1720年

スウェーデン女王ウルリカ・エレオノーラが、王権を著しく制限した憲法の制定に反対して自ら退位。議会の決定により夫のフレドリク1世が即位。

スウェーデン女王ウルリカ・エレオノーラが、王権を大幅に制限する新憲法に反対して退位し、夫のフレドリク1世が即位した歴史的転換点。
18世紀のスウェーデンでは、貴族主体の議会が王権を制限する憲法制定を推進していた。 1720年2月29日、ウルリカ・エレオノーラは憲法案に強く反発し、自ら退位を宣言。 これによりリクスダーゲット(議会)は彼女の夫フレドリク1世を新国王として選出。 この政変は「自由の時代(Age of Liberty)」と呼ばれる立憲政治の幕開けを促した。 女性君主による自主的退位はヨーロッパ史上でも稀有で、近代国家スウェーデンの礎となった。
1720年 スウェーデン ウルリカ・エレオノーラ フレドリク1世
1896年

辰野金吾設計による日本銀行本店が竣工。

辰野金吾設計の日本銀行本店本館が完成し、明治期を代表する西洋建築が誕生した。
日本の代表的建築家辰野金吾が設計した日本銀行本店本館が、1896年2月29日に竣工。 レンガ造りとドームを特徴とするネオ・バロック様式で、当時の最先端技術を取り入れた堅牢な構造。 明治政府の貨幣制度安定化の一環として建てられ、金融機関としての象徴的存在となった。 戦後は重要文化財に指定され、現代でも東京・日本橋のランドマークとして親しまれている。 建築史や都市景観の観点からも高く評価される名建築である。
1896年 辰野金吾 日本銀行
1932年

日中問題の調査のため、国際連盟のリットン調査団が来日。

リットン調査団が来日し、満州事変後の日中問題に対する国際調査を開始した。
1932年2月29日、国際連盟は満州事変の原因究明のため、リットン調査団を日本に派遣。 調査団は日本と中国双方の立場を聴取し、現地視察を行いながら報告書作成に着手。 日本政府は受け入れつつも、調査結果に強い反発を示し、国際連盟からの非難が高まった。 最終的にリットン報告書は日本の満州統治を批判し、同年9月に採択。 これが日本の国際連盟脱退の一因となり、世界情勢に大きな影響を及ぼした。
1932年 日中問題 国際連盟 リットン調査団
1936年

二・二六事件の反乱部隊に原隊復帰勧告(「兵に告ぐ」)が出され、事件が収束。

二・二六事件の反乱部隊が原隊復帰を命じられ、未遂のクーデターが収束した。
1936年2月26日に発生した二・二六事件は、青年将校らによるクーデター未遂事件。 政府要人の暗殺や部隊の占拠が行われ、国内は大混乱に陥った。 2月29日早朝、御前会議の決定を受けた「兵に告ぐ」命令書が反乱部隊に送付され、原隊復帰が指示された。 反乱側は抵抗を止め、蜂起はほぼ無血で終結。 この事件は日本軍内部の政党政治介入を象徴し、後の統制強化につながった。
1936年 二・二六事件
1940年

冬戦争: フィンランドがソビエト連邦との和平交渉を再開。

冬戦争でフィンランドがソ連との和平交渉を再開し、戦況に転機が訪れた。
冬戦争(1939–1940年)はフィンランドとソ連の激戦で、多大な犠牲を伴った。 1940年2月29日、フィンランドは和平交渉再開を決定し、モスクワでの協議を準備。 強力な抵抗を見せたフィンランド軍は一部で奮戦しつつも、戦力差からさらなる被害を避ける必要に迫られた。 交渉は最終的に3月12日に妥結し、領土割譲を条件に停戦が成立。 この戦いは冷戦期における小国の抵抗と大国間の力関係を象徴する出来事となった。
1940年 冬戦争 フィンランド ソビエト連邦
1940年

アメリカの女優ハティ・マクダニエルがアフリカ系アメリカ人で初めてアカデミー賞(助演女優賞)を受賞。

ハティ・マクダニエルがアフリカ系アメリカ人で初めてアカデミー賞を受賞した。
1940年2月29日、映画『風と共に去りぬ』でメラニー役を演じたハティ・マクダニエルが助演女優賞を受賞。 アフリカ系アメリカ人として史上初のアカデミー賞受賞者となり、映画界に歴史を刻んだ。 彼女の受賞は人種差別が根強い時代において大きな前進とされ、多くの黒人俳優に勇気を与えた。 しかし授賞式では隔離席への案内など不平等な扱いもあり、彼女自身が人種問題の複雑さを示す存在となった。 マクダニエルは晩年まで演技活動を続け、多くの作品で高い評価を受けた。
ハティ・マクダニエル アフリカ系アメリカ人 アカデミー賞
1940年

第二次大本事件: 不敬罪・治安維持法違反で検挙された大本教主・出口王仁三郎に対し、第1審で無期懲役の判決。

第二次大本事件で大本教主・出口王仁三郎が無期懲役判決を受けた。
大本教は明治時代に創始された神道系宗教団体で、思想的影響力を拡大。 1940年2月29日、治安維持法および不敬罪適用により、第1審で教主出口王仁三郎に無期懲役判決が下された。 政府は宗教団体の統制を強化し、国家神道の統一化を図る一環として大本教を弾圧。 この事件により大本教は壊滅的な打撃を受け、信徒は厳しい取締り下に置かれた。 戦後、大本教は再建されたが、言論・信教の自由に対する国家権力の介入として記憶される。
第二次大本事件 不敬罪 治安維持法 大本 出口王仁三郎
1944年

高級劇場閉鎖令、個人演奏会禁止令の発布。歌舞伎座、東劇、京都南座などが対象となった。

高級劇場閉鎖令と個人演奏会禁止令により主要演劇施設が営業停止を余儀なくされた。
1944年2月29日、戦時下の統制強化策として政府は高級劇場閉鎖令と個人演奏会禁止令を発布。 歌舞伎座、東劇、京都南座など大規模劇場が対象となり、文化活動は大きく制限された。 国民の娯楽抑制と戦意高揚のため、演劇・音楽の自由な上演が停止され、許可制が導入。 多くの俳優や演奏家は活動を続けられず、舞台芸術界は深刻な打撃を受けた。 この措置は戦後の文化再建における反省材料ともなっている。
1944年 歌舞伎座 東劇 京都南座
1952年

沖縄の琉球列島米国民政府が琉球政府の設立を公布。

琉球列島米国民政府が琉球政府設立を公布し、沖縄統治の新体制を形成した。
1952年2月29日、琉球列島米国民政府(USCAR)は琉球政府の設立を正式に公布。 サンフランシスコ講和条約により沖縄は依然として米国統治下に置かれ、限定的な自治機関が誕生。 琉球政府は行政・立法機能を有したが、外交や安全保障は米国が掌握。 地元住民は再編成された政治体制のもとで統治権の回復を目指す運動を展開。 この体制は1972年の沖縄返還まで続き、現在の県政府へとつながる道筋を作った。
1952年 沖縄 琉球列島米国民政府 琉球政府
1960年

モロッコで地震。3000人以上が死亡。

モロッコで大地震が発生し、3,000人以上の犠牲者を出す大規模災害となった。
1960年2月29日、モロッコ南部を襲った地震により都市は壊滅的被害を受けた。 震源近くの都市では古い建築物が倒壊し、多数の住民が避難生活を余儀なくされた。 死者は約3,000人以上にのぼり、負傷者や行方不明者も多数報告。 国際救援が展開され、各国から医療支援や物資が送られるが復興には長い時間を要した。 この地震はモロッコの災害対策強化の契機となり、建築基準の見直しが進められた。
1960年 モロッコ
1968年

『ビッグコミック』創刊。

週刊漫画誌『ビッグコミック』が創刊された日。
1968年2月29日、双葉社から青年向け漫画誌『ビッグコミック』が創刊されました。この雑誌は手塚治虫の『ブラック・ジャック』など革新的な連載作品を多数掲載し、漫画界に新たな風を吹き込みました。従来の子ども向け漫画誌とは一線を画す大人向けのテーマやストーリーが支持され、以降の青年漫画誌のモデルとなりました。創刊号には多彩な作家陣が参加し、発行部数も好調に推移しました。現在でも連載を続ける長寿雑誌として、日本の漫画史において重要な位置を占めています。
1968年 ビッグコミック
1972年

八丈島でM7.2の地震。

八丈島付近でマグニチュード7.2の強い地震が発生。
1972年2月29日早朝、伊豆諸島の八丈島付近を震源とするM7.2の地震が発生しました。この地震により島内では家屋の損壊や土砂崩れが多発し、住民に大きな被害が及びました。津波は観測されなかったものの、震度5以上の揺れが観測され、生活インフラにも影響が出ました。被災地では復旧作業が急がれ、多くの支援隊が派遣されました。地震の経験は防災対策の見直しや耐震化促進の契機となり、後の防災計画に反映されることとなりました。
1972年 八丈島 地震