1977年

アメリカ、ワシントンD.C.の市役所、ユダヤ人共済組合本部ビル、回教徒センタービルの三ヶ所が襲撃を受け、一時は市長を含めた100人以上が人質となる事件が発生。2人が死亡し、11人以上が負傷した。

1977年3月9日、ワシントンD.C.の複数施設が襲撃され、市長ら100人以上が人質となる事件が発生しました。
1977年3月9日、アメリカ・ワシントンD.C.の市役所、ユダヤ人共済組合本部ビル、回教徒センタービルが同時に襲撃されました。 襲撃犯は人質を取り、一時は市長を含む100人以上が立てこもり状態となりました。 事態収拾のためFBIなどの捜査機関が交渉に当たり、緊迫した状況が続きました。 最終的に2人が死亡、11人以上が負傷し、アメリカ国内に大きな衝撃を与えました。 この事件は都市テロの一例として記憶され、テロ対策の強化を促す契機となりました。
1977年 ワシントンD.C.
1984年

同年2月13日以降消息を絶った植村直己の捜索が、生存の見込みなしとしてこの日で打ち切られる。

1984年3月9日以降、消息を絶っていた探検家・植村直己の捜索が打ち切られました。
1984年3月9日、極地探検家として知られる植村直己の捜索活動が生存の見込みなしとして打ち切られました。 植村は前年2月13日にカナダ北極圏で行方不明となり、約1年にわたり捜索が続けられていました。 過酷な気象条件と険しい地形により、捜索隊は十分な成果を得られず苦戦しました。 打ち切りの発表は国内外で大きな反響を呼び、冒険の危険性と限界を改めて示しました。 植村の業績は多くの冒険家に影響を与え、日本の探検史において特別な位置を占めています。
2月13日 植村直己