紀元前45年

ティトゥス・ラビエヌス

軍人

軍人
紀元前1世紀に活躍したローマの軍人。ユリウス・カエサルの副官としてガリア戦争を戦い、その後ポンペイウス派に転じた。
ティトゥス・ラビエヌスは紀元前100年頃に生まれ、ユリウス・カエサルのもとでガリア戦争に従軍したローマ軍人。 紀元前49年に勃発したローマ内戦においては、カエサルを離反してポンペイウス派の指揮を執った。 彼は巧みな地形利用や待ち伏せ戦術で知られ、複数の戦闘で勝利を収めた。 しかし紀元前45年のムンダの戦いで敗北し戦死した。 その勇敢さと戦術眼は後世の軍事史家にも語り継がれている。
紀元前45年 ティトゥス・ラビエヌス 紀元前100年
180年

マルクス・アウレリウス・アントニヌス

(121 - 180)

第16代ローマ皇帝

第16代ローマ皇帝
古代ローマの皇帝であり、ストア派哲学者としても知られる人物。
マルクス・アウレリウス・アントニヌスは121年にローマ貴族の家系に生まれた。 161年に第16代ローマ皇帝として即位し、治世中は北方防衛戦争を指揮し帝国の安定を図った。 哲学者としては『自省録』を著し、自己の内面と徳を追求するストア派の思想を示した。 政治と哲学を両立させた「哲人皇帝」として後世に高く評価されている。 180年に没したが、彼の統治理念は今日でも多くの人々に影響を与え続けている。
180年 マルクス・アウレリウス・アントニヌス ローマ皇帝 121年
461年

パトリキウス

アイルランドの守護聖人

アイルランドの守護聖人
アイルランドの守護聖人として知られ、キリスト教の布教に尽力した聖職者。
パトリキウスは5世紀前半にブリテン島で生まれ、青年期に奴隷として過酷な暮らしを経験したとされる。 後に修道士として修行を積み、アイルランドに戻り布教を開始。 異教の習慣と対峙しながらも多くの信者を獲得し、キリスト教を定着させることに貢献した。 伝説では、三つ葉のクローバーを用いて父と子と聖霊の三位一体を説いたと伝えられる。 461年に没し、3月17日は聖パトリックの日として現在も祝われている。
461年 パトリキウス アイルランド 守護聖人 387年
寛弘5年2月8日

花山天皇

(968 - 1008)

第65代天皇

第65代天皇
平安時代中期の第65代天皇。在位中に院政の基礎を築き、文化面でも影響を与えた。
花山天皇は968年に生まれ、第65代天皇として984年に即位した。 複雑な宮廷政治の中で権力を調整し、権門勢家とのバランスを図りながら統治を行った。 986年に譲位し上皇となり、紫宸殿の修理や文芸の奨励など、上皇としての役割を模索した。 退位後は出家して法皇と称し、僧侶として仏教文化の発展にも寄与した。 1008年に没し、その清新な政治姿勢と文化振興への貢献は後世に語り継がれている。
1008年 寛弘 2月8日 花山天皇 天皇 968年
万寿2年2月15日

渡辺綱

(953 - 1025)

頼光四天王の筆頭

頼光四天王の筆頭
平安時代の武将。頼光四天王の筆頭として数々の伝説を残す英雄。
渡辺綱は953年頃に生まれ、源頼光に仕えた武士として知られる。 『土佐日記』や御伽草子などに描かれる鬼退治の逸話で有名であり、茨木童子の腕を斬り落とした伝説が残る。 朝廷の武官として京の治安維持や辺境警護に従事し、その武勇は当時から高く評価された。 伝説だけでなく実際の軍事活動でも活躍し、武士階級の名声向上に寄与した。 1025年に死去し、後世には武勇と忠義の象徴として語り継がれている。
1025年 万寿 2月15日 渡辺綱 頼光四天王 953年
1058年

ルーラッハ

(1032 - 1058)

スコットランド王

スコットランド王
11世紀中頃に短期間即位したスコットランド王。マクベスの後継者として知られる。
ルーラッハは1032年頃に生まれ、マクベス王の義理の息子として育てられた。 1057年に王位を継承しスコットランド王となったが、治世はわずか数ヶ月にとどまった。 在位中は国内の支持基盤を固めることに努めたとされるが、政治的混乱が続いた。 1058年に戦死し、ダンカンに王位を奪われた。 短命ながらマクベス朝の最後の王として歴史に名を残している。
1058年 ルーラッハ スコットランド 1032年
文永9年2月17日

後嵯峨天皇

(1220 - 1272)

第88代天皇

第88代天皇
鎌倉時代の第88代天皇。在位後に退位し、院政を主導した。
後嵯峨天皇は1220年に生まれ、1242年に第88代天皇として即位した。 1246年に譲位して法皇となり、後嵯峨院として上皇政治(院政)を行った。 鎌倉幕府との駆け引きの中で皇室と武家勢力のバランスを模索し、文化面では和歌や日記文学を奨励した。 同時期に編纂された『続群書類従』などの学問振興にも関与した。 1272年に没し、その統治手法は後の天皇や上皇にも影響を与えた。
1272年 文永 2月17日 後嵯峨天皇 1220年
応永32年2月27日

足利義量

(1407 - 1425)

室町幕府5代将軍

室町幕府5代将軍
室町幕府第5代将軍として幕政を支え、武家文化の発展に努めた。
足利義量は1407年に生まれ、室町幕府第5代将軍に就任した。 在任中は法令整備や幕府財政の安定化に努めた。 また能楽や茶道などの文化振興にも力を注いだ。 外交面では勘合貿易を通じて明との交流を推進した。 1425年に若くして没し、短い治世ながらも武家政権の基盤強化に貢献した。
1425年 応永 2月27日 足利義量 室町幕府 将軍 1407年
文禄4年2月7日

蒲生氏郷

(1556 - 1595)

武将

武将
戦国時代の武将で、大名として領国経営や茶道にも精通した人物。
蒲生氏郷は1556年に誕生し、最初は織田信長に仕えた。 豊臣秀吉の下でも活躍し、1590年に会津若松藩主に選ばれた。 領国経営では検地や城郭整備を推進し、会津若松城の改築で知られる。 茶人としても名高く、千利休の教えを受けて茶道を愛した逸話が残る。 1595年に41歳で急死したが、その統治手腕と文化的貢献は高く評価されている。
1595年 文禄 2月7日 蒲生氏郷 武将 1556年
1657年

ヨハン・シサット

(1587 - 1657)

天文学者、数学者

天文学者 数学者
17世紀に活動した天文学者・数学者。近代科学の発展に貢献した。
ヨハン・シサットは1587年に生まれ、観測技術と数学理論の研究を行った。 彼は望遠鏡の改良や天体観測の精度向上に取り組み、当時のヨーロッパ科学界に影響を与えた。 また天文暦の作成や三角法の研究でも成果を残し、学術書を著した。 後進の研究者を指導し、大学や学会で講義を行った記録が残る。 1657年に没し、その科学的業績は後世の発展に繋がった。
1657年 ヨハン・シサット 天文学者 数学者 1587年
1680年

ラ・ロシュフコー

(1613 - 1680)

フランスの貴族、文学者

フランスの貴族 文学者
17世紀フランスの貴族であり、『人間の品性についての省察』で知られる文学者。
ラ・ロシュフコー(1613年-1680年)は、フランスの貴族階級に生まれ、宮廷文化の中心で活躍した。 彼の著作『人間の品性についての省察』は、人間の本性や社会の虚栄を鋭く見つめた随想集として評価されている。 師事先のモンテーニュや同時代の思想家たちとの交流を通じて独自の視点を深めた。 その簡潔で洞察に満ちた格言は現代でも多くの人々に読み継がれている。 1680年に死去した後も、その作品はフランス文学史における代表的エッセイの一つとされている。
1680年 ラ・ロシュフコー フランス 貴族 文学者 1613年
宝永6年2月7日

鷹司信子

(1651 - 1709)

江戸幕府第5代将軍徳川綱吉の正室

江戸幕府第5代将軍徳川綱吉の正室
公家鷹司家の出身で、徳川綱吉の正室として大奥の礼法を整えた人物。
鷹司信子(1651年-1709年)は、名門公家鷹司家に生まれ、徳川綱吉の正室として大奥に入り、幕府の内廷文化を支えた。 江戸城大奥の御台所として、礼法や女性たちの教育に関わり、格式を高めた。 幕政に直接的な権力は持たなかったものの、将軍家の内廷文化の維持に寄与した。 優雅な行儀作法や儀式の体系化を進め、大奥の伝統形成に大きな影響を及ぼした。 享年59で没した後も、その文化的功績は後世に受け継がれた。
1709年 宝永 鷹司信子 江戸幕府 徳川綱吉 正室 1651年