1890年
琵琶湖疏水の第1期工事が竣工。
京都の水運と水力発電を目的に建設された琵琶湖疏水の第1期工事が完成した日。
琵琶湖疏水は京都市の水不足解消と舟運を目的に、明治時代に計画された大規模土木事業です。
第1期工事は、滋賀県の瀬田から京都市内までの水路・トンネル・閘門などが含まれ、1890年3月15日に竣工しました。
この工事により、琵琶湖の水を利用した上水道や灌漑、さらには水力発電の基盤が整備されました。
日本初の水力発電所も設置され、近代京都の産業と生活基盤に大きく貢献しました。
その後も疎水は延長・改修され、現在でも観光資源としても親しまれています。
1890年
琵琶湖疏水
1910年
兵庫電気軌道、兵庫〜須磨間開業。
兵庫電気軌道が兵庫から須磨間の路線を開業した日。
兵庫電気軌道は、明治時代末期に神戸市周辺の輸送力強化を目指して設立された電気鉄道会社です。
1910年(明治43年)3月15日、兵庫駅から須磨駅までの区間が開業し、沿線の通勤・観光客の利便性が飛躍的に向上しました。
車両は電気モーターを搭載し、蒸気機関車に比べて静粛性と加速性能に優れていました。
この開通により、神戸港から須磨海岸へのアクセスが容易になり、沿線地域の発展や別荘地開発にも寄与しました。
その後複数の延伸を経て、現在の神戸市営地下鉄や山陽電鉄などへと継承されています。
1910年
兵庫電気軌道
1928年
関東大震災からの帝都復興で架橋された清洲橋が完成。
関東大震災後の帝都復興を象徴する清洲橋が完成し、隅田川をまたぐ新たな交通ルートが開通しました。
関東大震災(1923年)の甚大な被害から東京を復興するため、市内各所で都市計画やインフラ整備が進められました。
隅田川に架かる清洲橋は、その一環として架設された鋼製アーチ橋で、復興期の建築技術を象徴します。
設計には最新の鋼材技術が導入され、耐震性と景観美を両立させています。
完成後は通勤や物流が格段に向上し、東京市街地の交通網を支える重要拠点となりました。
その優雅なアーチは当時のモダン都市景観を象徴し、現在でも名所として親しまれています。
清洲橋
1972年
山陽新幹線の新大阪駅 岡山駅間が開業。
1972年、山陽新幹線の新大阪〜岡山間が開業し、広域高速交通網が拡大しました。
東京〜新大阪間を結ぶ東海道新幹線に続き、山陽新幹線新大阪〜岡山間が3月15日に開業。これにより東京〜岡山間の所要時間が大幅に短縮され、関西と西日本地域の移動が飛躍的に便利になりました。路線延長後は1975年の岡山〜博多間開業まで暫定開業区間として運用。高速かつ定時性の高いサービスは地域経済の活性化に寄与し、新幹線ネットワークのさらなる発展を促しました。車両や運行管理技術の進歩も注目を集めました。
1972年
山陽新幹線
新大阪駅
岡山駅
1987年
北海道の国鉄瀬棚線がこの日限りで廃止。
1987年、北海道の国鉄瀬棚線が廃止され、地域鉄道の歴史に幕を閉じました。
瀬棚線は1935年に開業し、北島と瀬棚を結ぶローカル線として利用されてきました。沿線人口の減少や自動車交通の普及に伴い利用者が減少し、JNR経営再建の一環で1987年3月15日に廃止。廃止後は路線の一部がバス転換され、地域住民の足として存続を図りました。鉄道遺構は観光資源として保存される区間もあり、鉄道ファンを中心に関心を集めています。
1987年
瀬棚線
1987年
静岡県の国鉄二俣線が第三セクター鉄道・天竜浜名湖鉄道に転換。
1987年、国鉄二俣線が第三セクターの天竜浜名湖鉄道に転換されました。
静岡県で天竜川と浜名湖を結んでいた国鉄二俣線は、経営改善のため第三セクター方式に移行。1987年3月15日、地元自治体と民間が出資して天竜浜名湖鉄道が発足し、営業を引き継ぎました。転換後も景勝地を巡る観光列車や地元住民の通勤通学路線として運行を継続。車両のラッピングやイベント列車など地域振興策が導入され、沿線活性化に寄与しています。現在も地域に根ざした鉄道として親しまれています。
二俣線
第三セクター鉄道
天竜浜名湖鉄道
2008年
JR西日本おおさか東線 放出駅 久宝寺駅間が開業。
JR西日本のおおさか東線、放出~久宝寺間が開業しました。
2008年3月15日、JR西日本のおおさか東線の放出駅から久宝寺駅までの区間が開業しました。
大阪市と東大阪市を結ぶ全長約10.9kmの新路線で、沿線の利便性が大幅に向上しました。
通勤・通学の輸送力増強と、市内中心部へのアクセス短縮が主な目的です。
停車駅には鴫野駅や城北公園通駅が設置され、新駅周辺の再開発も進みました。
今後のおおさか東線全線開通に向けた第一歩として注目されました。
2008年
JR西日本
おおさか東線
放出駅
久宝寺駅
2013年
新幹線200系電車引退。すべての国鉄形新幹線が定期運用から退く。
新幹線200系電車が定期運用を終了し、全ての国鉄形車両が退役しました。
2013年3月15日、東北・上越新幹線を中心に活躍した200系電車が定期運用を正式に引退しました。
1982年の営業運転開始以来、最高速度240km/hで多くの乗客を運んできました。
リニューアル車両として登場した0番台と1000番台が、ラストランでファンに見送られました。
引退後は一部編成が鉄道博物館などで保存され、鉄道遺産として展示されています。
これで国鉄世代の車両が全て姿を消し、新世代システムへの移行が完了しました。
2013年
新幹線200系電車
2013年
東京メトロ副都心線との相互直通運転に伴い、東急東横線渋谷駅の高架ホームの営業終了。
2013年3月15日、東京メトロ副都心線と東急東横線の相互直通運転開始に備え、東急東横線渋谷駅の高架ホームが最後の営業を終えました。
2013年3月15日、東京メトロ副都心線と東急東横線の相互直通運転開始に伴い、東急東横線渋谷駅の高架ホームが最後の営業を終了しました。この措置により、渋谷駅における高架線での東横線列車の運行が終了し、地下線への切り替え工事が本格化。高架ホームの廃止は、駅周辺の都市再開発にもつながり、渋谷の街並みを一変させる契機となりました。また、相互直通運転によって都心と横浜方面がダイレクトに結ばれ、通勤・観光の利便性が大きく向上しました。
東京メトロ副都心線
東急東横線
渋谷駅