1636年

サントーリオ・サントーリオ

(1561 - 1636)

医師、生理学者

医師 生理学者
イタリアの医師・生理学者。人体計測学の先駆者として知られています。
1561年にヴェネツィア共和国領で生まれた彼は医学を学び、人体の定量的研究を提唱しました。 体重計を医療現場に導入し、食事と体重の増減を綿密に記録しました。 1625年に発表した著書『De Statica Medicina in Morbis Acutis』で人体計測学の概念を示しました。 これにより、生理学研究における実験的・定量的手法の礎を築きました。 1636年に亡くなりましたが、その業績は後世の医学・生理学を大きく前進させました。
1636年 サントーリオ・サントーリオ 1561年
1687年

フランチェスコ・ラナ・デ・テルツィ

(1631 - 1687)

カトリック司祭、発明家

カトリック司祭 発明家
カトリック司祭であり、空気力学の先駆者として知られる発明家。
1631年にイタリアのベネトで生まれ、イエズス会に入会しました。 司祭としての務めを果たす一方、科学的研究にも取り組みました。 1670年代には空気力学に関する研究を行い、真空飛行体の理論模型を考案しました。 1670年に発表した『飛行機械』で軽量金属による気球構想を示し、近代飛行技術の先駆けとなりました。 1687年に没しましたが、その空中浮揚の理論は後世に影響を与えました。
1687年 フランチェスコ・ラナ・デ・テルツィ カトリック 1631年
1704年

ステフェン・ブランカールト

(1650 - 1704)

医師、博物学者、昆虫学者

医師 博物学者 昆虫学者
ドイツの医師・博物学者で、昆虫学の先駆者。
1650年に生まれ、医学を学びながら博物学全般に関心を寄せました。 昆虫の生態観察を行い、細密な観察記録を残しました。 1670年代以降、初期の昆虫学書を執筆し、ヨーロッパにおける博物学研究を促進しました。 医師としても診療にあたり、自然療法や薬草の利用研究を行いました。 1704年に没し、その博物学的業績は後の自然史学に影響を与えました。
1704年 ステフェン・ブランカールト 1650年
1731年

フレデリクス・ルイシ

(1638 - 1731)

植物学者、解剖学者

植物学者 解剖学者
オランダの植物学者・解剖学者。人体の微細構造を観察する標本づくりに革新をもたらした。
1638年にアムステルダムで生まれたルイシは、解剖学と植物学の分野で先駆的な研究を行った。 人体の血管やリンパ管を染色注入する技術を開発し、透明標本の制作を可能にした。 彼の標本は驚異的なリアリズムで評価され、ヨーロッパ中の研究者や貴族を魅了した。 アムステルダム大学の教授として多くの門弟を育成し、解剖学博物館のコレクションを拡充。 1731年に没した後も、その業績は組織保存技術の発展に大きく寄与した。
1731年 フレデリクス・ルイシ 植物学者 解剖学者 1638年
1794年

カスパー・ヴォルフ

(1733 - 1794)

生理学者

生理学者
ドイツの生理学者。発生学の基礎を築いた研究で知られる。
1733年にドイツで生まれたヴォルフは、発生学の黎明期を代表する研究者。 チューリヒ大学で医学を学び、Albrecht von Hallerのもとで解剖学や生理学を修めた。 1759年の『受胎の理論』においてエピジェネシス説を提唱し、胚発生の過程を体系的に記述。 当時主流であった前形成説に対抗し、発生学の学問的基盤を大きく前進させた。 1794年に没し、その思想は後の発生生物学や組織学研究に多大な影響を与えた。
1794年 カスパー・ヴォルフ 1733年
1815年

スミソン・テナント

(1761 - 1815)

化学者

化学者
イギリスの化学者。元素プラチナとオスミウム・イリジウムの発見で知られる。
1761年にイギリスで生まれたテナントは、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジで学位を取得。 研究により1803年にプラチナを純粋な金属として単離する方法を確立。 さらにオスミウムとイリジウムという新元素を発見し、元素化学の発展に大きく貢献。 その実験的手法は後の無機化学研究における基礎となった。 1815年に熱性疾患により逝去したが、発見した元素は現代産業でも重要な役割を果たしている。
1815年 スミソン・テナント 1761年
1875年

チャールズ・ライエル

(1797 - 1875)

地質学者

地質学者
地質学のパイオニア。 『地質学原理』で地球の長い歴史を提唱した。
1797年にスコットランドで生まれる。 ケンブリッジ大学で地質学を学び、1830年代に『地質学原理』を発表。 穏やかな長期作用による地形変化(均変説)を唱え、洪水説を否定。 後にチャールズ・ダーウィンにも影響を与え、モダン・ジオロジーの基礎を築いた。 ヨーロッパやアフリカを調査し、多数の地層研究を行う。 1875年に亡くなり、現代地質学の礎として高く評価されている。
チャールズ・ライエル 地質学者 1797年
1885年

ホーレス・ケプロン

(1804 - 1885)

元開拓使御雇教師頭取兼開拓顧問

元開拓使御雇教師頭取兼開拓顧問
アメリカ出身の農業技術者。 北海道開拓への助言で功績を残した。
1804年にアメリカ東海岸で生まれる。 農学と産業振興に関する著書が評価され、米国農務省の顧問を歴任。 1871年に北海道開拓使の招へいを受け、御雇教師頭取として来日。 西洋農法の導入や酪農振興に尽力し、開拓地の基盤整備に貢献。 地元開拓農家への指導を通じて新技術を普及。 1885年に帰国後も農業振興に関する活動を続けた。
1885年 ホーレス・ケプロン 開拓使 1804年
1913年

フェルディナン・ド・ソシュール

(1857 - 1913)

言語学者

言語学者
構造主義言語学の創始者。 「ラング」と「パロール」を区別した。
1857年にスイス・ジュネーヴで生まれる。 ライプツィヒ大学で文献学と言語学を学ぶ。 1916年に未完のまま死後出版された『一般言語学講義』で名声を確立。 言語を体系(ラング)と運用(パロール)に分け、言語記号論を展開。 シニフィアンとシニフィエの概念を打ち出し、構造主義の基盤を築く。 現代言語学や社会学、人文科学に広範な影響を与えた。
1913年 フェルディナン・ド・ソシュール 言語学者 1857年
1925年

田中稲城

(1856 - 1925)

図書館学者、帝国図書館初代館長

図書館学者 帝国図書館初代館長
日本の図書館学の草分け、帝国図書館初代館長。
1856年に東京で生まれる。東京大学卒業後、欧米の図書館制度を調査し知見を深める。1897年に帝国図書館の初代館長に就任し、近代図書館制度の基礎を築いた。蔵書分類法や閲覧制度を整備し、公共図書館設立にも尽力。後進の育成にも注力し、日本の図書館員教育に大きく貢献。1925年に没後も図書館学の礎として評価され続けている。
1925年 田中稲城 図書館学者 帝国図書館 1856年
1965年

フェリックス・フランクファーター

(1882 - 1965)

法学者

法学者
オーストリア生まれのアメリカの法学者・裁判官。ハーバード大学で教鞭をとり、1939年から1962年まで米国最高裁判所判事を務めた。
1882年4月8日、オーストリア=ハンガリー帝国(現チェコ)に生まれる。1908年に独立移民としてアメリカに渡り、コロンビア大学で法律を学ぶ。1914年からハーバード大学で法学教授を務め、法理論や公民権問題で影響力を発揮する。1939年にルーズベルト大統領に指名され、米国最高裁判所判事に就任。多くの重要判例で自由主義的解釈に貢献し、1962年まで在職。1965年2月22日に逝去。
1965年 フェリックス・フランクファーター 法学者 1882年
1975年

渋沢元治

(1876 - 1975)

電気工学者、工学博士

電気工学者 工学博士
渋沢元治 工学博士 1876年