1905年

シカゴで弁護士ポール・ハリスらが、後にロータリークラブとなる相互扶助クラブの最初の会合を開く。

シカゴでポール・ハリスらがロータリークラブの前身となる相互扶助クラブを結成した日。
1905年2月23日、アメリカ・シカゴで弁護士ポール・ハリスら4人が職業を超えた友情と奉仕を目的とするクラブの初会合を開催。 当初は会合で担当役員が順番に持ち回りで「ロータリー(回転)」という名称を採用したことが由来とされる。 この団体は後にロータリークラブと名付けられ、定例の例会を通じて会員相互の親睦と地域社会への貢献活動を実践。 世界各地に支部を展開し、教育支援や保健衛生、災害支援など多彩な国際奉仕プロジェクトを手掛ける国際組織へと成長した。 現在も約200以上の国と地域で活動を展開し、リーダーシップ育成や社会貢献のプラットフォームとして広く認知されている。
1905年 シカゴ ロータリークラブ
1956年

東京中日新聞(現:東京中日スポーツ)創刊。

東京中日新聞が創刊され、後に東京中日スポーツとしてスポーツ専門紙へと発展した。
1956年2月23日、名古屋の中日新聞社が東京地区向けに東京中日新聞を創刊しました。創刊当初は総合紙として発行されていましたが、1966年に東京中日スポーツへと紙名を変更し、スポーツ紙としての特色を強めました。プロ野球や大相撲、サッカーなど多彩なスポーツニュースを提供し、東京都心部のスポーツファンに支持されました。現在は中日スポーツ系列の一紙として、各種スポーツイベントの報道を中心に展開を続けています。
1956年 東京中日スポーツ
1981年

ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が来日。ローマ教皇として初の来日。

1981年2月23日、ヨハネ・パウロ2世が公式訪問し、ローマ教皇として初めて日本を訪問しました。
ヨハネ・パウロ2世は1981年2月23日から3月4日まで日本を訪問し、広島・長崎を含む各地で平和への祈りを捧げました。 来日時には皇居で明仁天皇と謁見し、文化交流や宗教の意義についての対話を行いました。 各地で開催されたミサには数万人が参加し、日本におけるカトリック教会の認知向上に大きく寄与しました。 この訪問は戦後日本社会における宗教間対話と国際的な平和メッセージの象徴となりました。
ローマ教皇 ヨハネ・パウロ2世