1781年

アメリカ独立戦争: ギルフォード郡庁舎の戦い

アメリカ独立戦争中、ノースカロライナ州で英米両軍が激突した重要な会戦です。
1781年3月15日、ノースカロライナ州ギルフォード郡庁舎近郊で大陸軍と英国軍が衝突しました。 大陸軍はナサニエル・グリーン将軍、英国軍はコーンウォリス将軍が指揮しました。 戦術的には英国軍が勝利を収めたものの、甚大な損害を被り兵力を消耗しました。 この消耗戦は南部戦線の流れを変え、最終的な勝利につながる要因となりました。 ギルフォードの戦いは南部戦役の転換点とも評されています。
1781年 アメリカ独立戦争 ギルフォード郡庁舎の戦い
1916年

ウッドロウ・ウィルソン米大統領がパンチョ・ビリャ討伐のためジョン・パーシング将軍指揮下遠征部隊12,000人をメキシコに派遣。

ウィルソン大統領がメキシコへの遠征部隊を派遣し、パンチョ・ビリャ討伐を開始した日。
1916年3月15日、アメリカ合衆国大統領ウッドロウ・ウィルソンは、騎兵隊を含む約12,000人の遠征部隊をメキシコへ派遣しました。 これはパンチョ・ビリャ一味によるニューメキシコ州コロンバス襲撃への報復措置であり、「ビリャ討伐遠征」と呼ばれます。 遠征軍はジョン・パーシング将軍の指揮下、約9か月にわたりメキシコ北部を捜索しましたが、ビリャの捕縛には至りませんでした。 この介入は米墨関係に緊張をもたらし、米国のラテンアメリカ政策への批判を招きました。 最終的に1917年初頭に撤退し、アメリカ軍の海外展開の転機ともなりました。
1916年 ウッドロウ・ウィルソン パンチョ・ビリャ ジョン・パーシング
1939年

チェコスロバキア併合: ナチス・ドイツがベーメン・メーレン保護領を設置。チェコスロバキアが消滅。

ナチス・ドイツがベーメン・メーレン保護領を設立し、チェコスロバキアが消滅した重大な歴史的転換点です。
1939年3月15日、ヒトラー率いるナチス・ドイツはチェコスロバキアを完全に併合し、ボヘミアとモラヴィアを保護領として編入しました。 この行動によって第一次世界大戦後に成立したチェコスロバキア共和国は解体され、独立国家としての地位を失いました。 保護領政府には親ドイツ派の政治家が据えられ、ドイツの軍事的・経済的支配が強化されました。 この併合は国際連盟や英仏の抑止力の脆弱さを露呈し、第二次世界大戦開戦の引き金の一つとなりました。 住民の抵抗や迫害が激化し、多くのユダヤ人や反ナチス派が弾圧の対象となりました。
1939年 チェコスロバキア併合 ナチス・ドイツ ベーメン・メーレン保護領 チェコスロバキア
1943年

第二次世界大戦: 第三次ハリコフ攻防戦。ドイツ軍がハルキウ(ハリコフ)を再占領する。

第二次世界大戦中、ドイツ軍がハリコフを再占領し、東部戦線の大攻勢を展開した戦いです。
第三次ハリコフ攻防戦は1943年3月から4月にかけて東部戦線で行われ、ソ連赤軍の反攻に対しドイツ軍が逆襲をかけました。 ドイツ軍はマンシュタイン将軍らが指揮する部隊を動員し、巧妙な包囲作戦で都市を包囲しました。 激烈な戦闘の末、3月15日にドイツ軍はハリコフを奪回しました。 この戦いは東部戦線の転換点の一つとされ、ソ連軍の勢いを一時的に食い止める結果となりました。 しかし、補給線の延伸や消耗戦の影響でドイツ軍は持続的な優勢を維持できませんでした。
1943年 第二次世界大戦 第三次ハリコフ攻防戦 ドイツ軍 ハルキウ
1944年

第二次世界大戦: モンテ・カッシーノの戦いの第3回戦闘(ディッケンズ作戦)が始まる。

モンテ・カッシーノの戦い第3次(ディッケンズ作戦)が始まり、連合軍が戦局打開を図った攻勢です。
1944年3月15日、連合軍はアプス山脈の要衝モンテ・カッシーノ攻略を目的としたディッケンズ作戦を開始しました。 要塞化されたベネディクト会修道院や周辺の山岳地帯にドイツ軍が陣取り、厳しい戦況が続きました。 第3次攻撃ではアメリカ第5軍やイギリス第8軍を中心に、多国籍部隊が協力して突破を試みました。 戦闘は数週間にわたり膠着状態となりましたが、連合軍は前進を続けてローマへの道を切り開く足掛かりを築きました。
1944年 モンテ・カッシーノの戦い
1945年

第二次世界大戦: 硫黄島の戦いで、アメリカ軍が硫黄島の完全占領を発表。

硫黄島の戦いでアメリカ軍が島を完全占領し、太平洋戦線における重要な戦略拠点を確保しました。
硫黄島の戦いは1945年2月19日に始まり、日本軍は地下陣地で徹底抗戦しました。 米海兵隊を中心とする連合軍は熾烈な消耗戦を展開し、多大な犠牲を払いながら3月15日に島内全域の支配を宣言しました。 占領後、硫黄島は日本本土空襲に向けた戦略的飛行場として整備され、太平洋戦争末期の軍事行動に大きな影響を与えました。 この戦いは戦禍の過酷さを象徴し、虐殺や捕虜の処遇を含む多くの論争を生みました。 今日では戦没者を追悼するモニュメントが建立され、日米双方にとって戦争の記憶を伝える場となっています。
1945年 硫黄島の戦い 硫黄島
2011年

シリア南部ダルアー市内で反政府抗議行動が発生。長期間に及ぶシリア内戦のきっかけとなった。

シリア南部ダルアーで反政府デモが勃発し、内戦の端緒となりました。
2011年3月15日、シリア南部ダルアー市で反政府デモが発生しました。 子供たちによる反政府落書きへの治安当局の過剰弾圧が発端とされています。 デモ参加者に対する武力行使に抗議が拡大し、全国的な反政府運動に発展しました。 これが長期化するシリア内戦の開始となり、多くの犠牲者と難民を生みました。 国際社会の介入や和平交渉が続いたものの、混乱は収束に至っていません。
シリア ダルアー シリア内戦