1908年

青函連絡船運航開始。1988年3月13日、青函トンネルの開通に伴い廃止されるまで80年間運行された。

青函連絡船が運航を開始し、本州と北海道間の海上交通が大きく改善された。
1908年3月7日、青函連絡船の第一便が函館と青森を結び、運航を開始した。 この航路は本州と北海道間の重要な海上交通手段として位置づけられた。 時速約8ノットでの運航により物資輸送と旅客移動が飛躍的に効率化された。 連絡船は1988年3月13日の青函トンネル開通まで約80年間にわたり運行された。 その間、旅客需要や貨物輸送の増大に応じて船舶の大型化や高速化が進められた。 この運航開始は地域間交流と経済発展に寄与した。
1908年 青函連絡船 1988年 3月13日 青函トンネル
1970年

湘南モノレール江の島線が、大船駅〜西鎌倉駅間で開業。

湘南モノレール江の島線の大船~西鎌倉間が開業し、鎌倉市と湘南エリアの交通利便性が向上した。
1970年3月7日、湘南モノレール江の島線の大船駅から西鎌倉駅間が開業しました。日本初の懸垂式モノレールとして知られる同路線は、観光地鎌倉へのアクセス改善を目的に建設されました。全長約3.6kmの区間には独特の高架軌道が採用され、周辺景観への配慮もなされています。運転は自動制御方式が導入され、乗り心地の良さと安全性を両立しました。開業当初から沿線には住宅地や商業施設が拡大し、利用者数は年々増加しました。現在でも湘南地域の重要な輸送手段として親しまれています。
1970年 湘南モノレール江の島線
1971年

国鉄が山手線の読み方を「やまのてせん」に統一。

日本国有鉄道が山手線の正式な読み方を『やまのてせん』に統一し、駅放送や時刻表での表記を統一した。
1971年3月7日、日本国有鉄道(国鉄)は山手線の名称読みを従来の「ヤマノテセン」など多様な表記から『やまのてせん』に統一することを発表しました。これにより駅構内放送や時刻表、路線図などでの一貫した案内が可能となりました。統一の背景には利用者への分かりやすさ向上と企業イメージの統一化がありました。同社は社内マニュアルを改訂し、駅員や車掌への周知徹底を図りました。読み方の標準化は翌月以降のすべての印刷物や放送に適用され、利用者からも好評を得ました。現在でも日本の鉄道業界における名称標準化の一例として語り継がれています。
1971年 国鉄 山手線
1971年

国鉄長野原線を吾妻線に改称、長野原(現在の長野原草津口) 大前が延伸開業し全通。

国鉄長野原線が吾妻線に改称され、長野原(現・長野原草津口)から大前まで延伸開業して全線がつながった。
1971年3月7日、国鉄長野原線は路線名を吾妻線に改称するとともに、終点を長野原から大前まで約11km延伸し全線開通しました。吾妻川沿いを走る同線は群馬県内の温泉地や峠越えを結ぶ重要ルートとして期待されていました。改称により沿線地域のブランドイメージ向上も図られ、観光客の利用促進が見込まれました。工事ではトンネルや橋梁など複雑な土木構造物が多数建設され、高度な技術が投入されました。延伸開通後は地元住民の利便性向上だけでなく、観光客の流入にも寄与し地域経済の活性化に貢献しました。
吾妻線 長野原草津口 大前
2013年

沖縄県石垣市に新石垣空港が開港。

沖縄県石垣市に新しい滑走路やターミナルを備えた新石垣空港が開港し、航空路線の拡大と観光振興に貢献しました。
旧空港は滑走路が短く大型機の発着に制約があったため、2013年3月7日、新石垣空港が開港しました。 新空港は滑走路長2,000メートルを有し、地元自治体や国際線の就航が可能となりました。 ターミナルビルは最新設備を備え、離島観光の玄関口として利便性が向上しました。 開港により、観光客数が増加し、石垣島の経済活性化が期待されています。 また、台風時の離島救援や物流面でも安全性・効率性が高まりました。
2013年 沖縄県 石垣市 新石垣空港
2014年

日本一の高層ビルであるあべのハルカスが全面開業。

あべのハルカスが開業し、日本一の高さを誇る超高層ビルとして大阪の新たなランドマークとなりました。
あべのハルカスは近鉄グループが手がける地上60階建て、高さ300メートルの超高層ビルです。 2014年3月7日に全面開業し、百貨店、オフィス、美術館、ホテル、展望台など多彩な機能を集約しました。 展望台『ハルカス300』からは大阪市街や大阪平野を一望でき、観光スポットとして人気を博しています。 建設には最新の耐震技術が導入され、都市防災拠点としても評価されています。 開業以来、大阪の都市再生の象徴となり、地域経済の活性化にも寄与しています。
2014年 あべのハルカス