家の支配を終わらせ、1640年に国王として即位。
ブランガンザ朝の初代国王として、独立戦争を主導し領土の防衛に努めた。
文化・芸術の保護者としても知られ、リスボンの宮廷文化を発展させた。
1656年に没し、長男が王位を継承した。
1604年
ジョアン4世
ポルトガル王
1656年
デンマーク王
デンマーク王
デンマーク・ノルウェー王として絶対王政を確立した君主。
クリスチャン4世の次男として生まれ、1648年に即位。
デルトヴィン戦争や北方戦争を経て、1660年に貴族議会の権限を制限。
選挙制王政を廃止し、世襲制絶対王政を確立した。
経済振興や海軍力強化に尽力し、バルト海の主導権を追求。
1670年に没し、嫡男クリスチャン5世が後を継いだ。
1609年
フレデリク3世
デンマーク王
1670年
小説家
小説家
17世紀フランスの小説家で、心理描写に優れた『ラ・プリンセス・ド・クレーヴ』の作者。
マリー=マドレーヌ・ピオシュ・ド・ラ・ヴェルニュとして生まれる。
フランス宮廷での生活を経験し、貴族社会を背景に物語を構築。
1678年に『ラ・プリンセス・ド・クレーヴ』を匿名で発表し、大きな反響を呼ぶ。
登場人物の内面心理を精緻に描く手法は近代小説の先駆と評価される。
晩年は執筆活動を控え、1693年に没した。
1634年
ラファイエット夫人
小説家
1693年
数学者
数学者
ロシアで活躍した数学者で、ゴールドバッハ予想の提唱者。
ケーニヒスベルク生まれ。大学で数学と法学を学ぶ。
エカテリーナ2世の招きによりペテルブルク科学アカデミーに参加。
オイラーと交流し、さまざまな論文を発表した。
1742年に偶数を3つの素数の和で表せるというゴールドバッハ予想を提出。
生涯を通じて数論や微積分の研究に励み、1764年に没した。
1690年
クリスティアン・ゴルトバハ
数学者
1764年
第4代結城藩主
第4代結城藩主
江戸時代の大名で、結城藩の第4代藩主を務めた人物。
水野家の家督を継ぎ、享保年間に第4代藩主として就任。
領内の財政再建に取り組み、検地や年貢制度を見直した。
治水工事や街道整備を推進し、農業生産の安定化を図った。
儒学を奨励し、藩校を設立して人材育成にも注力。
1763年に没し、弟が家督を相続した。
1724年
享保
2月23日
水野勝前
結城藩主
1763年
初代磐城平藩主
初代磐城平藩主
江戸時代の大名で、初代磐城平藩主として領地の開発に努めた。
安藤家の一族として生まれ、幕府の旗本から大名に昇格。
1783年に磐城平藩初代藩主となり、領内復興に着手。
農地拡大や灌漑工事を推進し、米の収量を向上させた。
藩校を創設し、学問や技術の普及に力を注いだ。
1810年に没し、子孫が藩政を継承した。
1743年
寛保
2月23日
安藤信成
磐城平藩主
1810年
第5代鴨方藩主
第5代鴨方藩主
江戸時代の大名で、鴨方藩の第5代藩主を務めた人物。
備中国鴨方藩の池田家に生まれる。
藩主就任後、財政再建に取り組み、倹約令を発布。
絹織物や酒造業を奨励し、藩産業の振興を図った。
洋学を導入し、蘭学者を招いて藩士の教育に活用。
1818年に没し、跡を子が継いだ。
1746年
延享
1月27日
池田政直
鴨方藩主
1818年
第7代アメリカ合衆国副大統領
第7代アメリカ合衆国副大統領
アメリカの政治家で、第7代副大統領を務め、南部の権利擁護論者として知られる。
サウスカロライナ州生まれ。若くして州議会議員に選出される。
1817年から連邦下院議員、1825年から副大統領(アダムズ、ジャクソン両政権)を務めた。
「ヌルリフィケーション論」を主張し、州の権利と奴隷制度維持を訴えた。
晩年は上院議員として活躍し、南北対立の先駆的理論家と評価された。
1850年に没し、思想は南北戦争前夜の論争に影響を与えた。
1782年
ジョン・カルフーン
アメリカ合衆国副大統領
1850年
外交官、紀行文作家
外交官
紀行文作家
フランスの外交官・紀行文作家。
ロシア旅行記『La Russie en 1839』で知られる。
1790年にフランス貴族の家系に生まれる。
1839年にロシアを訪れ、その観察を基に旅行記『La Russie en 1839』を発表。
当時のロシア社会や政治体制を鋭く描写し、ヨーロッパで大きな反響を呼んだ。
皇帝ニコライ1世の専制体制にも批判的な視点を持ち、風刺と洞察に富んだ筆致が特徴。
文学的な叙述と歴史的考証を融合させたスタイルは、旅行文学に新たな地平を開いた。
晩年も文化評論や随筆を執筆し、1857年に没するまで活躍した。
1790年
キュスティーヌ侯爵
外交官
紀行文作家
1857年
公卿
公卿
江戸時代後期の公卿(くげ)。
幕府と朝廷の橋渡し役として活躍した。
1797年に近衛家の分家に生まれる。
朝廷の儀式執行や文書管理を担当し、公家社会の運営に関与。
幕府との外交事務や朝廷行事の整備を推進し、政務の近代化に寄与した。
和歌や書道にも長け、文化面での影響力も大きかった。
幕末の動乱期にあって公武合体政策の調整役を務め、1859年に没するまで活動を続けた。
1797年
寛政
2月20日
堀河康親
1859年