1848年
オーストリア三月革命によって、オーストリア宰相メッテルニヒが失脚、ロンドンに亡命。
オーストリア三月革命によって宰相メッテルニヒが失脚し、亡命を余儀なくされた政治的転換点。
1848年3月、ウィーン市内で自由主義や民族主義を求める民衆運動が激化した。
抗議デモは皇帝フランツ・ヨーゼフ1世にも波及し、長年権力を握ってきた宰相クレメンス・フォン・メッテルニヒは責任を問われた。
3月13日にメッテルニヒは辞任し、ロンドンへ逃れて亡命生活を送る。
この革命はハプスブルク帝国内での改革要求と国民運動の高まりを象徴し、ヨーロッパ各地の三月革命とも連動した。
メッテルニヒ失脚以降、オーストリアは一時的に自由主義的方向へ舵を切った。
1848年
オーストリア三月革命
メッテルニヒ
亡命
1957年
チャタレー裁判で最高裁が上告を棄却。訳者伊藤整と出版社社長の猥褻物頒布罪による有罪が確定。
『チャタレー夫人の恋人』訳者・出版社社長の有罪判決が確定し、検閲と表現の自由が問われた裁判です。
1957年3月13日、最高裁判所はD・H・ロレンスの小説『チャタレー夫人の恋人』日本語訳の訳者・伊藤整と出版社社長に対する猥褻物頒布罪の上告を棄却し、有罪判決を確定しました。当時の日本では戦後の解放的風潮の中で出版界に大きな注目が集まっており、文学作品の検閲をめぐる論争が白熱していました。裁判は言論・表現の自由と公共の道徳の境界をめぐる重要な判例となり、出版界に衝撃を与えました。以後、表現規制に対する批判と自主規制の在り方が国内で議論される一因となりました。文学や文化の発展における検閲の問題が社会的なテーマとして浮上した契機でもありました。
1957年
チャタレー裁判
伊藤整
猥褻物頒布罪
1964年
キティ・ジェノヴィーズ事件: ニューヨークでキティ・ジェノヴィーズが自宅アパート前で殺害され、他の住人は被害者の叫び声を無視していた。この事件を機に傍観者効果が提唱される。
自宅前で殺害されたキティ・ジェノヴィーズ事件が傍観者効果を浮き彫りにした。
1964年3月13日、NYブルックリンのアパート前でキティ・ジェノヴィーズが襲撃されました。
被害者の叫び声を聞きながらも通行人や住人が通報せず、緊急対応の遅れが大きな衝撃を呼びました。
この事件をきっかけに社会心理学者らは「傍観者効果」を提唱し、人の集団行動に関する研究が進展しました。
傍観者効果は事件や緊急時の対応を考える上で重要な理論となり、警察や教育現場で取り上げられました。
事件は犯罪史だけでなく、集団心理の理解に大きな影響を与えました。
1964年
キティ・ジェノヴィーズ事件
ニューヨーク
傍観者効果
1970年
全国商工団体連合会(全商連)が「重税反対行動デー」を開催。以後「重税反対全国統一行動」として原則この日に開催。
全国商工団体連合会が重税反対行動デーを初めて開催し、以後全国統一行動として継続された。
1970年3月13日、全国商工団体連合会(全商連)が東京を中心に「重税反対行動デー」を開催しました。
高い税負担に苦しむ中小企業や商店主が一斉に意思表示を行い、大規模な抗議運動となりました。
以後、この取り組みは「重税反対全国統一行動」として毎年3月13日に定着しました。
国や地方自治体に対する財政政策の見直しを求める社会運動として、長年にわたり議論を喚起してきました。
現在も税制改革のシンボル的イベントとして知られています。
1970年
全国商工団体連合会
全商連
重税反対全国統一行動
1973年
上尾駅で上尾事件が発生。
1973年
上尾駅
上尾事件
1977年
谷津遊園にコークスクリュータイプのジェットコースターが営業開始。この後、遊園地の目玉アトラクションとして各地で導入へ。
谷津遊園に日本初となるコークスクリュー型ジェットコースターが登場。
1977年3月13日、千葉県の谷津遊園でコークスクリュータイプのジェットコースターが営業を開始しました。
海外から導入された直線路とループ形状を組み合わせた設計は、日本の遊園地で初めての試みでした。
大きな旋回や宙返りが人気を呼び、以降多くの遊園地に同タイプのアトラクションが導入されるきっかけとなりました。
当時の子どもや若者の間で話題となり、遊園地ブームをさらに加速させました。
現在もコークスクリューコースターはローラーコースターの定番スタイルとして親しまれています。
1977年
谷津遊園
ジェットコースター