1918年
松下幸之助が大阪市に松下電気器具製作所(現・パナソニック)を創業。
松下幸之助が松下電気器具製作所を創業し、後のパナソニックの礎を築いた。
1918年3月7日、松下幸之助は大阪市で松下電気器具製作所を設立した。
創業当初は二股ソケットなど家庭用電気製品の製造・販売から事業を開始した。
その経営手腕と製品開発力により急速に成長し、日本の電機産業を代表する企業へと発展した。
同社は後に社名をパナソニックに変更し、グローバル企業として世界中に普及した。
松下幸之助の経営哲学は多くの経営者に影響を与え、日本の産業界に大きな足跡を残した。
1918年
松下幸之助
大阪市
パナソニック
1919年
東京・日本橋のデパート白木屋を会社化し、株式会社白木屋呉服店(現・東急百貨店)を設立。
日本橋の老舗呉服店・白木屋が1919年3月7日に株式会社化し、後の東急百貨店の礎を築いた日です。
江戸時代に創業した老舗呉服店・白木屋は、1919年3月7日に株式会社白木屋呉服店として法人化されました。
この動きは日本の流通・小売業の近代化を象徴する出来事となりました。
会社化により資本調達や店舗網拡大が可能となり、日本橋を拠点に営業規模を拡充しました。
その後、社名を東急百貨店に改称し、戦後の百貨店業界を牽引する企業へと成長しました。
今日につながる百貨店文化の礎を築いた歴史的な一歩です。
1919年
日本橋
白木屋
東急百貨店
1949年
ドッジ・ライン発表。
GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の財政顧問ジョセフ・ドッジが、日本経済の安定を図るための一連の緊縮財政・金融政策『ドッジ・ライン』を発表した。
第二次世界大戦後の日本では深刻な財政赤字とインフレが続いていました。1949年3月7日、駐日米国大使に就任したジョセフ・ドッジがGHQの要請を受け日本政府に財政再建策を提示しました。通称『ドッジ・ライン』と呼ばれるこの政策は、政府予算の削減、補助金の廃止、為替レートの固定などを主要な柱としていました。特に1ドル=360円への固定為替レート設定が日本の貿易基盤を整える役割を果たしました。急激な金融引き締めによりインフレは収束した一方、デフレ傾向も強まり、企業や労働者に大きな影響を与えました。長期的には高度経済成長期へとつながる基礎を築いたとされます。
1949年
ドッジ・ライン
1968年
石川テレビ放送設立。
石川県を放送エリアとするテレビ局、石川テレビ放送(ITC)が設立され、地域の情報発信が本格化した。
1968年3月7日、富山市に本社を置く石川テレビ放送(略称ITC)が正式に設立されました。北陸地方では全国ネットワークを補完する地元放送局として期待され、ニュースや地域番組を提供しました。開局当初は教育テレビやニュース番組を中心に編成を組み、地元文化や観光情報も発信しました。ネットワークはフジテレビ系列に参加し、全国版番組との連携も図られました。設立に伴い送信所の建設やスタジオ設備の整備が急ピッチで進められ、翌年の本放送開始に向けて準備が進みました。地域社会との結びつきを重視し、視聴者参加型の番組制作が特色となりました。
1968年
石川テレビ放送
1983年
新潟テレビ21設立。
新潟県内を放送エリアとするテレビ局・新潟テレビ21(UX)が設立され、民放ネットワークの多様化が進んだ。
1983年3月7日、新潟テレビ21(愛称UX)が正式に設立されました。新潟県では4局目の民放テレビ局として、地元ニュースや情報番組を中心に放送を計画しました。日本テレビ系列に加盟し、全国ネット番組の放送権を獲得したことが特徴です。設立に伴い新潟市内に本社スタジオが建設され、送信所の整備や番組制作スタッフの採用が進められました。地域の文化や産業を紹介する独自番組も制作され、視聴者参加型の企画が支持を受けました。1983年10月の本放送開始以降、UXは県内の情報拠点として定着しました。
1983年
新潟テレビ21