元治2年2月12日

長崎の潜伏キリシタンが大浦天主堂を訪れ、信者であると告げる。

江戸時代の禁教令下で潜伏キリシタンが大浦天主堂を訪れ、自らの信仰を告白した歴史的瞬間。
長崎の大浦天主堂は、1859年に完成した日本初の西洋式カトリック教会です。 長年禁教政策により地下に潜伏していたキリシタンが、1865年3月17日に一斉に訪れ信者であることを告白しました。 この出来事は幕府や明治政府に対してキリスト教存在証明となり、後の宗教弾圧の緩和に繋がりました。 潜伏キリシタンの存在が公に認識されたことは、日本の宗教史における大きな転換点です。 また、閉ざされていた異文化交流が再び注目される契機ともなりました。
1865年 元治 2月12日 潜伏キリシタン 大浦天主堂
1876年

太政官指令により、「婦女は結婚してもなお所生の氏(婚姻前の氏)を用いること」、すなわち夫婦別姓が原則とされた。(日本の制度が夫婦同姓に転換するのは1898年の民法制定による。)

1876年の太政官指令で、結婚後も婚姻前の氏を名乗る「夫婦別姓」が原則とされた。
明治9年(1876年)3月17日、太政官指令により婚姻後も妻が出生時の氏を使用することが原則とされました。 当時は家制度の刷新やジェンダー平等の理念のもと、夫婦同氏強制を見直す動きがありました。 しかし、1898年(明治31年)の民法制定で再び夫婦同氏が原則とされ、夫婦別姓の規定は廃止されました。 近代日本の家族制度や女性の法的地位をめぐる議論の先駆けとして意義深い法的措置でした。 今日でも夫婦別姓問題は議論の的となっています。
1876年 夫婦別姓 1898年
1956年

厚生省主催によるビルマ方面(ビルマの戦い)戦没者追悼式が行われた。

1956年3月17日、厚生省主催のビルマの戦い戦没者追悼式が行われ、戦没者の慰霊が執り行われました。
ビルマの戦いでは多くの日本兵が戦死し、遺骨や遺留品が長らく現地に残されました。 追悼式は厚生省が主導し、遺族や関係者を招いて慰霊祭を実施。 式典では僧侶による読経や献花が行われ、戦没者の冥福を祈願。 遺骨収集・還骨事業の促進も呼びかけられました。 戦後日本の戦没者追悼の歴史において重要な節目となった式典です。
1956年 ビルマの戦い
2017年

福島第1原子力発電所事故後に福島県から避難した住民らが国と東京電力に損害賠償を求めた訴訟で、前橋地裁が、国と東京電力の賠償責任を認める。原発事故で国の賠償責任を認めた初めての判決。

2017年3月17日、前橋地裁が福島第一原発事故による被害者の国と東京電力に対する賠償責任を認める初の判決を言い渡しました。
福島第一原発事故で避難を余儀なくされた住民らは、住宅喪失や健康被害を理由に国と東京電力に損害賠償を求める訴訟を起こしました。 2017年3月17日、前橋地方裁判所は国の安全確保義務違反と東京電力の過失を認定し、賠償を命じる判決を下しました。 この判決は原発事故で国の賠償責任を司法が認めた初めての事例として大きな注目を集めました。 国と東電の責任を明確化し、被災者救済の道を開く一方、政府の安全規制体制への批判も高まりました。 判例を背景に同様訴訟が全国で相次ぎ、原子力損害賠償制度の見直し議論が活発化しました。
2017年 福島第1原子力発電所事故 東京電力 前橋地裁