1801年

ジェームズ・フィンレイがアメリカ・ペンシルベニア州に初の近代吊橋・ジェイコブズ・クリーク橋を建設。

ジェームズ・フィンレイがペンシルベニア州にアメリカ初の近代的鉄鎖吊橋を架設した。
ジェイコブズ・クリークに架けられたこの橋は、木製の鉄鎖を用いた初期の吊橋構造を採用。 フィンレイは連結鋼線の原理を応用し、従来の橋梁技術に革新をもたらした。 橋長約30メートルで、通行の安全性と耐久性を大幅に向上させた。 この成功例は世界中の吊橋建設に影響を与え、近代土木工学の発展に寄与した。 フィンレイの業績は後のゴールデンゲートブリッジなど大規模吊橋の礎となった。
1801年 ジェームズ・フィンレイ 英語版 アメリカ ペンシルベニア州 吊橋 ジェイコブズ・クリーク橋 英語版
1903年

東京・神田で「萬世橋(万世橋)」が架橋。昌平橋の仮木橋の場所に架けられたため、新万世橋と呼ばれた。1930年(昭和5年)に現在のアーチ橋に架け替えられた。

1903年3月8日、東京・神田の昌平橋仮木橋跡に萬世橋が架橋され、「新万世橋」と称されました。
1903年3月8日に東京・神田で萬世橋が架橋された。 仮木橋のあった昌平橋の位置に新設されたため「新万世橋」と呼ばれ、地域の交通を支える要所となった。 1930年には鉄筋コンクリート製のアーチ橋に架け替えられ、現在も神田川をまたぐランドマークとして親しまれている。 当初の橋は木造だったが、架け替え後は耐久性が高まり、今日まで残る構造美が評価されている。 歴史的景観と実用性を兼ね備えた名橋として、地域文化にも貢献している。
1903年 万世橋 1930年
1957年

シナイ半島とガザ地区からのイスラエル軍撤退完了後、閉鎖されていたスエズ運河が再開される。

スエズ動乱終結後にスエズ運河が再開し、地中海と紅海を結ぶ海上ルートが復活。
1957年3月8日、第二次中東戦争(スエズ動乱)後、シナイ半島とガザ地区からイスラエル軍の撤退が完了し、閉鎖されていたスエズ運河が再開された。 エジプト政府が運河管理権を掌握し、国際貿易における重要海路が復活した。 運河再開は欧州とアジア・アフリカ間の物流を大幅に短縮し、世界経済への影響が大きかった。 中東情勢の緊張緩和の一歩とされ、国際社会は航行の安全確保に注目した。 以降も運河は地域紛争や冷戦の影響を受けつつも、国際貿易の要衝として機能し続けている。
1957年 スエズ運河
1974年

パリのシャルル・ド・ゴール国際空港が開港。

1974年3月8日、フランス・パリ郊外にシャルル・ド・ゴール国際空港が開港しました。ヨーロッパ有数のハブ空港として成長を遂げています。
1974年3月8日、フランスの首都パリ郊外に位置するシャルル・ド・ゴール国際空港が開港しました。 従来のオルリー空港の混雑緩和と将来の航空需要増加に対応するために建設された空港です。 設計は著名な建築家ポール・アンドリューによるターミナル1等が特徴的です。 開港当初から多くの国際線が就航し、ヨーロッパの主要ハブ空港としての地位を確立しました。 現在では年間数千万人の旅客を扱い、パリ近郊の交通インフラの要となっています。
1974年 パリ シャルル・ド・ゴール国際空港
1997年

JR東西線開業。

京阪神エリアを東西に結ぶJR東西線が開業し、輸送力と利便性が大幅に向上しました。
1997年3月8日、JR西日本の新路線『JR東西線』が開業し、大阪市と神戸市を結ぶ重要な鉄道路線として運用を開始しました。 総延長約12.5kmで、大阪市内の大阪城北詰駅(当時)から尼崎駅までを結び、沿線の交通渋滞緩和に寄与しました。 沿線には高架橋やトンネルなど高度な土木構造物が採用され、都市部への環境配慮も図られました。 通勤・通学客を中心に多くの利用者を集め、沿線地域の再開発や商業施設の活性化を促しました。 開業に伴い、既存の路線との乗り換え利便性が向上し、京阪神間の鉄道ネットワークが一層強化されました。
1997年 JR東西線
2000年

東京都目黒区の中目黒駅近くにて、営団地下鉄(現:東京地下鉄)日比谷線の脱線事故。5人が死亡。60人以上が負傷。(営団日比谷線脱線衝突事故)

東京地下鉄日比谷線で脱線・衝突事故が発生し、5人が死亡、60人以上が負傷する大惨事となりました。
2000年3月8日未明、営団地下鉄(現:東京地下鉄)日比谷線の中目黒駅付近で車両が脱線し、続行列車と衝突する事故が発生しました。 事故は線路切替ポイント付近で起き、脱線した列車が対向する車両と衝突しました。 この事故により乗客5人が死亡、60人以上が負傷し、現場は一時大混乱となりました。 原因調査では設備の老朽化や信号システムの不具合、運行管理体制の問題などが指摘されました。 事故を受けて地下鉄各社は保守点検の強化や緊急対応マニュアルの見直しを実施し、安全対策の徹底を図りました。
2000年 東京都 目黒区 中目黒駅 営団地下鉄(現:東京地下鉄)日比谷線 営団日比谷線脱線衝突事故
2008年

北関東自動車道・伊勢崎IC〜太田桐生IC間が開通。

群馬県を横断する北関東自動車道の伊勢崎ICから太田桐生IC間が開通し、東京・東北方面と関東内陸部の交通利便性が大きく向上しました。
2008年3月8日、群馬県内の伊勢崎IC〜太田桐生IC間(約32km)が開通しました。 この区間は北関東自動車道の重要な部分を構成し、太田市や桐生市方面へのアクセスを大幅に短縮。 開通前は一般道利用で渋滞が深刻化していましたが、自動車道開通により所要時間が短縮され物流効率も向上。 また関越自動車道や東北自動車道との連結が強化され、広域的な交通ネットワークが整備されました。 地域経済の活性化や観光振興への期待も高まり、その後の周辺開発に寄与しています。
2008年 北関東自動車道 伊勢崎IC 太田桐生IC