紀元前44年

ガイウス・ユリウス・カエサルがマルクス・ユニウス・ブルートゥスらに暗殺される。

古代ローマの独裁官ユリウス・カエサルが元老院で共和派の刺客に襲われ、命を落とした歴史的事件です。
紀元前44年(ユリウス暦)3月15日、ローマ元老院の会議場でガイウス・ユリウス・カエサルがマルクス・ユニウス・ブルートゥスら共和派の暗殺者たちに襲撃されました。 彼は胸部など少なくとも23箇所を刺され、その場で絶命しました。 この事件はローマ帝政成立への過程として語られ、共和政崩壊の象徴となりました。 「イドゥスの15日」として後世に名言を残し、西洋政治思想にも大きな影響を与えました。 暗殺者たちは自由の回復を掲げたが、実際には内戦を招く結果となりました。
紀元前44年 ガイウス・ユリウス・カエサル マルクス・ユニウス・ブルートゥス 暗殺 英語版
延暦16年2月13日

『続日本紀』全40巻が完成する。

奈良時代の正史『続日本紀』全40巻が完成した、古代日本史編纂の一大事業です。
797年(延暦16年)2月13日、奈良時代の正史『続日本紀』全40巻が完成しました。 天皇に先立ち編纂が進められ、六国史の五番目にあたる歴史書です。 複数の編纂担当者が政争や天変地異を記録し、律令制下の政治・文化を詳細に伝えています。 完成後は朝廷儀式や法制の参考資料として活用され、後世の歴史研究にも重要視されました。 現存する写本は少ないが、古代日本史の貴重な一次史料です。
797年 延暦 2月13日 続日本紀
1493年

クリストファー・コロンブスが、アメリカに到達した航海からスペインに帰還。

新大陸到達後の航海を終え、初めてスペインへ帰還した歴史的偉業です。
1493年3月15日、クリストファー・コロンブスは史上初の新大陸到達からの航海を終え、スペインのパロス港に帰還しました。 1492年8月に出航し、10月にバハマ諸島を発見。帰国に向け1月に出帆しました。 この帰還報告はスペイン王室に新世界の存在を伝え、大航海時代の幕開けを確定させました。 以後、ヨーロッパ諸国による植民地化と世界市場形成が加速します。 帰還船隊は財宝や先住民の捕虜を伴い、ヨーロッパで大きな話題を呼びました。
1493年 クリストファー・コロンブス アメリカ スペイン
1564年

ムガル帝国皇帝アクバルが非ヒンドゥー教徒に対するジズヤ(人頭税)の徴収を廃止。

ムガル帝国アクバル帝が宗教寛容を掲げ、非ヒンドゥー教徒への人頭税を廃止した政策です。
1564年3月15日、ムガル帝国のアクバル帝は非ヒンドゥー教徒に科される人頭税ジズヤを廃止しました。 この改革は異宗教間の寛容を掲げ、帝国内のヒンドゥー教徒やジャイナ教徒との融和を図る狙いがありました。 アクバルは宗教顧問会議を設置し、多宗教共存政策を進めました。 ジズヤ廃止後、ムガル帝国は政治的統合を強め、繁栄期を迎えました。 この政策は後のインド統治における寛容政策の先例となりました。
1564年 ムガル帝国 アクバル ジズヤ 人頭税
享保2年2月3日

徳川吉宗が大岡忠相を江戸南町奉行に登用する。

江戸幕府8代将軍徳川吉宗が名裁判官大岡忠相を南町奉行に抜擢した人事です。
享保2年(1717年)3月15日、江戸幕府8代将軍徳川吉宗は大岡忠相を南町奉行に任命しました。 大岡忠相こと大岡忠政は、公正な裁判と行政改革で評判を博した人物です。 彼の裁判記録『三方一両損』などは庶民の信頼を集め、後世に伝説となりました。 吉宗の登用は幕政改革の一環で、幕府の統治能力向上を目的としていました。 大岡忠相は後に老中格に昇進し、享保の改革を支える重臣となりました。
1717年 享保 2月3日 徳川吉宗 大岡忠相 江戸南町奉行
1775年

ジョゼフ・プリーストリーが酸素の発見の概要を記した論文を提出。

イギリスの化学者ジョゼフ・プリーストリーが酸素の性質を初めて報告した論文を発表しました。
1775年3月15日、イギリスの化学者ジョゼフ・プリーストリーは酸素の気体を分離し、その性質について論文を提出しました。 彼は鉛ガラス管を用い、酸素が燃焼を助ける成分であることを示唆しました。 この発見は当時のフロギストン説を覆し、後の酸化理論発展の礎となりました。 プリーストリーの研究はアントワーヌ・ラヴォアジエらによる近代化学の確立に大きな影響を与えました。 酸素の名称は後にラテン語で「酸を生む者」を意味するOxygeniumと命名されました。
1775年 ジョゼフ・プリーストリー 酸素
1781年

アメリカ独立戦争: ギルフォード郡庁舎の戦い

アメリカ独立戦争中、ノースカロライナ州で英米両軍が激突した重要な会戦です。
1781年3月15日、ノースカロライナ州ギルフォード郡庁舎近郊で大陸軍と英国軍が衝突しました。 大陸軍はナサニエル・グリーン将軍、英国軍はコーンウォリス将軍が指揮しました。 戦術的には英国軍が勝利を収めたものの、甚大な損害を被り兵力を消耗しました。 この消耗戦は南部戦線の流れを変え、最終的な勝利につながる要因となりました。 ギルフォードの戦いは南部戦役の転換点とも評されています。
1781年 アメリカ独立戦争 ギルフォード郡庁舎の戦い
文化3年1月26日

江戸幕府が文化の薪水給与令(撫恤令)を出す。

江戸幕府が旗本・御家人への薪水給与令を発布し、下級武士の扶助制度を整備しました。
文化3年(1806年)3月15日、江戸幕府は薪水給与令を発布しました。 この撫恤令は旗本や御家人の家禄不足を補うため、薪や水の代金を支給する制度です。 財政難の中でも下級武士層の生活安定を図り、幕政改革の一環として実施されました。 運用後は生活支援策として一定の成果を上げましたが、財政負担も増大しました。 この制度は幕末まで継続され、武士階級の維持に寄与しました。
1806年 文化 1月26日 江戸幕府 薪水給与令
1820年

ミズーリ妥協: マサチューセッツ州メイン地区が独立してアメリカ合衆国23番目の州・メイン州となる。

ミズーリ妥協の一環でメイン地区が独立し、合衆国第23州メイン州として承認されました。
1820年3月15日、マサチューセッツ州のメイン地区が独立して合衆国第23州メイン州として認められました。 この措置はミズーリ妥協の一環であり、奴隷制を容認するミズーリ州とのバランスを取る狙いがありました。 メイン州の州昇格により自由州と奴隷州の均衡が維持されました。 ミズーリ妥協は南北戦争前夜の奴隷制論争に大きな影響を与えました。 この妥協はその後の領土拡大と奴隷制問題の深刻化を予兆しました。
1820年 ミズーリ妥協 マサチューセッツ州 メイン地区 アメリカ合衆国 メイン州
1827年

トロント大学が創立される。

カナダで最古の総合大学、トロント大学が創立されました。
1827年3月15日、カナダのトロント大学が創立されました。 オックスフォード大学やケンブリッジ大学を手本とする総合大学として設立されました。 設立当初はキングスカレッジと呼ばれ、後にトロント大学に改称されました。 現在は研究・教育機関として世界的に知られる大学へと発展しています。 初期には文学部と神学部など限定的な学部構成でした。
1827年 トロント大学
1890年

琵琶湖疏水の第1期工事が竣工。

京都の水運と水力発電を目的に建設された琵琶湖疏水の第1期工事が完成した日。
琵琶湖疏水は京都市の水不足解消と舟運を目的に、明治時代に計画された大規模土木事業です。 第1期工事は、滋賀県の瀬田から京都市内までの水路・トンネル・閘門などが含まれ、1890年3月15日に竣工しました。 この工事により、琵琶湖の水を利用した上水道や灌漑、さらには水力発電の基盤が整備されました。 日本初の水力発電所も設置され、近代京都の産業と生活基盤に大きく貢献しました。 その後も疎水は延長・改修され、現在でも観光資源としても親しまれています。
1890年 琵琶湖疏水
1895年

京都で平安遷都1100年を記念して平安神宮を創建。

平安遷都1100年を祝して京都に平安神宮が創建された日。
平安神宮は、平安京遷都1100年を記念して創建された神社で、1895年(明治28年)3月15日に竣工しました。 社殿は平安時代の寝殿造を忠実に再現した壮麗な建築様式で、設計は建築家の伊東忠太が担当しました。 広大な境内には応天門や蒼龍楼・白虎楼などが配置され、朱塗りの社殿が青空に映えます。 創建以来、京都の歴史と文化を象徴する場所として多くの参拝者を集めています。 毎年春には神苑の桜やツツジが開花し、観光名所としても人気を博しています。
1895年 平安 平安神宮