正慶元年2月2日
千早城の戦い: 後醍醐天皇の倒幕計画に呼応した楠木正成が、鎌倉幕府軍が守備する赤坂城に攻撃を開始。
後醍醐天皇の倒幕運動に呼応し、楠木正成が鎌倉幕府軍の拠点である赤坂城への攻撃を開始した戦いです。
1332年2月2日(正慶元年2月2日)、後醍醐天皇の倒幕計画に呼応した楠木正成が、鎌倉幕府軍の拠点である赤坂城への攻撃を開始しました。赤坂城は要衝とされながらわずかな守備兵で防備されており、楠木は夜襲や奇襲を駆使して城を包囲しました。この戦いは後に千早城の戦いの一部として知られ、楠木の卓越した戦略と忠義が高く評価されています。南北朝時代の序章ともなる重要な局面であり、日本中世の軍事史における名高い合戦の一つとして語り継がれています。
1332年
正慶
2月2日
千早城の戦い
後醍醐天皇
楠木正成
1638年
主教戦争: スコットランドで国王チャールズ1世の教会政策に反発して国民盟約を結成。
国王チャールズ1世の宗教政策に反発し、スコットランドの貴族や聖職者が国民盟約を結成した出来事です。
1638年2月28日、スコットランドの貴族や聖職者がイングランド国王チャールズ1世の主教権強化政策に抗議し、国民盟約(ナショナル・コヴナント)を調印しました。盟約は国教会内の長老派教会制度を支持し、教会の自治確保を求める内容を含んでいました。この運動は教会と国家の関係を巡る緊張を高め、のちに主教戦争として武力衝突へ発展しました。プレズビテリアンの伝統を守るための抵抗は、イギリス内戦の一因ともなり、英国全土に影響を与えました。
1638年
主教戦争
スコットランド
チャールズ1世
国民盟約
1897年
マダガスカルを占領したフランス軍が、メリナ王国最後の国王ラナヴァルナ3世をレユニオン島に流し退位させる。
フランス軍がマダガスカルを占領し、ラナヴァルナ3世を退位・流刑に追い込んだ出来事です。
1897年2月28日、フランス第三共和政政府はマダガスカル島を正式植民地とし、メリナ王国最後の君主ラナヴァルナ3世をレユニオン島へ追放しました。これにより独立国家としてのメリナ王国は消滅し、マダガスカルは仏領インド洋群島の一部となりました。フランスは経済的開発やインフラ整備を進める一方、現地文化や政治体制を中央集権化しました。この植民地化はアフリカの「新植民地化」時代における代表的な事例であり、後年の独立運動にも影響を与えました。マダガスカルの社会構造や伝統的権力関係にも大きな変化をもたらしました。
1897年
マダガスカル
フランス
メリナ王国
ラナヴァルナ3世
英語版
レユニオン島
1945年
太平洋戦争: ビサヤ諸島の戦い。
1945年、太平洋戦争末期のビサヤ諸島の戦いが連合国軍と日本軍の間で繰り広げられました。
ビサヤ諸島の戦いはフィリピン解放の一環として、米軍が日本軍占領下の島々へ上陸作戦を展開した戦闘です。主要上陸地点のレイテ湾では空母機動部隊や上陸舟艇を用いた総攻撃が行われました。日本軍はゲリラ戦や掘削陣地で抵抗しましたが、航空支援と補給不足により防衛線は次第に崩壊しました。この勝利により連合軍はフィリピン制圧を進め、次の本土上陸作戦への足がかりを得ました。激戦の末、多数の兵士と民間人が犠牲となり、太平洋戦域での日本軍の敗色を決定づけました。
1945年
太平洋戦争
ビサヤ諸島の戦い
1947年
二・二八事件: 台湾で国民政府に対する不満から暴動が発生。
1947年、台湾で国民政府への不満から始まった抗議が暴動へ発展し、厳しい鎮圧が行われました。
二・二八事件は1947年2月27日の菸酒専売局職員による取り締まりを発端に、市民の大規模抗議へと発展しました。翌28日に戒厳令が布告され、国民政府は軍・警察を投入して鎮圧を実施しました。弾圧により多数の民間人が犠牲となり、正確な犠牲者数は数千から2万人と推定されています。事件は台湾社会に深いトラウマを残し、その後数十年にわたり言論や研究が抑制されました。1987年の戒厳令解除後にようやく公的な調査・謝罪・記念行事が行われ、和解と歴史認識の進展が図られました。
1947年
二・二八事件
台湾
国民政府
1972年
あさま山荘事件で機動隊が山荘を破壊して隊員が突入し人質を救出し、連合赤軍メンバー5人全員を逮捕して事件が終結。
あさま山荘事件で機動隊が突入し、人質を救出してメンバー全員を逮捕した。
1972年2月19日から続いたあさま山荘事件は、連合赤軍のメンバー5人が長野県軽井沢町の山荘を占拠し、人質を取った立てこもり事件です。
警察は機動隊を投入し、2月28日に装甲車で山荘の壁を破壊。突入班が内部に侵入し、無事に人質全員を救出しました。
連合赤軍のメンバー5人は現行犯逮捕され、国内外で大きな注目を集めました。
この事件の長期化と苛烈な取り締まりは日本社会に衝撃を与え、極左暴力集団への警戒感を一層高める結果となりました。
メディアは連日詳細を報じ、事件後の再発防止やテロ対策の強化に向けた議論が活発化しました。
1972年
あさま山荘事件
連合赤軍
1991年
湾岸戦争が終結。
湾岸戦争が終結し、多国籍軍のクウェート解放作戦が終了した。
1991年2月28日、多国籍軍によるデザートストーム作戦が終了し、湾岸戦争が正式に終結しました。1990年8月にイラク軍がクウェートに侵攻して以降、国連安保理決議に基づき結成された多国籍軍が空爆と地上戦でイラク軍を撤退させました。戦闘に伴う民間人被害やクウェート油田火災など環境被害も深刻な問題となりました。終結後は復興支援とイラクに対する経済制裁が長期にわたり継続されました。湾岸戦争は中東情勢の転換点となり、その後の紛争や国際政治に大きな影響を与えました。
1991年
湾岸戦争
2022年
ロシアのウクライナによる初めての停戦交渉が、ウクライナ国境に近いベラルーシのゴメリで行われる。
ロシア・ウクライナ戦争における初の停戦交渉がベラルーシのゴメリで開催された。
2022年2月28日、ロシアによるウクライナ侵攻を受け、初の停戦交渉がウクライナ国境近くのベラルーシ・ゴメリで行われた。ロシア、ウクライナ双方の代表団とベラルーシが仲介を務めた。議題は人道回廊の開設や民間人の避難、安全確保措置などであった。交渉は一定の合意を模索したものの、全面停戦に至る具体的な合意には至らず、中断のまま終結。以降の協議も難航した。
2022年
2025年
アメリカのドナルド・トランプ大統領とウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領がホワイトハウスで会談する。ロシアのウクライナ侵攻の停戦案をめぐる協議は決裂し、会談後に予定していた合意文書への署名が見送られた。
トランプ米大統領とゼレンスキー大統領がホワイトハウスで停戦協議を行ったが合意に至らなかった。
2025年2月28日、ドナルド・トランプ米大統領とウォロディミル・ゼレンスキー・ウクライナ大統領がホワイトハウスで会談を実施。議題はロシアのウクライナ侵攻に関する停戦案の協議であった。両首脳は停戦の方法や国際監視体制について意見を交わしたが、条件面で折り合わず合意文書への署名は見送りに。会談は国際社会の協調が難航している現状を象徴する結果となった。
アメリカ
ドナルド・トランプ
大統領
ウクライナ
ウォロディミル・ゼレンスキー
ホワイトハウス
ロシア