1688年

アントワーヌ・フレティエール

(1619 - 1688)

作家、辞書編集者

作家 辞書編集者
フランスの辞書編纂者・作家。『普遍的辞典』を刊行し、百科事典編纂の先駆者となった。
1619年にブレダ(現オランダ)で生まれ、フランスで教育を受けた。1646年にアカデミー・フランセーズの会員となり辞書編纂に携わる。1680年に『Dictionnaire universel(普遍的辞典)』を刊行し、言語学と百科事典的知識の体系化に革新をもたらした。アカデミーとの確執を経て学術出版の道を切り開き、1688年3月14日に没した。
1688年 アントワーヌ・フレティエール フランス語版 1619年
1710年

ミシェル・ベゴン

(1638 - 1710)

植民地官僚、博物学者、元ロシュフォール港海事総監、ラ・ロシェル総監、植物収集家

植民地官僚 博物学者 元ロシュフォール港海事総監 ラ・ロシェル総監 植物収集家
フランスの植民地官僚で博物学者としても知られる人物。ロシュフォール港海事総監やラ・ロシェル総監を務め、多数の植物標本を収集した。
ミシェル・ベゴンは1638年に生まれ、1710年に没したフランスの植民地官僚・博物学者。 ロシュフォール港海事総監やラ・ロシェル総監として植民地の行政に従事した。 博物学者としては熱心に植物を収集し、当時の自然史研究に貢献した。 彼の名前は植物学においてベゴニア属として後世にも残されている。 フランス植民地行政と博物学を繋ぐ人物として知られる。
1710年 ミシェル・ベゴン 英語版 ロシュフォール ラ・ロシェル 1638年
1874年

ヨハン・ハインリッヒ・メドラー

(1794 - 1874)

天文学者

天文学者
ドイツの天文学者。ビアーと共同で月面図を製作し、火星の自転周期を精密に測定した。
ヨハン・ハインリッヒ・メドラー(1794年–1874年)は、ドイツ生まれの天文学者で、天体観測と地図作成の分野で画期的な業績を残しました。ウィルヘルム・ビアーとともに1830年から1836年にかけて『Mappa Selenographica』を刊行し、当時最高精度の月面図を制作しました。さらに、独自の観測技術を用いて火星の自転周期を24時間37分22秒と極めて正確に算出し、その成果は後の惑星研究に大きな影響を与えました。1845年にはロシア帝国のプルコヴォ天文台長に任命され、学術研究と観測施設の整備に尽力しました。著作には恒星の固有運動や系外星雲に関する論文があり、19世紀の天文学発展を支えた重要人物です。
1874年 ヨハン・ハインリッヒ・メドラー 天文学者 1794年
1899年

ハイマン・シュタインタール

(1823 - 1899)

言語学者

言語学者
ドイツの言語学者・心理学者。言語と心的現象の関係を探求した先駆者。
ハイマン・シュタインタール(1823年–1899年)は、ユダヤ系ドイツ人の言語学者・心理学者で、社会的・文化的視点から言語現象を考察する心理民族学(ヴェルカーシュトプシコロギー)の創始者の一人です。ヴィルヘルム・ヴントとともに言語心理学の基礎を築き、『ヴェルカーシュトプシコロギーとスピリチュアルライフの科学』などの著作で知られます。彼は言語を単なる文法体系としてではなく、集団の心理や文化的背景を映す鏡と捉え、言語習得や概念形成の心理的側面に焦点を当てました。幅広い言語資料を収集・分析し、比較言語学と心理学を結びつける研究を展開しました。1899年3月14日にこの世を去り、その業績は後世に語り継がれています。
1899年 ハイマン・シュタインタール 言語学者 1823年
1908年

レスター・アラン・ペルトン

(1829 - 1908)

発明家、ペルトン水車を発明

発明家 ペルトン水車を発明
アメリカの発明家。ペルトン水車を開発し水力発電の効率化に貢献した。
レスター・アラン・ペルトン(1829年–1908年)は、カリフォルニアで生まれた発明家・機械技術者です。鉱山の動力源として使用されていた水車の性能を向上させるため、インパルス水車の新型を設計しました。1879年頃に特許を取得したペルトン水車は、高落差の流水エネルギーを効率良く回転力に変換できるため、世界中の水力発電プラントで広く採用されました。その耐久性と高効率は今日でも評価されており、ペルトンの功績は近代水力技術の礎となっています。晩年は発明業績により数々の賞を受賞し、1908年3月14日に生涯を終えました。
1908年 レスター・アラン・ペルトン ペルトン水車 1829年
1921年

飯島魁

(1861 - 1921)

動物学者、魚類学者

動物学者 魚類学者
日本の動物学者・魚類学者。日本産魚類の分類研究を切り開いた先駆者。
飯島魁(1861年–1921年)は、山形県出身の動物学者・魚類学者で、東京帝国大学(現東京大学)で学んだ後、多数の日本産魚類を記載学的に研究しました。北海道や東北地方の河川や湖沼で採集調査を行い、新種の同定や生態観察を通じて日本の魚類相の解明に寄与しました。大学では教授として後進の育成にあたり、多くの研究者を輩出しました。著書には『日本産淡水魚類図説』などがあり、これらは日本の魚類分類学の基礎文献とされています。1921年3月14日に逝去し、その功績は国内の生物学研究において現在も高く評価されています。
1921年 飯島魁 動物学 魚類学者 1861年
1968年

エルヴィン・パノフスキー

(1892 - 1968)

美術史家

美術史家
20世紀を代表する美術史家。アイコノロジーの手法を確立し、作品の象徴的意味を探究した。
1892年にドイツ・ハンブルクで生まれ、フライブルク大学で学んだ後、美術史の研究に従事した。ナチス政権下を避けてアメリカに亡命し、プリンストン大学教授として教鞭を執った。アイコノロジー(図像学)の方法論を確立し、絵画や彫刻に込められた象徴的意味を解読する学問を発展させた。代表作に『初期フランドル絵画の研究』がある。1968年に死去した。
1968年 エルヴィン・パノフスキー 美術史家 1892年
1970年

フレデリック・パールズ

(1893 - 1970)

精神科医、精神分析医

精神科医 精神分析医
ゲシュタルト療法の創始者の一人である精神科医・精神分析医。
1893年にドイツ・ベルリンで生まれ、精神分析を学んだ。ユダヤ人迫害を逃れ南アフリカに移住し、妻ローラとともにゲシュタルト療法を体系化した。1950年代にアメリカへ渡り、ニューヨークでゲシュタルト研究所を設立して臨床と教育を通じて技法を広めた。自己の気づきを重視する斬新な心理療法は世界中に影響を与えた。1970年に死去した。
1970年 フレデリック・パールズ 1893年
1970年

船田亨二

(1898 - 1970)

法学者、政治家、元作新学院院長・行政管理庁長官・賠償庁長官

法学者 政治家 元作新学院院長・行政管理庁長官・賠償庁長官
日本の法学者・政治家。行政管理庁長官や賠償庁長官を歴任し、教育分野にも関与した。
1898年に生まれ、東京帝国大学法学部を卒業後、法学者として研究と教育に従事した。戦後は政治家として衆議院議員も務め、行政管理庁長官として行政改革を推進した。賠償庁長官として戦後賠償の処理にあたり、国民生活の安定に貢献した。また作新学院の院長として教育界にも携わった。1970年に死去した。
船田亨二 作新学院 行政管理庁長官 賠償庁長官 1898年
1973年

ハワード・エイケン

(1900 - 1973)

情報工学者

情報工学者
IBMハーバード・マークIを開発した情報工学者。
1900年にミズーリ州に生まれ、ハーバード大学で数学と物理を学んだ。第二次世界大戦中にIBMと共同で海軍向け計算機ハーバード・マークIを設計・開発し、大規模計算機の先駆者となった。戦後はハーバード大学で教鞭を執り、コンピュータ科学と工学の発展に寄与した。1973年に死去した。
1973年 ハワード・エイケン 情報工学者 1900年
1984年

アウレリオ・ペッチェイ

(1908 - 1984)

経済学者、実業家、ローマクラブ初代会長

経済学者 実業家 ローマクラブ初代会長
イタリアの経済学者・実業家で、ローマクラブの初代会長。
1908年にイタリアで生まれる。 パドヴァ大学で経済学を学んだ後、企業経営に携わり、オリベッティ社などで要職を歴任。 1972年に地球環境と資源問題を議論する場としてローマクラブを設立し、初代会長に就任。 持続可能な開発の必要性を世界に訴え、『成長の限界』報告書などを通じて環境運動に大きな影響を与えた。 1984年3月14日に死去した。
1984年 アウレリオ・ペッチェイ ローマクラブ 1908年
1990年

池田潔

(1903 - 1990)

英文学者

英文学者
日本の英文学者。主にイギリス文学を専門とし、多くの研究・翻訳を手掛けた。
1903年に生まれ、英文学研究に身を捧げた。 大学で講師を務め、シェイクスピアやジョイスの研究で知られる。 翻訳や論文を多数発表し、日本における英文学の普及に貢献。 若手研究者の育成にも力を注ぎ、多くの門下生を輩出。 1990年に逝去。
1990年 池田潔 英文学者 1903年