161年

第16代ローマ帝国皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスとルキウス・ウェルスが即位

マルクス・アウレリウスとルキウス・ウェルスが共同皇帝に即位し、アントニウス朝ローマ帝国の安定を図った。
ローマ皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスとルキウス・ウェルスが同日に皇帝位を継承。 マルクスは哲人皇帝として知られ、『自省録』を著しながら内政と学問を重んじた。 ルキウスは共同統治者として主に西方辺境の防衛を担い、軍事的役割を果たした。 二人による異例の共同統治は帝国の安定維持を目的とした政治実験とされる。 この体制はアントニウス朝の最盛期を支え、ローマの平和と繁栄に大きく寄与した。
161年
1669年

イタリアのシチリア島にあるエトナ火山が噴火。主に溶岩流により、約1万人が死亡。

シチリア島のエトナ火山が大規模に噴火し、溶岩流が広範囲を襲って約1万人の死者を出した。
噴火は1669年3月に始まり、数ヶ月にわたり活発な火山活動を続けた。 流れ出した溶岩は南西斜面に広がり、複数の村落や農地を破壊した。 当時の記録では死者は約1万人と推定され、シチリア島史上最大級の被害となった。 避難や救援活動は困難を極め、壊滅的な被害は後世の火山学研究にも重要な資料を提供した。 この噴火は自然災害の脅威と防災の重要性を顕在化させる出来事となった。
1669年 イタリア シチリア島 エトナ火山 溶岩流
1702年

アンがイングランド・スコットランド・アイルランド女王に即位。

アンがイングランド・スコットランド・アイルランドの女王に即位し、ステュアート朝最後の君主として治世を開始した。
ウィリアム3世の死去を受け、妹メアリー2世の後を継いでアンが単独女王として即位。 在位中にスペイン継承戦争が勃発し、イギリスの国際的地位が向上した。 1707年にはイングランドとスコットランドが連合法により正式に統合され、グレートブリテン王国が成立。 アンの治世は議会権力の強化と王権の均衡が進んだ時期とされる。 彼女の死去をもってステュアート朝は断絶し、ハノーヴァー朝へと移行した。
1702年 アン イングランド スコットランド アイルランド
1801年

ジェームズ・フィンレイがアメリカ・ペンシルベニア州に初の近代吊橋・ジェイコブズ・クリーク橋を建設。

ジェームズ・フィンレイがペンシルベニア州にアメリカ初の近代的鉄鎖吊橋を架設した。
ジェイコブズ・クリークに架けられたこの橋は、木製の鉄鎖を用いた初期の吊橋構造を採用。 フィンレイは連結鋼線の原理を応用し、従来の橋梁技術に革新をもたらした。 橋長約30メートルで、通行の安全性と耐久性を大幅に向上させた。 この成功例は世界中の吊橋建設に影響を与え、近代土木工学の発展に寄与した。 フィンレイの業績は後のゴールデンゲートブリッジなど大規模吊橋の礎となった。
1801年 ジェームズ・フィンレイ 英語版 アメリカ ペンシルベニア州 吊橋 ジェイコブズ・クリーク橋 英語版
1817年

ニューヨーク証券取引所が発足する。

ニューヨーク証券取引所(NYSE)がボタニュウッド協定を基に正式に発足した。
24人の株式仲買人がウォール街の木の板の下に集い、『ボタニュウッド協定』を締結。 これが後のニューヨーク証券取引所の起源となった。 取引所としての売買ルールと運営体制が整備され、近代的な証券市場の基礎を築いた。 19世紀後半には急速に拡大し、世界有数の金融市場へと成長を遂げる。 現在もNYSEは世界最大級の証券取引所としてグローバル経済を支えている。
1817年 ニューヨーク証券取引所
1844年

オスカル1世がスウェーデン・ノルウェー王に即位。

オスカル1世がスウェーデンとノルウェーの同君連合で王位を継承し、近代化改革を推進した。
父カール14世ヨハンの死去を受け、オスカル1世が両国王に即位。 リベラルな思想を持つ君主として、司法制度や議会制度の近代化を推進。 ノルウェーとの同君連合では両国の権利と伝統のバランスを保つ統治を行った。 産業振興やインフラ整備に注力し、経済発展に寄与した。 また芸術や学問の庇護者として知られ、文化交流を奨励した。
1844年 オスカル1世 スウェーデン ノルウェー
1862年

南北戦争: ハンプトン・ローズ海戦が始まる。

南北戦争の中で南軍と北軍の鉄甲艦が初めて衝突したハンプトン・ローズ海戦が始まった。
バージニア州ハンプトン・ローズ沖で南軍のCSSバージニアと北軍のUSSモニターが激突。 世界初の鉄甲艦同士の海戦とされ、近代海戦の幕開けとなった。 従来の木造艦船の脆弱性が露呈し、軍艦設計に革命的な影響を与えた。 戦術的には決定的勝敗はつかなかったが、両軍とも損傷を受けた。 この海戦はその後の海軍技術・戦略の発展を促す転機となった。
1862年 南北戦争 ハンプトン・ローズ海戦
慶応4年2月15日

堺事件が起こる。

幕末の堺でフランス軍人と藩士が衝突し、多数の死傷者を出した堺事件が発生。
慶応4年2月15日、堺港に上陸したフランス軍人が飲酒・不品行を行い地元薩摩藩士と衝突。 軍人らは囲まれ銃撃を受け、計11名のフランス兵が死亡あるいは負傷した。 事件後、江戸幕府は賠償金支払いと関係者の処罰を約束して外交的緊張を回避。 その後、堺藩士23名が江戸で斬首され、武士道と近代法の狭間で国内外に波紋を広げた。 堺事件は幕末日本の外交史における重要な事例とされる。
1868年 2月15日 堺事件
1891年

2月に竣工した日本ハリストス正教会の東京復活大聖堂(ニコライ堂)で、成聖式が執り行わる。

日本ハリストス正教会の東京復活大聖堂(ニコライ堂)が成聖式を迎え、公式に礼拝所として完成した。
司祭ニコライ(ウラジーミル大主教)の寄贈により建設された煉瓦造の大聖堂が完成。 ビザンティン様式を取り入れたドーム建築は当時の最先端技術を示す。 成聖式には政府高官や貴族も参列し、日本における正教会の存在感が高まる。 設計はイタリア人技師ボアソナードの影響を受け、建築史的価値が認められる。 現在は重要文化財に指定され、東京・御茶ノ水の象徴的建築として親しまれている。
1891年 日本ハリストス正教会 ニコライ堂
1900年

フランスの旅行ガイドブック『ギド・ミシュラン』が創刊。

ミシュラン社が自動車利用者向けに旅行ガイド『ギド・ミシュラン』を創刊し、観光文化に一石を投じた。
当初は無料で配布され、地図や旅程、宿泊・飲食店情報を網羅していた。 ガイドは自動車利用促進とタイヤ販売を目的に作られ、多くのドライバーに支持される。 1926年にはレストラン格付けの星制度を導入し、美食ガイドの先駆けとなる。 やがて独立したブランドとして世界中に広がり、旅行・グルメ双方の権威を築いた。 現在もミシュランガイドは世界中の食通や旅行者にとって必携の情報源となっている。
1900年 ギド・ミシュラン
1903年

東京・神田で「萬世橋(万世橋)」が架橋。昌平橋の仮木橋の場所に架けられたため、新万世橋と呼ばれた。1930年(昭和5年)に現在のアーチ橋に架け替えられた。

1903年3月8日、東京・神田の昌平橋仮木橋跡に萬世橋が架橋され、「新万世橋」と称されました。
1903年3月8日に東京・神田で萬世橋が架橋された。 仮木橋のあった昌平橋の位置に新設されたため「新万世橋」と呼ばれ、地域の交通を支える要所となった。 1930年には鉄筋コンクリート製のアーチ橋に架け替えられ、現在も神田川をまたぐランドマークとして親しまれている。 当初の橋は木造だったが、架け替え後は耐久性が高まり、今日まで残る構造美が評価されている。 歴史的景観と実用性を兼ね備えた名橋として、地域文化にも貢献している。
1903年 万世橋 1930年
1904年

ニューヨークで婦人参政権を求めるデモ、後にこの日が国際女性デーとなる。

1904年3月8日、ニューヨークで婦人参政権を求めるデモが行われ、後にこの日が国際女性デーと定められました。
1904年3月8日、アメリカ・ニューヨークで婦人参政権を要求する大規模デモが実施された。 この運動は労働環境や政治参加の平等を訴える女性たちによるものだった。 デモはソーシャル派女性連盟の主導で行われ、数千人が街頭に繰り出した。 その後、国際的な婦人運動の象徴となり、1975年には国連が「国際女性デー」を正式採用した。 現在も世界各地で男女平等と女性の権利向上を訴える日として記念されている。
1904年 ニューヨーク 婦人参政権 デモ 国際女性デー