1896年

アンリ・ベクレルが放射線を発見。

1896年3月1日、アンリ・ベクレルが自然放射線を発見し、放射能研究の幕開けとなりました。
1896年3月1日、フランスの物理学者アンリ・ベクレルが硝酸ウラン塩を用いた実験中に未知の放射線を発見した。 放射線は蛍光物質を介さずとも写真乾板を感光させる性質があり、従来の光学的現象とは異なる新たな現象だった。 ベクレルはこの性質を『放射能』と命名し、マリー・キュリーらの研究につながる基礎を築いた。 この発見は原子核物理学の黎明期を告げ、20世紀の核物理学や原子力技術の発展に大きく寄与した。 1903年にはピエールおよびマリー・キュリーとともにノーベル物理学賞を受賞している。
アンリ・ベクレル 放射線
1902年

1900年11月8日に進水した戦艦「三笠」が、英国ヴィッカース・ソンズ・アンド・マキシム社で竣工。

1902年3月1日、英国ヴィッカース社で戦艦『三笠』が竣工し、日本海軍の旗艦として名を馳せました。
1902年3月1日、イギリスのヴィッカース・ソンズ・アンド・マキシム社で戦艦三笠が竣工し、日本海軍に引き渡された。 三笠は当時最新鋭の装甲艦で、排水量約15,000トン、主砲26センチ砲を搭載した威容を誇った。 設計は著名な艦船設計家フィリップ・ワッツが手掛け、日本海軍の近代化を象徴する艦となった。 1905年の日露戦争では東郷平八郎連合艦隊司令長官の旗艦として日本海海戦に臨み、勝利に貢献した。 戦後は記念艦として保存され、現在は神戸市須磨区にて一般公開されている。
1902年 1900年 11月8日 三笠
1922年

日本初のアマチュア無線局が開局。

日本で初めてのアマチュア無線局が1922年3月1日に開局し、アマチュア無線の歴史が始まった。
1922年3月1日、国内初となるアマチュア無線局が開局した。 無線愛好家が集まり、遠距離交信の実験や通信技術の研究を行った。 使用された無線機は真空管式で出力が限られる中、交信距離を伸ばす工夫が試みられた。 この開局を契機に日本無線通信連盟(JARL)の前身組織が形成され、組織化が進んだ。 戦後もアマチュア無線は発展を続け、国内外の交信や災害時の緊急通信などで活躍した。 現在ではデジタル通信や衛星通信など多彩なモードが利用されている。
1922年 アマチュア無線
1925年

東京放送局(現在のNHK)がラジオの試験放送を開始。

東京放送局(後のNHK)が1925年3月1日にラジオ試験放送を開始し、放送事業の礎が築かれた。
1925年3月1日、東京放送局がラジオの試験放送を開始した。 放送内容には音楽、ニュース、気象情報などが含まれ、関東近郊で受信が可能だった。 当時の送信出力は約5kWで、受信機の普及とともにリスナーが増加した。 試験放送の成果を受けて1926年には正式放送が始まり、全国ネットワークが整備された。 この試験放送は日本のマスメディア史の出発点となり、文化や社会に大きな影響を与えた。 放送技術や番組制作の基礎が築かれ、現在の放送事業に繋がっている。
1925年 NHK
1946年

医学雑誌「医学のあゆみ」創刊(日本医学雑誌株式会社~医学書院~医歯薬出版)。

1946年3月1日、医学分野における最新研究や臨床報告を掲載する総合医学ジャーナル「医学のあゆみ」が創刊されました。
「医学のあゆみ」は日本医学雑誌株式会社が発行を開始した総合医学ジャーナルで、臨床報告や基礎研究成果を幅広く掲載します。創刊当初から専門家による最新研究の解説や学術対談を掲載し、国内外の医学動向を紹介しました。発行は後に医学書院、医歯薬出版へと継承され、現在も継続して発行されています。医学生や研究者、臨床医にとって重要な情報源となり、日本の医学発展に寄与してきました。
医学書院 医歯薬出版
1954年

キャッスル作戦: 太平洋のビキニ環礁でアメリカが水爆実験。第五福竜丸が被曝。

太平洋ビキニ環礁でのアメリカによる水爆実験により、第五福竜丸が被曝し、国際社会に波紋を広げた。 核実験の危険性が改めて認識されるきっかけとなった。
1954年3月1日、アメリカがビキニ環礁で『キャッスル作戦』の一環として水爆実験(ブラボー実験)を実施しました。 爆発は予想を超える威力を持ち、大量の放射性降下物が拡散。 付近を航行していた日本の漁船『第五福竜丸』は被曝し、乗組員に健康被害が発生しました。 この事故は日本国内外に大きな衝撃を与え、核実験の危険性や被害問題が国際的に議論される契機となりました。 日本の水爆禁止運動や原水爆禁止世界大会の発展にもつながりました。
1954年 キャッスル作戦 ビキニ環礁 水爆実験 第五福竜丸 被曝
1966年

1965年11月16日に打ち上げられたソ連の金星探査機「ベネラ3号」が金星表面に衝突。史上初の地球以外の惑星表面への到達。

ソ連「ベネラ3号」が金星の表面に衝突し、史上初めて惑星表面到達を果たした。
1966年3月1日、ソ連の金星探査機ベネラ3号が金星の大気を突破し、その表面に衝突しました。 1965年11月16日に打ち上げられたベネラ3号は、当初通信機能を早期に失ったものの、自動制御で航行を継続。 衝突地点は金星の高温・高圧環境下であったため、探査機からのデータ取得はできませんでした。 それでも機体が惑星表面に到達したのは人類初の快挙であり、以後の惑星探査計画に大きな影響を与えました。 この成功はソ連の宇宙開発競争における成果として国際的な注目を集めました。
1966年 1965年 11月16日 ベネラ3号 金星 惑星
1995年

アメリカ・カリフォルニア州でYahoo!が設立される。

1995年3月1日にYahoo!が設立され、インターネット検索の草分けとして世界に影響を与え始めました。
スタンフォード大学の学生ジェリー・ヤンとデビッド・ファイロによって設立されました。 当初は「Jerry's Guide to the World Wide Web」と呼ばれ、ウェブディレクトリサービスとしてスタートしました。 インターネット利用の拡大とともに急速に成長し、検索エンジン機能を追加してユーザー数を伸ばしました。 1996年にはベンチャー投資を受け、翌年には上場を果たして企業価値を飛躍的に高めました。 その後も多様なインターネットサービスへと事業を拡大し、グローバルなIT企業へと成長しました。
1995年 カリフォルニア州 Yahoo!
2002年

欧州宇宙機関 (ESA) の地球観測衛星「Envisat」が打ち上げられる。

ESAの地球観測衛星Envisatが打ち上げられ、気候変動や環境監視に新たなデータを提供し始めました。
フランス領ギアナのクールー宇宙基地からアリアン5ロケットで打ち上げられました。 重量約8トン、5年以上の運用が計画され、10種類以上の観測機器を搭載して地球表層を監視しました。 植生、海面温度、オゾン層、気体成分など多岐にわたるデータを取得し、気候変動研究に貢献しました。 2002年から2012年まで安定運用され、その後通信喪失により運用を終了しました。 Envisatの観測データは環境保全や防災研究にも応用され、衛星観測の新たな可能性を示しました。
2002年 欧州宇宙機関 地球観測衛星 Envisat
2005年

NTT東日本・NTT西日本による固定電話の施設設置負担金が従来の半額に。

NTT東日本・NTT西日本が固定電話の施設設置負担金を半額に引き下げ、加入者の負担を軽減しました。
従来約21,000円だった固定電話の施設設置負担金が、2005年3月1日から約10,500円に改定されました。 これは総務省の規制改革の一環として、通信サービスの普及促進を目的として実施されました。 加入者の初期費用負担が大幅に軽減され、新規契約の促進やブロードバンドサービスの普及にも寄与しました。 通信インフラ整備と利用者メリットの両立を図る事例として注目されました。 現在でも通信料金体系の見直しの先駆けとして言及されることがあります。
2005年 NTT東日本 NTT西日本 固定電話 施設設置負担金
2010年

プレイステーション3にて、PlayStation Networkの世界規模の障害トラブルが発生。

2010年3月1日、PlayStation 3向けオンラインサービスPlayStation Networkが世界規模で障害を起こし、一時的に利用不能となりました。
PlayStation Network(PSN)は、ソニー・コンピュータエンタテインメントが提供するオンラインサービスです。 2010年3月1日、世界各地のユーザーがPS3でオンラインプレイやコンテンツのダウンロードを行えなくなる大規模障害が発生しました。 原因は一部サーバーの不具合と通信集中によるものとされ、数時間にわたりサービス停止が続きました。 ユーザーからは復旧を求める声が相次ぎ、ソニーは迅速に復旧作業を行いました。 この一件はオンラインサービスの安定運用の難しさを改めて浮き彫りにしました。
2010年 プレイステーション3