康和5年1月16日

鳥羽天皇

(1103 - 1156)

第74代天皇

第74代天皇
平安時代末期の第74代天皇。院政を行い、保元の乱を経て政権を掌握した。
1103年(康和5年)に生まれ、幼少で即位して第74代天皇となった。退位後も父帝として院政を主導し、鳥羽殿と称される政治拠点を構築した。平清盛や崇徳上皇らと政争を繰り広げた。1156年の保元の乱では実権を巡る争いの中心となった。同年に崩御し、その後も院政の体制に影響を与えた。
1103年 康和 1月16日 鳥羽天皇 天皇 1156年
1304年

イブン・バットゥータ

(1304 - 1368)

旅行家、法学者

旅行家 法学者
14世紀モロッコ出身の旅行家・法学者。約30年に及ぶ世界各地の旅を記録した。
1304年にタンジール近郊で生まれ、マラケシュで法学を修めた。1325年から通算約30年にわたり、北アフリカから中東、中央アジア、インド、中国など広範な地域を旅した。各地の風俗や習慣を詳細に観察し、『旅程記(リフラ)』として著した。イスラム世界の地理・文化に関する貴重な資料とされる。1368年に帰郷後も裁判官(カーディー)として法学の職に就いた。彼の記録は中世の海外旅行史研究において重要な史料となっている。
1304年 イブン・バットゥータ 法学者 1368年
1463年

ピコ・デラ・ミランドラ

(1463 - 1494)

哲学者、人文主義者

哲学者 人文主義者
ルネサンス期のイタリア人哲学者・人文主義者。『人間の尊厳についての弁論』で知られる。
1463年にイタリア北部のミランドラで生まれた貴族の子弟である。フィレンツェやパドヴァで学び、人文主義に傾倒した。1486年に教皇インノケンティウス8世に提出した『900箇条論題』で名声を博した。最も有名な著作『人間の尊厳についての弁論』で、人間の自由や尊厳を称揚した。当時の教会や学界との論争も多かったが、ヨーロッパ文化に大きな影響を与えた。1494年に36歳で若くして没し、思想は後世に受け継がれた。
1463年 ピコ・デラ・ミランドラ 哲学者 人文主義者 1494年
1500年

カール5世

(1500 - 1558)

神聖ローマ帝国皇帝、スペイン国王

神聖ローマ帝国皇帝 スペイン国王
16世紀のハプスブルク家出身の神聖ローマ皇帝・スペイン王。宗教改革期のヨーロッパ政治に影響を与えた。
1500年にフランドルで生まれ、1516年にスペイン王カルロス1世として即位した。1519年に神聖ローマ皇帝選挙で選出され、カール5世として戴冠された。プロテスタントの台頭と対峙し、カールシュタット・ヴォルムス帝国議会など宗教改革への対応に苦慮した。アメリカ大陸の植民地拡大やオスマン帝国との抗争も彼の治世の課題となった。1556年に退位し、スペイン王国と皇帝位をそれぞれ子息と弟に分割した。翌1558年に修道院で生涯を閉じた。
1500年 カール5世 1558年
1536年

クレメンス8世

(1536 - 1605)

第231代ローマ教皇

第231代ローマ教皇
1592年から1605年にかけて教皇を務めた第231代ローマ教皇。フランス宗教戦争の調停に関与。
1536年にイタリアのコンチェリャーノで生まれ、本名はイッポリート・アゴスティーニ=チエーザである。1592年に教皇庁の枢機卿として教皇に選出され、第231代教皇クレメンス8世となった。フランス宗教戦争を終結させ、アンリ4世のカトリック改宗を介して和解を実現した。教会改革の一環として宗務省の整備や巡礼地の復興を推進した。文化面ではバチカン美術の保護者としても知られ、多くの建築や美術品の収集に寄与した。1605年に崩御し、教会史に重要な役割を果たした。
1536年 クレメンス8世 ローマ教皇 1605年
1619年

シャルル・ルブラン

(1619 - 1690)

画家、室内装飾家

画家 室内装飾家
17世紀フランス王室付き画家・室内装飾家。ヴェルサイユ宮殿の装飾を手がけた。
1619年にパリで生まれ、画家ニコラ・プッサンの影響を受けて学んだ。1648年にルイ14世に招かれ、王室第一画家として活動を開始した。ヴェルサイユ宮殿の天井画や装飾を指揮し、フランス古典主義美術を代表する作品を多数制作した。フランス王立絵画彫刻アカデミーの初代総裁に就任し、美術教育の制度化に貢献した。その画風は整然とした構図と優雅な人物表現が特徴である。1690年に亡くなり、以後も多くの後進に影響を与えた。
1619年 シャルル・ルブラン 画家 1690年
1664年

トーマス・ニューコメン

(1664 - 1729)

発明家、起業家

発明家 起業家
18世紀初頭に大気圧蒸気機関を発明したイギリスの発明家・起業家。産業革命の基礎を築いた。
1664年頃にイングランド南部で生まれ、金細工師としての技術を身につけた。1705年頃から炭鉱の排水問題に関心を持ち、1712年に大気圧蒸気機関を完成させた。この新機関はピストンの動力源として大気圧を利用し、鉱山の排水作業に革新をもたらした。彼は友人と共にニューコメン蒸気機関会社を設立し、各地の鉱山に導入を進めた。後のジェームズ・ワットの改良型蒸気機関にも影響を与えた。1729年に没したが、その発明は産業技術史における重要なマイルストーンとなった。
1664年 トーマス・ニューコメン 発明家 起業家 1729年
1771年

ヨハン・バプティスト・クラーマー

(1771 - 1858)

ピアニスト、作曲家

ピアニスト 作曲家
18〜19世紀のドイツ出身ピアニスト・作曲家。ロンドンで活躍し、ピアノ教育に寄与した。
1771年にウィーンで生まれ、幼少期から音楽教育を受けた。1785年に渡英し、ロンドンを拠点に演奏活動を開始した。鋭い技巧と繊細な表現力で高い評価を得て、多くの貴族の耳目を集めた。自身の名を冠した楽譜出版業も営み、多くの練習曲集を刊行してピアノ教育に貢献した。代表作に『クラーマー練習曲集』があり、今日も演奏・教育の定番とされる。1858年にロンドンで没し、その業績はピアノ史に残る。
1771年 ヨハン・バプティスト・クラーマー ピアニスト 作曲家 1858年
1786年

ヴィルヘルム・グリム

(1786 - 1859)

文献学者、グリム兄弟の弟

文献学者 グリム兄弟の弟
19世紀のドイツ文献学者・民俗学者。兄ヤーコプと共に『グリム童話』を集め、『ドイツ語辞典』の編纂に携わった。
1786年にハーナウで生まれ、兄ヤーコプとともにドイツ民話の収集と研究を行った。1812年に初版『子どもと家庭の童話』を出版し、その後も複数版を改訂・刊行した。グリム童話は口承文化の貴重な記録として世界的に知られる。さらに両兄弟は50年以上かけて『ドイツ語辞典』の編纂を進め、豊富な語彙と用例を収録した。1859年にゲッティンゲンで没し、その学術的遺産は今日まで受け継がれている。
1786年 ヴィルヘルム・グリム グリム兄弟 1859年
1828年

ハリー・パークス

(1828 - 1885)

外交官

外交官
19世紀のイギリス外交官。中国や日本での公使を務め、通商条約交渉に尽力した。
1828年にイングランドで生まれ、東洋学の知識を背景に外交官を志した。1854年の日英修好通商条約交渉に参加し、日本との条約締結に貢献した。後に清国でも外交ポストを歴任し、天津条約などの調停に携わった。北京や上海で大英帝国の利益拡大を主導し、アヘン戦争後の東アジア情勢に影響を与えた。1885年に没するまで長年にわたりアジア政策の第一線で活躍した。
1828年 ハリー・パークス 1885年
1831年

レオ・フォン・カプリヴィ

(1831 - 1899)

軍人、政治家

軍人 政治家
プロイセン王国の軍人で、ドイツ帝国の第2代宰相を務めた人物。
1831年、プロイセン王国の兵士の家庭に生まれた。軍人としてキャリアを積み、普仏戦争での功績を重ねた。1890年にビスマルクの後任としてドイツ帝国宰相に就任し、自由貿易や英独関係の改善を目指す「新方針」を掲げた。しかし植民地政策を巡る対立から支持を失い、1894年に辞任した。晩年はハノーファー軍管区司令官を務め、1899年にこの世を去った。
1831年 レオ・フォン・カプリヴィ 軍人 政治家 1899年
1842年

アッリーゴ・ボーイト

(1842 - 1918)

詩人、台本作家、作曲家

詩人 台本作家 作曲家
イタリアの詩人、台本作家、作曲家。ヴェルディのオペラ台本で知られる。
1842年にミラノ近郊で生まれた。詩人として活動を開始し、詩集を刊行した。後に台本作家に転向し、ジュゼッペ・ヴェルディの『オテロ』『ファルスタッフ』の台本を手掛けて高い評価を得た。さらに作曲家として歌曲や室内楽作品を残し、音楽と文学の両面で活躍した。1918年にその生涯を閉じた。
1842年 アッリーゴ・ボーイト 詩人 台本 1918年