1911年

帝国劇場が開館。

日本初の本格洋式劇場として1911年3月1日に東京・丸の内で帝国劇場が開館した。
1911年3月1日、東京・丸の内に日本初の本格洋式劇場、帝国劇場が開館した。 開館初日はオペラや音楽劇など多彩な公演が行われ、当時の観客を魅了した。 設計は西洋の劇場建築を取り入れたもので、高い天井と優れた音響設備を備えていた。 戦後も改修を重ねながら公演を続け、長い歴史を刻む劇場として親しまれている。 現在も多くの演劇やコンサートが上演され、日本の舞台芸術の中心地の一つとなっている。
1911年 帝国劇場
1936年

日本映画監督協会が、丸の内・東京會舘にて発会。

日本映画監督の結束を目的に日本映画監督協会が発足した日です。
1936年3月1日、日本映画監督協会が丸の内・東京會舘で発会式を開催しました。協会は国内の映画監督の権利擁護や制作環境の改善を目指して設立されました。会員には当時の著名な監督たちが名を連ね、映画芸術の向上を掲げました。戦時下の検閲や統制が強まる中、協会は作品表現の自由を巡る課題にも直面しました。この組織は戦後も日本映画界の発展に寄与し続けました。
日本映画監督協会
1959年

吉本ヴァラエティ(現・吉本新喜劇)第1回公演がうめだ花月劇場で開催。

吉本新喜劇の前身、吉本ヴァラエティがうめだ花月劇場で初公演を行った。
1959年3月1日、吉本興業が手掛ける演芸ユニット『吉本ヴァラエティ』が大阪・うめだ花月劇場で第1回公演を開催。 後に『吉本新喜劇』へと発展し、日本の演芸・コメディ文化を代表する劇団となりました。 当初から漫才と芝居を融合させたスタイルが話題を呼び、若手芸人の登竜門となりました。 花月劇場は観客との距離が近い演出で人気を博し、関西を中心に演劇ファンを増やしました。 以降、テレビ出演や全国巡業を通じて知名度を拡大しました。
吉本新喜劇 うめだ花月劇場
1971年

五木ひろしが「よこはま・たそがれ」で再デビュー。

演歌歌手の五木ひろしが名曲「よこはま・たそがれ」で再デビューし、大きな注目を集めました。
1971年3月1日、五木ひろしは新曲「よこはま・たそがれ」で再デビューを果たしました。 もともと演歌歌手として活動していた五木ひろしが、待望のカムバックを飾った一曲。 哀愁漂うメロディと港町・横浜を舞台にした歌詞が多くの共感を呼び、ロングヒットを記録。 発売後すぐにオリコンチャート上位にランクインし、一躍人気演歌歌手としての地位を確立。 以降も精力的にリリースと公演を重ね、日本の演歌シーンを牽引する存在となりました。
1971年 五木ひろし よこはま・たそがれ