1921年

クロンシュタットの反乱勃発。クロンシュタットの水兵がボリシェヴィキの独裁に対して反乱を起こす。

1921年3月7日、ロシアのクロンシュタットで水兵がボリシェヴィキ政府に反乱を起こした事件です。
第一次世界大戦とロシア内戦を経た混乱期に、労働者や水兵の不満が高まっていました。 反乱を主導したのはバルチック艦隊の水兵で、賃金問題や食糧不足が背景にあります。 彼らは「自由と平等、人民主権」を掲げ、一時的にクロンシュタット港を掌握しました。 レーニン率いるボリシェヴィキ政府は赤軍を投入して鎮圧し、多くの参加者が逮捕・処刑されました。 この事件はソビエト体制の強圧的側面を象徴し、国内外に大きな衝撃を与えました。
1921年 クロンシュタットの反乱 クロンシュタット ボリシェヴィキ
1945年

第二次世界大戦: アメリカ軍がライン川に残った2つの橋のうちの一つ・ルーデンドルフ橋を確保。

1945年3月7日、アメリカ軍がライン川のルーデンドルフ橋を確保し、西部戦線の突破口を得ました。
西部戦線において連合軍の重要目標はライン川渡河の確保でした。 3月7日、アメリカ陸軍第9機甲師団はルーデンドルフ橋を強襲し、ドイツ軍が爆破を試みたものの失敗した橋を奪取しました。 これにより連合軍はライン川東岸に速やかに補給路を開き、ドイツ本土侵攻の突破口を得ました。 捕獲した橋を利用して168,000人の兵員と多数の車両を渡河させることに成功し、西部戦線の戦局に大きな影響を与えました。 戦後、この橋は「奇跡の架け橋」として知られています。
1945年 第二次世界大戦 ライン川 ルーデンドルフ橋
1972年

連合赤軍山岳ベース事件で警官隊により最初の遺体が発見される。

連合赤軍山岳ベース事件で警察の捜索隊が最初の遺体を発見し、日本国内の新左翼活動の実態が一層注目を集めた。
1972年3月7日、群馬・長野県境の山岳地帯で発生した連合赤軍山岳ベース事件において、警察の捜索隊が構成員の遺体を初めて発見しました。この事件は過激派組織連合赤軍が山中での「自主訓練」と称してメンバーを虐待し、複数の死者を出したものです。遺体発見を契機に大規模な山狩り捜索が開始され、やがて山岳ベースの全貌が明らかになりました。報道は国内外で大々的に取り上げられ、日本社会における新左翼運動の問題点が浮き彫りとなりました。警察と組織との衝突は治安対策や過激派取締の議論を呼び起こし、以後のテロ対策や防諜政策に影響を与えました。
1972年 連合赤軍 山岳ベース事件