1371年

デイヴィッド2世

(1324 - 1371)

スコットランド王

スコットランド王
スコットランド王(在位:1329年~1371年)。
デイヴィッド2世(1324年生–1371年没)は、スコットランド王ロバート1世の長子で、第129代スコットランド王に即位しました。 1329年に5歳で王位を継承し、幼少期は摂政による統治が行われました。 1346年のネヴィルズ・クロスの戦いで戦敗し、イングランドに捕らえられ約11年間幽閉されました。 1357年のバラローン条約により高額な身代金を支払い帰国しましたが、財政難に悩まされました。 帰国後も国内の貴族勢力と対立し、治世は不安定でした。 子がなく、弟のロバート2世に王位を継承して死去しました。
1371年 デイヴィッド2世 スコットランド 1324年
寛永11年1月25日

稲葉正勝

(1597 - 1634)

江戸幕府老中、小田原藩主

江戸幕府老中 小田原藩主
江戸幕府の老中として幕政に携わり、小田原藩主を務めた大名。
1597年に生まれ、稲葉家の当主として小田原藩を治めました。 江戸幕府では老中に任じられ、幕政の中枢である政策立案に関与しました。 特に財政・警備制度の整備や諸大名統制に力を注ぎ、幕府の安定に努めました。 また、領国経営にも熱心で、治水や城下町の整備など藩政改革を推進しました。 1634年の死去まで、幕府と領国の両面で指導的役割を果たしました。
1634年 寛永 1月25日 稲葉正勝 江戸幕府 老中 小田原藩主 1597年
延宝8年1月22日

太田資宗

(1600 - 1680)

元浜松藩主

元浜松藩主
浜松藩主として家督を継いだ江戸時代初期の大名。
1600年に生まれ、太田氏の一門として浜松藩主となりました。 江戸幕府成立期に藩政を担い、城下町の整備や農村復興に尽力しました。 幕府への忠節を示し、幕政への協力も行いました。 延宝8年(1680年)に没するまで、約80年にわたる生涯を送りました。 長寿を生きた大名としても知られています。
1680年 延宝 1月22日 太田資宗 浜松藩主 1600年
1780年

フランチェスコ3世・デステ

(1698 - 1780)

モデナ・レッジョ公

モデナ・レッジョ公
イタリア・モデナ=レッジョ公国を治めた君主。啓蒙専制君主として改革を推進した。
1698年にモデナ公国で生まれたフランチェスコ3世は、1737年に公位を継承した。 啓蒙思想に影響を受け、行政・財政の効率化や司法制度の整備を図った。 文化振興にも注力し、宮廷に多くの芸術家や学者を招いてサロン文化を育成。 また灌漑事業や道路整備により領内経済の発展を支えた。 1780年の死去まで43年にわたり統治を続け、その治世は安定と繁栄をもたらした。
1780年 フランチェスコ3世・デステ モデナ レッジョ 1698年
天明4年閏1月2日

津軽信寧

(1739 - 1784)

第7代弘前藩主

第7代弘前藩主
江戸時代中期の弘前藩第7代藩主。藩政改革を通じて地域発展を図った。
1739年に藩主・津軽信義の子として生まれ、1758年に第7代藩主を継承した。 財政難に直面した藩政を立て直すため、年貢改革や産業奨励策を実施。 蘭学に理解を示し、藩士のオランダ語教育や洋学研究を奨励した。 また土木事業や治水対策に取り組み、農業生産力の向上を支えた。 1784年の死去後も、その統治手腕は後世に高く評価された。
1784年 天明 1月2日 津軽信寧 弘前藩主 1739年
1898年

興宣大院君

(1820 - 1898)

李氏朝鮮の摂政

李氏朝鮮の摂政
朝鮮王朝・高宗の父で実権を握った摂政。 内政改革を進めたが後に失脚した。
1820年に朝鮮で生まれ、李氏朝鮮第26代王高宗の父となる。 1864年から摂政として政務を掌握し、改革を断行。 戸籍制度や租税制度の整備を進め、官僚機構の刷新を図る。 また西洋列強の圧力に対抗し内政の独立を維持しようと努めた。 1894年の甲申政変後に権勢を失い、政治舞台から退く。 1898年に逝去した。
1898年 興宣大院君 李氏朝鮮 摂政 1820年
1913年

フランシスコ・マデロ

(1873 - 1913)

政治家、第38代メキシコ大統領

政治家 第38代メキシコ大統領
民主主義の確立を志し、メキシコ革命を主導した第38代大統領。
1873年にタマウリパス州で生まれる。裕福な地主の家に育ち、フランスやアメリカで学ぶ。著書『大統領継承』で独裁打倒を訴え、1910年のメキシコ革命の契機に。1911年に大統領選で勝利し、民主的改革を推進。しかし旧体制派の反発を受け、1913年のランサ・クチラーダでクーデターにより失脚。流刑先で暗殺され、その死は革命の象徴となった。
フランシスコ・マデロ メキシコ大統領 1873年
1923年

テオフィル・デルカッセ

(1852 - 1923)

元フランス外相

元フランス外相
英仏協商の成立に尽力したフランスの外相・政治家。
1852年に南フランスで生まれる。地元議会を経て1899年に植民相、1902年に外相に就任。1904年にイギリスとの協商を成立させ、欧州外交の安定に貢献。1906~1909年に首相を務め、財政再建や社会政策を推進。第一次世界大戦開戦時にも外相として外交調整を行った。1923年に亡くなり、その外交手腕は高く評価されている。
1923年 テオフィル・デルカッセ フランス 1852年
1923年

ダムディン・スフバートル

(1894 - 1923)

モンゴルの革命家

モンゴルの革命家
モンゴル人民共和国成立の中心人物である革命家。
1894年にスホバートル地方で生まれる。ロシア留学後、モンゴル人民党を結成し抗争を指導。1921年の革命で独立回復に成功し、初代軍事相に就任。農民や遊牧民の支持を得て新政府の基盤を築いた。モンゴルの国民的英雄として『人民の父』と称される。1923年に若くして没し、現在も銅像や通貨にその姿が残る。
ダムディン・スフバートル モンゴル 1894年
1946年

内藤守三

(1857 - 1946)

政治家

政治家
明治・大正期に活躍した日本の政治家。
1946年 内藤守三 1857年
1978年

川崎秀二

(1911 - 1978)

政治家

政治家
戦後の日本政治を支えた政治家。衆議院議員などを歴任し、地域振興に尽力した。
1911年に生まれる。地元選挙区から衆議院議員に初当選し、社会福祉政策や農業振興に取り組んだ。党内では要職を歴任し、行政改革や地域開発にも関与した。政治経験を通じて住民の生活向上に貢献し、1978年に逝去した。
1978年 川崎秀二 1911年
1985年

藤山愛一郎

(1897 - 1985)

元外務大臣、経済企画庁長官

元外務大臣 経済企画庁長官
戦後日本の政治家。外務大臣や経済企画庁長官を歴任した。
戦後復興期の政治家として活動。外務大臣として日本の国際関係強化に取り組んだ。経済企画庁長官として国内経済政策の立案を主導。党内外の調整役として政界で影響力を発揮。日本の外交・経済両面での発展に寄与した。
藤山愛一郎 外務大臣 経済企画庁長官 1897年