1923年
目黒蒲田電鉄(東京急行電鉄の前身)目蒲線、目黒 丸子(現・沼部)間が開通。
目蒲線の目黒~丸子間が開通し、東京南西部への鉄道ネットワークが拡大した日です。
1923年3月11日、目黒蒲田電鉄(東京急行電鉄の前身)の目蒲線、目黒~丸子(現・沼部)間が開通しました。
この開通により、目黒から多摩川両岸を結ぶ新たな交通ルートが誕生。
沿線の住宅地や工業地帯へのアクセスが向上し、地域の発展を後押ししました。
大正時代末期の都市化を象徴する路線開設で、現在の東急目黒線の礎となっています。
乗客数の増加や周辺商業施設の拡充など、地域経済にも大きな影響を与えました。
1923年
東京急行電鉄
目蒲線
目黒
沼部
1933年
成田線にて笹川~松岸間が開通し、これにより成田線は全線開通を迎えた。
成田線の笹川~松岸間が開通し、同路線がついに全線での運行を開始しました。
1933年3月11日、国鉄成田線の笹川~松岸間が正式に開業。
これにより千葉県北東部を縦断する成田線の全線が完成し、成田空港へのアクセスの基礎が築かれました。
沿線には農村地帯や工業地帯が広がり、地域住民や貨物輸送の利便性が向上。
戦後は旅客列車だけでなく、空港連絡列車としても重要な役割を果たしました。
現在もJR成田線として、多くの通勤・通学客に利用されています。
1933年
成田線
笹川
松岸
1970年
ボーイング747(ジャンボジェット)が日本へ初飛行。
1970年3月11日、ボーイング747型機が日本への定期便で初飛行を行い、ジャンボジェット時代の幕開けとなった。
1970年3月11日、超大型旅客機ボーイング747が日本への定期路線に初飛行を実施した。
従来機を大きく上回る座席数と航続距離を持つ幅広胴体機は「ジャンボジェット」と呼ばれた。
この飛来は日本の航空会社が次世代大型機の導入を検討するきっかけとなった。
大量輸送によるコスト削減と利便性向上が実証され、国際線の拡大を後押しした。
ボーイング747はその後も長年にわたり各社の主力機として運航された。
1970年
ボーイング747
1989年
JR四国が鉄道総合研究所と共同開発した世界初の制御付振子式2000系気動車が運行開始。
JR四国と鉄道総合研究所が共同開発した2000系気動車の運行が始まりました。制御付振子式を採用し、曲線走行時の傾斜で乗り心地を向上させた点が画期的です。
1989年3月11日、JR四国と鉄道総合研究所が共同で開発した世界初の制御付振子式気動車「2000系」が運行を開始しました。
通常の車体傾斜ではなく、車両自体に制御システムを組み込み、曲線通過時に自動で車体を傾ける方式を採用。乗客の快適性を大きく向上させる技術革新を実現しました。
この技術は山間部が多い四国の路線に適応し、従来より高速で安全な運行を可能にした点で鉄道技術史において重要視されています。
その後、振子式車両は全国各地でも採用され、現在の特急車両の基礎となる技術として高く評価されています。
開発に当たっては空力試験や車体構造の最適化など多くの研究が行われ、日本の鉄道技術力を世界に示すモデルケースとなりました。
JR四国
鉄道総合研究所
2010年
茨城県にて、航空自衛隊百里飛行場が茨城空港として民間共用を開始。
2010年3月11日、茨城県の百里飛行場が茨城空港として民間機の運航を開始しました。
百里飛行場はもともと航空自衛隊の基地でしたが、地域振興を目的に民間共用化されました。
新設された旅客ターミナルからは北海道、沖縄などへの定期便が就航しました。
空港の開業は地元観光やビジネスの活性化、緊急時の防災拠点としても期待されました。
駐車場やアクセス道路が整備され、首都圏からの利用もしやすくなりました。
官民連携による地方空港モデルとして注目を集めました。
茨城県
航空自衛隊
百里飛行場