1940年
和歌山中学漕艇部遭難事故。
1940年、和歌山中学校漕艇部の学生が訓練中に遭難し、多くの犠牲者が出る悲劇が起きました。
1940年3月16日、和歌山中学校の漕艇部が近郊河川で訓練中に遭難事故を起こした。
突然の気象変化によりボートが転覆し、部員や顧問教員が水中に投じられた。
救助活動が行われたものの、複数名の学生が溺死する痛ましい結果に。
当時の学校行事における安全管理の重要性が改めて問われる契機となった。
この事故を教訓に、漕艇部の装備点検や気象情報の把握体制が強化された。
1940年
和歌山中学漕艇部遭難事故
1960年
全日空小牧空港衝突事故。
全日空機同士が小牧空港で衝突し、航空安全への関心が高まりました。
1960年3月16日、名古屋の小牧空港において全日空の航空機同士が地上で衝突する事故が発生しました。
滑走路や誘導路での運行管理に課題が浮き彫りとなり、航空会社や空港当局による安全手順の見直しが求められました。
幸い死者こそ出なかったものの、機体や設備に大きな損傷が生じ、運航に影響を及ぼしました。
この事故を契機に航空関係機関は運行規程の強化やレーダー設備の導入を進め、国内の航空安全向上に寄与しました。
日本の民間航空史における地上衝突事故として記憶されています。
全日空小牧空港衝突事故
1962年
新潟県栃尾市新山で雪崩を伴う地すべりが発生。住宅2棟が全壊して6人が死亡。
栃尾市新山で雪崩を伴う地すべりが発生し、6人が犠牲になりました。
1962年3月16日、新潟県栃尾市(現長岡市)新山地区で雪解け水が地盤を緩め、雪崩を伴う大規模な地すべりが発生しました。
猛スピードで斜面を流れ落ちた雪と土砂は住宅2棟を全壊し、避難が間に合わず6人が死亡しました。
住民の突然の避難行動の困難さが浮き彫りとなり、警戒区域の設定や避難計画の必要性が強調されました。
この災害を契機に地すべり対策として砂防ダムや擁壁の整備が進められ、地盤災害予防の重要性が再認識されました。
1962年
新潟県
栃尾市
雪崩
地すべり
1963年
新潟県能生町小泊(現:糸魚川市能生小泊)で大規模な地すべりが発生(小泊地すべり)。死傷者25人。
能生町小泊で大規模地すべりが発生し、多くの死傷者が出ました。
1963年3月16日、新潟県能生町小泊地区(現糸魚川市能生小泊)で急激な地盤ゆるみによる大規模な地すべりが発生しました。
住宅や農地を飲み込み、土砂の奔流は沿岸部まで到達し、死傷者は合わせて25人にのぼりました。
春の時期特有の融雪水と降雨が地層を不安定化させたとみられ、事前の危険予知の難しさが示されました。
この災害を受け、土砂災害警戒区域の拡大や住民への早期警報システム導入など、災害対策の強化が図られました。
以降の地域防災計画においても重要な教訓となっています。
1963年
能生町
糸魚川市
小泊地すべり
1969年
ビアサ742便墜落事故: ビアサ742便がベネズエラ・マラカイボに墜落、155人が死亡。
1969年3月16日、ベネズエラ・マラカイボでビアサ742便が墜落し、155人が死亡した航空事故。
ビアサ742便はマラカイボ空港を離陸直後に機体トラブルにより制御を失い、住宅地に墜落した。
搭乗者と地上の住民を合わせて155人が犠牲となり、現地は深い悲しみに包まれた。
事故原因にはエンジン不具合や整備ミスが指摘され、事故調査が行われた。
この悲劇は航空安全の重要性を改めて浮き彫りにし、運用手順の見直しが進められた。
地域社会には追悼碑が建てられ、多くの遺族が慰霊の場として訪れている。
1969年
ビアサ742便墜落事故
ベネズエラ
マラカイボ
2022年
福島県沖地震 (2022年) 発生。宮城県と福島県で震度6強の揺れを観測し、震害もこの2県に集中した。
福島県沖を震源とする地震が発生し、宮城県と福島県で震度6強を観測した。多くの建物被害や一時的な津波警報が発令された。
2022年3月16日、福島県沖を震源とするマグニチュード7.4の地震が発生し、宮城県と福島県で最大震度6強を観測した。建物倒壊や火災、道路の陥没などが各地で報告され、広範囲にわたり被害が発生した。津波警報は発令されたものの大規模な津波は観測されなかった。震後も強い余震が続き、住民の不安が高まった。政府や自治体は緊急支援活動を展開し、復旧・復興に向けた取り組みが進められている。
2022年
福島県沖地震 (2022年)