正慶元年2月2日

千早城の戦い: 後醍醐天皇の倒幕計画に呼応した楠木正成が、鎌倉幕府軍が守備する赤坂城に攻撃を開始。

後醍醐天皇の倒幕運動に呼応し、楠木正成が鎌倉幕府軍の拠点である赤坂城への攻撃を開始した戦いです。
1332年2月2日(正慶元年2月2日)、後醍醐天皇の倒幕計画に呼応した楠木正成が、鎌倉幕府軍の拠点である赤坂城への攻撃を開始しました。赤坂城は要衝とされながらわずかな守備兵で防備されており、楠木は夜襲や奇襲を駆使して城を包囲しました。この戦いは後に千早城の戦いの一部として知られ、楠木の卓越した戦略と忠義が高く評価されています。南北朝時代の序章ともなる重要な局面であり、日本中世の軍事史における名高い合戦の一つとして語り継がれています。
1332年 正慶 2月2日 千早城の戦い 後醍醐天皇 楠木正成
1638年

主教戦争: スコットランドで国王チャールズ1世の教会政策に反発して国民盟約を結成。

国王チャールズ1世の宗教政策に反発し、スコットランドの貴族や聖職者が国民盟約を結成した出来事です。
1638年2月28日、スコットランドの貴族や聖職者がイングランド国王チャールズ1世の主教権強化政策に抗議し、国民盟約(ナショナル・コヴナント)を調印しました。盟約は国教会内の長老派教会制度を支持し、教会の自治確保を求める内容を含んでいました。この運動は教会と国家の関係を巡る緊張を高め、のちに主教戦争として武力衝突へ発展しました。プレズビテリアンの伝統を守るための抵抗は、イギリス内戦の一因ともなり、英国全土に影響を与えました。
1638年 主教戦争 スコットランド チャールズ1世 国民盟約
1784年

イングランド国教会の司祭ジョン・ウェスレーがメソジスト運動を開始。

ジョン・ウェスレーがイングランド国教会内でメソジスト運動を組織的に開始した出来事です。
1784年2月28日、イングランド国教会の司祭ジョン・ウェスレーがメソジスト運動を正式に開始しました。ウェスレーは小グループによる聖書研究会や熱心な伝道活動を通じて信者の信仰向上を図り、やがて独立した教団へと成長させました。この運動はイギリス国内外で急速に広まり、アメリカ大陸にも伝播してメソジスト教会の基盤を築きました。社会的弱者への福祉活動にも力を入れ、近代プロテスタント史における重要な宗教改革運動と評価されています。
1784年 イングランド国教会 ジョン・ウェスレー メソジスト
1835年

エリアス・リョンロートが編纂したフィンランドの国民的叙事詩『カレワラ』が出版される。

フィンランドの民族叙事詩『カレワラ』が初めて出版されました。
1835年2月28日、エリアス・リョンロートが編纂したフィンランドの民間伝承や詩歌を集大成した叙事詩『カレワラ』が刊行されました。古い口承文芸を基に、豊かな自然描写と英雄譚を融合しており、フィンランド民族意識の覚醒を促す役割を果たしました。ロシア帝国支配下にあったフィンランド文化の独自性を示す象徴となり、後の芸術や音楽にも大きな影響を与えました。現在でもフィンランドの国民叙事詩として広く親しまれています。
1835年 エリアス・リョンロート フィンランド カレワラ
1850年

ユタ大学創立。

現ユタ大学の前身となる学術機関が設立された日です。
1850年2月28日、アメリカ領ユタにおいてユタ大学の前身となる高等教育機関が設立されました。初期は教育とリーダー育成を目的とした小規模な学校でしたが、その後制度拡充や学科の増設を経て州立大学へと発展しました。学術研究や地域社会への貢献が評価され、今日では多様な専門分野を持つ総合大学として知られています。山岳地帯に位置し、自然環境を生かしたフィールド研究にも力を入れています。
1850年 ユタ大学
1854年

アメリカ・ウィスコンシン州リポンで共和党が結成。

反奴隷制を掲げるアメリカ共和党がウィスコンシン州リポンで結成されました。
1854年2月28日、アメリカ合衆国のウィスコンシン州リポンにおいて、かつてのホイッグ党や反奴隷制派の集まりから新政党として共和党が結成されました。主に奴隷制度拡大に反対する急進派が中心となり、北部州を基盤に政治運動を展開しました。これによりアメリカの二大政党構造が再編され、南北戦争へと至る政治的背景を形成しました。エイブラハム・リンカーンなどの指導者を輩出し、後の大統領選挙にも大きな影響を与えました。結成当初は地域単位の小規模集会に過ぎませんでしたが、急速に全米に組織化が進みました。
1854年 アメリカ ウィスコンシン州 リポン 英語版 共和党
1861年

コロラド準州が成立。

アメリカ合衆国議会がコロラド準州の設立を承認しました。
1861年2月28日、アメリカ合衆国議会はコロラド準州設立法に署名し、コロラド準州が公式に成立しました。既存のユタ準州、カンザス準州、ネブラスカ準州から領域を切り出す形で構成され、ゴールドラッシュ期の人口増加に対応する行政区画の必要性が背景にありました。準州政府が組織され、新たな法制度や行政制度が導入されるとともに、後に州昇格を目指した地域発展が始まりました。デンバーを暫定的な中心地とし、採掘や鉄道建設が進みました。設立後まもなくゴールドラッシュの影響で入植者が増加し、行政体制の整備が急務となりました。
1861年 コロラド準州
1880年

貿易金融のための横浜正金銀行(後の東京銀行)が営業開始。

貿易金融を担う横浜正金銀行が営業を開始しました。
1880年2月28日、明治政府の外貨準備と貿易金融支援を目的に設立された横浜正金銀行が営業を開始しました。外国為替市場での手形割引や貸付を行い、日本の海外貿易拡大に貢献しました。後に東京銀行に改称され、戦後も日本経済の発展を支える金融機関として成長しました。設立当初の役割は、外国銀行に依存しない独立した為替金融サービスの提供にありました。銀行は官営から民営移行を経て、日本の近代金融システムの礎となりました。
1880年 横浜正金銀行 東京銀行
1897年

マダガスカルを占領したフランス軍が、メリナ王国最後の国王ラナヴァルナ3世をレユニオン島に流し退位させる。

フランス軍がマダガスカルを占領し、ラナヴァルナ3世を退位・流刑に追い込んだ出来事です。
1897年2月28日、フランス第三共和政政府はマダガスカル島を正式植民地とし、メリナ王国最後の君主ラナヴァルナ3世をレユニオン島へ追放しました。これにより独立国家としてのメリナ王国は消滅し、マダガスカルは仏領インド洋群島の一部となりました。フランスは経済的開発やインフラ整備を進める一方、現地文化や政治体制を中央集権化しました。この植民地化はアフリカの「新植民地化」時代における代表的な事例であり、後年の独立運動にも影響を与えました。マダガスカルの社会構造や伝統的権力関係にも大きな変化をもたらしました。
1897年 マダガスカル フランス メリナ王国 ラナヴァルナ3世 英語版 レユニオン島
1901年

東京帝大史料編纂掛が最初の『大日本史料』を刊行。

『大日本史料』の最初の巻が刊行され、日本史研究の基礎資料が整備されました。
1901年2月28日、東京帝国大学史料編纂掛(後の東京大学史料編纂所)が編纂を手掛けた『大日本史料』の第1巻が刊行されました。中世から近世にかけての公文書や史料を豊富に収録し、日本史研究の基礎資料として高い評価を得ています。史料批判の手法を取り入れた体系的な編集が特徴で、後続の歴史学者に大きな影響を与えました。現在も多くの研究者に活用され、国の歴史認識や教育にも寄与しています。編纂作業は数十年にわたって継続され、多数の巻を刊行する長期プロジェクトとなりました。
1901年 東京帝大史料編纂掛 大日本史料
1922年

イギリスがエジプトの保護統治権を放棄。エジプトが事実上独立。

1922年、イギリスがエジプトに対する保護統治権を放棄し、エジプトが事実上独立を達成しました。
イギリスは1882年のウラービー運動鎮圧以降、長らくエジプトを保護国として実効支配していました。第一次世界大戦後、エジプト国内では独立を求めるナショナリストが台頭し、戦後国際情勢の変化も相まって独立交渉が進展しました。1922年2月28日、イギリスは保護統治権を一方的に放棄し、エジプトは名目上の独立国家となりました。しかし、防衛・外交・スエズ運河管理権など多くの権限は引き続きイギリスが保持し、「不完全独立」とも評価されました。この出来事はエジプトの民族意識を高め、後の完全独立につながる歴史的転機となりました。
1922年 イギリス エジプト 保護統治権
1926年

松島遊郭疑獄で政友・憲政両党の幹部を検挙。

1926年、松島遊郭をめぐる疑獄事件で、政友会と憲政会の幹部が賄賂容疑で検挙された政治スキャンダルです。
松島遊郭疑獄は、東京の松島遊郭区域で営業免許をめぐる贈収賄事件で、政友会と憲政会の有力政治家が捜査対象となりました。検察当局は遊郭経営者から資金提供を受けた疑いで関係者を一斉に検挙し、政治資金の実態に世間の注目が集まりました。この事件は大正時代の政界に大きな衝撃を与え、政党間の不信感を深める一因となりました。一連の捜査は政治家の資金調達ルートを露呈し、政治倫理や透明性を求める声を高めました。最終的に有力者の一部が不起訴となるなど、完全な真相解明には至りませんでした。
1926年 松島遊郭疑獄 政友 憲政