明治5年2月6日

出雲・石見地域(島根県西部)でM7.1の浜田地震が発生。

島根県西部の出雲・石見地域を襲ったマグニチュード7.1の大地震。広範囲で家屋倒壊や津波被害が発生しました。
1872年(明治5年)2月6日午前3時頃、島根県西部の出雲・石見地方でマグニチュード7.1の地震が発生しました。 激しい揺れにより多くの家屋が倒壊し、沿岸部では津波も観測されました。 被災地では死者・負傷者の報告が相次ぎ、復旧には長い時間を要しました。 当時の明治政府は速やかに救援隊を派遣し、被災者支援と復興計画を進めました。 この地震は明治時代初期の大災害として記録に残っています。
1872年 明治 2月6日 出雲 石見 M 浜田地震
1929年

茨城県新治郡石岡町(現・石岡市)で石岡大火が発生。

茨城県石岡町で大規模な市街火災「石岡大火」が発生し、多数の建物が焼失した。
1929年3月14日、茨城県新治郡石岡町(現・石岡市)で激しい火災が発生しました。 強風と木造家屋が密集した地形が相まって火は瞬く間に町を襲い、多くの家屋や商店が焼失しました。 当時の消火設備は十分とはいえず、鎮火までに数時間を要し甚大な被害をもたらしました。 住民の避難と同時に近隣地域からの応援消火隊が駆けつけましたが、復興には長い年月が必要でした。 この大火は都市防火計画の見直しを促す契機ともなりました。
1929年 茨城県 新治郡 石岡市 石岡大火
1943年

和歌山県東富田村で山火事。10日間にわたり周辺10ケ村に延焼、焼失面積計14,000町歩で記録が残るものでは戦前最大規模。明神村役場、民家32戸も焼失。

和歌山県東富田村で発生した大規模山火事が10日間燃え続け、戦前最大規模の焼失面積を記録。
1943年3月14日、和歌山県東富田村で山火事が発生し、乾燥した気候と強風により急速に拡大しました。 火は10日間燃え続け、周辺10か村を焼き尽くし、総焼失面積は14,000町歩に達しました。 明神村役場や民家32戸が焼失し、地域の農林業や住民生活に深刻な打撃を与えました。 消火活動には近隣の村々や軍隊も動員されましたが、鎮火には時間を要しました。 この山火事は戦前日本で記録された山火事被害として最大規模とされ、森林管理の教訓となりました。
和歌山県 東富田村 山火事 明神村
1979年

北京市郊外の工場に軍用機が墜落。乗員・乗客12人を含む工場の従業員など180人以上が死亡。

1979年3月14日、北京市郊外の工場に軍用機が墜落し、180人以上が死亡する大事故となった。
1979年3月14日未明、北京市郊外を飛行中の軍用機が制御を失い工場敷地内に墜落しました。乗員・乗客12人を含む工場従業員ら180人以上が死亡し、多くの建屋も大きな被害を受けました。墜落の原因は公式に発表されておらず、技術的トラブルか操縦ミスか定かではありません。現場は直ちに軍と警察によって封鎖され、救援活動が行われました。事故は当時の中国人民解放軍航空部門に大きな衝撃を与え、安全管理体制の見直しが求められました。
北京市
1979年

アリア=ロイヤル・ヨルダン航空600便墜落事故: ドーハ国際空港でロイヤル・ヨルダン航空機が着陸に失敗して墜落。乗員・乗客64人のうち45人(うち日本人2人)が死亡。

1979年3月14日、ドーハ国際空港でロイヤル・ヨルダン航空600便が着陸に失敗し墜落、45人が死亡した。
1979年3月14日、アリア=ロイヤル・ヨルダン航空600便(ボーイング737型機)がドーハ国際空港への着陸進入中に滑走路を外れて墜落しました。機内には乗員・乗客合わせて64人が搭乗しており、そのうち45人が死亡、うち日本人2人を含んでいました。現地報道によれば、悪天候による視界不良や機材トラブルが事故の一因と推測されています。墜落現場では機体が大破し、大規模な救助・捜索活動が夜通し行われました。事故後、航空当局は安全管理体制の強化と操縦教育の見直しを実施しました。
アリア=ロイヤル・ヨルダン航空600便墜落事故 ドーハ国際空港 ロイヤル・ヨルダン航空
1991年

広島新交通システム橋桁落下事故

1991年3月14日、広島新交通システムで橋桁が落下し、列車が脱線する事故が発生した。
1991年3月14日、広島市内を走行する新交通システム(アストラムライン)の高架橋工事中に橋桁が突然落下しました。落下した橋桁は走行中の列車に直撃し、列車は脱線して大破しました。事故により乗客や作業員に死傷者が報告され、現場は緊急封鎖されました。市や事業者は速やかに復旧作業と安全調査を実施し、同系統の設備点検を強化しました。この事故は都市型交通システムの構造安全性に関する課題を浮き彫りにし、今後のインフラ整備における安全対策の見直しを促す契機となりました。
1991年 広島新交通システム橋桁落下事故
2011年

東日本大震災・福島第一原子力発電所事故: 福島第一原子力発電所の3号機が水素爆発。

福島第一原子力発電所3号機が水素爆発を起こした日です。
2011年3月14日、東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所事故で3号機原子炉建屋が水素爆発を起こしました。この爆発により放射性物質が大気中に放出され、周辺住民の避難指示が拡大される事態となりました。1号機に続く爆発は事故の深刻さを世界に印象づけ、東京電力の危機管理体制や原子力安全規制の見直しが急務となりました。後に廃炉作業が長期にわたるプロジェクトとして開始され、環境回復と廃炉技術の開発が重要課題として浮上しています。
2011年 東日本大震災 福島第一原子力発電所事故 福島第一原子力発電所 水素爆発