1623年
アンボイナ事件起こる。
オランダ東インド会社とイギリス東インド会社の対立が激化し、アンボイナ島でイギリス人商人が処刑された事件です。
1623年2月23日、オランダ東インド会社が支配するアンボイナ島(現インドネシア)で「アンボイナ事件」が発生しました。
オランダ側はイギリス人商人らを反乱計画の罪で拷問し、処刑しました。
英蘭両国の東インド会社間の競争が激化する中で起きた一幕で、イギリスは激しく抗議しました。
事件は英蘭関係を悪化させ、のちの英蘭戦争への影響を及ぼしました。
この事件は植民地支配と欧州列強間の東南アジア争奪戦を象徴しています。
1623年
アンボイナ事件
1778年
アメリカ独立戦争: シュトイベン男爵が大陸軍に参加。
プロイセン出身のシュトイベン男爵が大陸軍に加わり、軍隊訓練を刷新した出来事です。
1778年2月23日、プロイセン出身のフリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・シュトイベン男爵がアメリカ独立戦争中の大陸軍に入隊しました。
シュトイベンはヨーロッパ式の軍事訓練を導入し、兵士の練度と統率力を飛躍的に向上させました。
彼が作成したマニュアル『大陸軍ドリル規則』はアメリカ軍の基礎訓練書として広く用いられました。
シュトイベンの指導はバレー・フォージでの冬営所における士気回復にも大きく寄与しました。
その成果は後の戦いでの勝利を支え、アメリカ独立達成の一助となりました。
1778年
アメリカ独立戦争
シュトイベン男爵
大陸軍
1836年
テキサス独立戦争: アラモの戦いが始まる。
テキサス独立戦争でアラモ砦の包囲戦が始まり、志士たちの奮闘が後世に語り継がれるきっかけとなった戦いです。
1836年2月23日、テキサス独立戦争の重要な戦闘「アラモの戦い」が始まりました。
メキシコ軍のサンタ・アナ将軍がサンアントニオのアラモ砦を包囲し、テキサス独立志士が防御にあたりました。
デイビー・クロケットやジェームズ・ボウイら約200名の守備隊が約13日間奮闘しました。
最終的に砦は陥落し、多くの守備隊員が戦死しましたが、彼らの勇敢さは独立運動の象徴となりました。
「リメンバー・ザ・アラモ」の合言葉はテキサス軍の士気を高める原動力となりました。
1836年
テキサス独立戦争
アラモの戦い
1918年
第一次世界大戦でペトログラードへ進むドイツ軍の侵攻に赤軍が抵抗し、赤軍がドイツ帝国軍に初めて勝利(ソ連の陸海軍記念日)。
赤軍がドイツ帝国軍のペトログラード侵攻を食い止め、初の勝利を挙げた日(ソ連の陸海軍記念日)。
1918年2月23日、第一次世界大戦末期にドイツ帝国軍がペトログラードへ迫る中、レーニン政権下の赤軍が反撃に転じ初の戦果を挙げた。
赤軍は未熟な軍事組織ながら防衛線を維持し、首都のペトログラード(現サンクトペテルブルク)周辺でドイツ軍を退却させた。
この勝利はボリシェヴィキ政権の正当性を強化し、軍隊の士気向上に寄与したとして大きな政治的意義を持った。
ソ連政府は2月23日を「陸海軍記念日」と定め、赤軍創建と防衛の象徴として軍事祝祭日を制定。
現在のロシアでも「祖国防衛の日」として軍人や退役軍人を称える国民的な祝日となっている。
1918年
第一次世界大戦
ペトログラード
ドイツ軍
赤軍
ドイツ帝国
1945年
硫黄島の星条旗: 第二次世界大戦: 硫黄島の戦いにて米兵が擂鉢山山頂に星条旗を掲揚。
硫黄島の戦いで米兵が擂鉢山の山頂に星条旗を掲揚した歴史的瞬間。
1945年2月23日、硫黄島の戦いにおいてアメリカ海兵隊員が擂鉢山の山頂に星条旗を掲げました。この瞬間はジョー・ローゼンタールの写真「硫黄島の星条旗」として世界に知られ、アメリカの戦意高揚の象徴となりました。激しい戦闘が続く中での旗揚げは、兵士たちの士気を大きく鼓舞しました。写真は複数の兵士による2度の旗揚げを捉えたもので、その後の戦後記念碑や映画などにも大きな影響を与えました。硫黄島の星条旗は戦争の犠牲と勇気を伝える象徴的な出来事となっています。
1945年
硫黄島の星条旗
第二次世界大戦
硫黄島の戦い
星条旗
1945年
第二次世界大戦: イギリス空軍がプフォルツハイムを空襲、17,000人以上が死亡。
イギリス空軍がドイツ西部のプフォルツハイムへの大規模空襲を行い、多数の民間人が犠牲となった。
1945年2月23日夜、イギリス空軍がドイツのプフォルツハイム市に対して大規模な空襲を実施しました。狙いは都市部の工業施設と交通網の破壊で、約700機に及ぶ爆撃機が参加しました。爆撃は火災旋風を引き起こし、市内の大部分が焦土と化しました。公式発表では17,000人以上の死者が出たとされ、民間人被害の大きさが問題となりました。プフォルツハイム空襲は戦略爆撃の非人道性や民間人への被害を象徴する出来事として歴史に残っています。
イギリス空軍
プフォルツハイム
2002年
コロンビアでイングリッド・ベタンクールが誘拐される。ベタンクールは6年半後の2008年7月2日に救出。
2002年2月23日、コロンビアで大統領候補イングリッド・ベタンクールがFARCに誘拐されました。
2002年2月23日、コロンビアの山間部で大統領候補イングリッド・ベタンクールがゲリラ組織FARCに襲撃され、誘拐されました。
ベタンクールは6年半にわたり過酷な拘束生活を強いられましたが、2008年7月2日に軍事作戦「ハチェ」により無事救出されました。
彼女の誘拐事件は国内外で大きな注目を集め、人権問題や和平交渉の在り方に強い影響を与えました。
救出後は両国関係の改善と紛争解決に向けた議論が活発化しました。
2002年
コロンビア
イングリッド・ベタンクール
2008年