1885年
日本鉄道・品川駅 赤羽駅(現在の山手線・赤羽線)間が開業。日本鉄道と官設鉄道(現在の東海道本線)が接続。
1885年3月1日、日本鉄道が品川駅から赤羽駅間を開業し、東海道本線と接続しました。
1885年3月1日、日本鉄道が品川駅から赤羽駅間を開業し、同時に官設鉄道と接続を果たした。
この区間は東京中心部と北部地域を結ぶ重要路線となり、都市鉄道網の拡大を促進した。
当初は貨客混載の蒸気機関車が運行し、人や物資の輸送を支えた。
後に品川–赤羽間は山手線や赤羽線として再編され、東京の都市鉄道網の中核となった。
東海道本線との直通運転が可能となり、全国規模の鉄道ネットワーク形成に大きく寄与した。
鉄道の開通は都市の発展を加速し、近代日本の産業・文化交流に貢献した。
1885年
日本鉄道
品川駅
赤羽駅
山手線
赤羽線
東海道本線
1886年
熱田駅 武豊駅(現在の東海道本線の一部・武豊線)間が開業。
1886年3月1日、熱田駅から武豊駅間が開業し、後の武豊線の前身区間となりました。
1886年3月1日、東海道本線の前身区間として熱田駅から武豊駅間が開業した。
この路線は名古屋周辺と知多半島地域を結び、沿線の物流や人の移動を支えた。
当時は蒸気機関車による運行で、旅客輸送とともに製塩や農産物の輸送にも利用された。
後にこの区間は武豊線として分割され、東海道本線本線とは別ルートで運用されるようになった。
地域開発を促進し、地元経済の活性化に寄与した重要な鉄道インフラであった。
現在でも通勤・通学路線として多くの利用者に支えられている。
1886年
熱田駅
武豊駅
武豊線
1910年
グレート・ノーザン鉄道ウェリントン雪崩事故
ニュージーランドのグレート・ノーザン鉄道で雪崩により列車が埋没し、多数の死傷者が出た事故。
1910年3月1日、ニュージーランドの山岳路線で雪崩が発生し、グレート・ノーザン鉄道の列車が埋没した。
乗客や乗務員は瞬時に埋まり、多くが負傷または命を落とした。
この事故は山岳地帯での雪崩リスクを浮き彫りにし、鉄道運行の安全対策強化が急務とされた。
後に関係当局は雪崩センサーや避難通路の設置など対策を講じ、再発防止に努めた。
地域住民や鉄道ファンの間でも当時の記憶として語り継がれている。
1910年
グレート・ノーザン鉄道ウェリントン雪崩事故
1912年
余部橋梁の完成により山陰鉄道(現在の山陰本線)・香住 浜坂が開業。京都駅から出雲今市駅(現在の出雲市駅)までがつながる。
余部橋梁の完成により山陰鉄道の香住駅から浜坂駅が開業し、京都から出雲今市までが直通した。
1912年3月1日、余部橋梁(高さ約35m、長さ約310m)が完成した。
これに伴い山陰鉄道香住駅から浜坂駅までが開業した。
京都駅から出雲今市駅(現在の出雲市駅)までの直通運転が実現し、地域を結ぶ重要なルートとなった。
余部橋梁は当時の土木技術の粋を集めた構造物として注目を浴びた。
この開業により沿線地域の物流と観光が活性化され、地域経済の発展に寄与した。
現在でも鉄道ファンの間で人気のスポットとなっている。
1912年
余部橋梁
山陰本線
香住
浜坂
京都駅
出雲市駅
1919年
官設鉄道中央線・東京 万世橋が延伸開業。中央線 山手線上野駅までの「の」の字運転を開始。
官設鉄道中央線が万世橋まで延伸し、上野駅までの環状運転「の」の字運転が始まった。
1919年3月1日、官設鉄道中央線が東京駅から万世橋駅まで延伸開業した。
これにより中央線と山手線を結ぶ環状運転「の」の字運転が開始された。
環状運転により都心部での移動利便性が向上し、乗客数が大幅に増加した。
万世橋駅は当時の重要な結節点として機能し、都市鉄道網の発展に寄与した。
この運行形態は後の東京の鉄道ネットワーク形成の基礎となった。
現在でも歴史的に注目される鉄道史上の一大転換点とされる。
中央線
東京
万世橋
上野駅
1936年
ボールダーダム(現在のフーバーダム)が竣工。
アメリカ合衆国のフーバーダム(旧称ボールダーダム)が完成し、稼働を開始した日です。
フーバーダムはコロラド川に建設された大規模ダムで、1928年に着工されました。建設は過酷な環境下で進められ、数万人の労働者が従事しました。1936年3月1日に「ボールダーダム」として竣工し、後にフーバーダムと改称されました。ダムは洪水制御、水供給、発電を目的とし、南西部の発展に大きく貢献しました。現在でも観光名所として多くの人を惹きつける構造物です。
1936年
フーバーダム
1938年
京都市で日本初のタクシー料金のメーター制が導入される。
京都市で日本初となるタクシー料金のメーター制が導入された日です。
1938年3月1日、京都市内のタクシーに初めて料金メーターが設置されました。これまで料金は言い値や交渉制が一般的でしたが、メーター制の導入で料金体系が透明化されました。運転手と乗客のトラブルが減少し、利用者の利便性が向上しました。この成功を受けて、全国の主要都市にも順次メーター制が広がりました。タクシー業界の近代化を象徴する出来事となりました。
1938年
京都市
1950年
国鉄が東海道本線・東京 沼津124kmを電車運転化。湘南電車の使用を開始。
1950年3月1日、東海道本線の東京−沼津間124kmで電車運転が開始され、湘南電車の愛称で親しまれました。
東海道本線東京−沼津間の電化は戦後の鉄道近代化計画の一環で、複線化と同時に直流1500V方式の架線が敷設されました。これにより従来の蒸気機関車から電車運転へと移行し、所要時間短縮や本数増加が実現しました。湘南電車の愛称で親しまれた新型電車は快適性や高加速性能を特徴とし、沿線都市の通勤・レジャー利用を大きく促進しました。
国鉄
東海道本線
湘南電車
1954年
ラジオ山陰(RSB、現・山陰放送ラジオ)開局。
山陰地方初の民間ラジオ局、ラジオ山陰が開局し、地域情報の発信が始まった。
1954年3月1日、山陰地方初の民間ラジオ局『ラジオ山陰(RSB)』が開局しました。
これにより鳥取県・島根県の住民は、地域ニュースや天気予報、音楽番組など多彩な情報をリアルタイムで受信できるようになりました。
当時、テレビ放送が普及していなかった地域にとって、ラジオは重要な情報インフラでした。
開局を機に地域文化や催し物の告知も活発化し、地域社会の結びつき強化に寄与しました。
設立当初は限られた送信出力でしたが、徐々にエリアを拡大し、地元に密着した番組編成を続けることで多くのリスナーを獲得しました。
現在も山陰放送ラジオとして地域に根ざした放送を行っています。
山陰放送
1958年
ラジオ九州テレビジョン(現・RKB毎日放送テレビ)開局。
福岡県を中心に放送するラジオ九州テレビジョン(現RKB毎日放送テレビ)が開局した。
1958年3月1日、福岡県を放送区域とする民間テレビ局『ラジオ九州テレビジョン』が開局。
後にRKB毎日放送テレビへと名称を変更し、九州地方のニュースや娯楽番組を提供し始めました。
開局当初は白黒放送で始まり、地域の行事中継や地元タレントによるバラエティ番組が人気を集めました。
テレビ普及期における地方局の草分けとして情報インフラの一翼を担い、以後も福岡を中心としたローカル放送を展開しています。
1958年
RKB毎日放送
1959年
フジテレビジョン、毎日放送テレビジョン(MBS)、九州朝日放送テレビジョン(KBC)開局。
東京のフジテレビや大阪のMBS、福岡のKBCなど3局が同日に開局し、テレビ放送が拡大した。
1959年3月1日、フジテレビジョン(東京)、毎日放送テレビジョン(MBS・大阪)、九州朝日放送テレビジョン(KBC・福岡)がそれぞれ開局。
日本の民間テレビネットワークが大きく広がり、各地域で多様な番組制作が可能となりました。
同日は各局が個性的な開局記念番組を放送し、視聴者の注目を集めました。
この動きは日本のテレビ放送普及に拍車をかけ、放送技術の発展やネットワーク構築にも寄与しました。
現在も各局はキー局・ネットワーク局として全国に向けた情報発信を続けています。
1959年
フジテレビジョン
毎日放送テレビジョン(MBS)
九州朝日放送
1967年
阪急千里線・南千里駅 北千里駅間が開業。北千里駅に日本初の自動改札機が設置される。
阪急千里線の南千里~北千里間が開業し、日本初の自動改札機が北千里駅に導入された。
1967年3月1日、阪急千里線が南千里駅から北千里駅まで延伸開業しました。
同日に北千里駅には日本で初めて自動改札機が設置され、乗降客の利便性が向上。
これまで手動で行われていた切符の入出場管理が自動化され、効率的な運行管理と人件費削減に寄与しました。
自動改札機はその後全国の鉄道駅へ普及し、現在の交通インフラ技術の基礎となりました。
地域の通勤・通学に新しい利便性をもたらした画期的な出来事です。
1967年
阪急千里線
南千里駅
北千里駅
自動改札機