1781年

アメリカ独立戦争: ヘンリー岬の海戦が行われる。

1781年、アメリカ独立戦争中のヘンリー岬海戦が行われた。
ヘンリー岬の海戦(Battle of Cape Henry)はアメリカ独立戦争中の海戦である。 1781年3月16日、アメリカ側のコンティネンタル海軍と英国海軍がバージニア沖で衝突した。 英国艦隊はアメリカ側の防衛を破ろうと試みたが、どちらにも明確な勝利をもたらさなかった。 この海戦はヨークタウン包囲戦を巡る戦略に影響を与え、 最終的な独立達成への道筋を固める一環となった。
1781年 アメリカ独立戦争 ヘンリー岬の海戦
1968年

ベトナム戦争、アメリカ軍によるミ・ライ村(ソンミ村)虐殺事件が起きる。

1968年3月16日、ベトナム戦争中にアメリカ軍がミ・ライ村で民間人を虐殺した事件。
この虐殺事件では、アメリカ陸軍の兵士がソンミ(ミ・ライ)村の民間人を組織的に殺害した。 犠牲者数は多数に上り、女性や子供を含む無防備な村人が標的となった。 当初軍内部で隠蔽が図られたが、1969年にメディアや調査報告によって実態が明らかになった。 事件は国内外で大きな反戦世論を巻き起こし、アメリカ政府への批判が高まった。 ミ・ライ虐殺は戦争犯罪の象徴として今日まで語り継がれている。
1968年 ベトナム戦争 アメリカ ミ・ライ村(ソンミ村)虐殺事件
1978年

イタリアの元首相アルド・モーロが極左テロ組織「赤い旅団」により誘拐。後に殺害される。

1978年3月16日、イタリア元首相アルド・モーロが過激派「赤い旅団」に誘拐された事件。
アルド・モーロはキリスト教民主党の重鎮であり、2度にわたりイタリア首相を務めた。 1978年3月16日、ローマでパレルモへ向かう途中、赤い旅団のテロリストに襲撃され身柄を奪われた。 およそ55日間にわたる監禁の末、1978年5月9日に遺体で発見された。 この事件はイタリア社会に深刻な衝撃を与え、民主主義の危機として大きく報じられた。 政府は一切の妥協を拒否し、テロとの闘いを鮮明にした。
1978年 イタリア アルド・モーロ 赤い旅団
1988年

ハラブジャ事件:イラクのサダム・フセイン政権がクルド人の住むハラブジャを毒ガス・神経ガスで攻撃し、約5,000人を殺害。

イラク軍がクルド人居住地ハラブジャを化学兵器で襲撃し、約5,000人が殺害された悲劇的事件。神経ガス攻撃として国際的な非難を浴びた。
ハラブジャ事件は1988年3月16日にイラク軍がクルド人居住地ハラブジャを化学兵器で攻撃し、約5,000人が死亡した虐殺事件である。サダム・フセイン政権はマスタードガスや神経ガスを使用し、市民を無差別に殺害した。この攻撃はイラン・イラク戦争中に行われ、人道に対する罪として国際社会の非難を浴びた。生存者には長期にわたる健康被害が残り、地域の復興にも深刻な影響を与えた。今日では大量虐殺と認定されることもあり、クルド民族に対する弾圧の象徴的事例となっている。
ハラブジャ事件 イラク サダム・フセイン クルド人