1804年

イギリスで、リチャード・トレビシックが発明した蒸気機関車の試運転に成功。

リチャード・トレビシックが世界初の蒸気機関車の試運転に成功しました。
1804年、イギリスの技術者リチャード・トレビシックはペニダレン製鉄所で高圧蒸気を動力源とする機関車を製作しました。 この蒸気機関車はレール上を自走可能な設計として世界初の試運転に成功します。 それまでの蒸気車は車輪を動かす機構が未完成でしたが、トレビシックは動輪と蒸気機関を直接結合しました。 この技術的成果は後の鉄道発展に大きく寄与し、産業革命を加速させる重要な一歩となりました。 蒸気機関車の実用化は交通・物流の革命をもたらし、世界各地で鉄道網が拡大していきます。
1804年 リチャード・トレビシック 蒸気機関車
1842年

ジョン・グリーノウが、アメリカ合衆国における初めてのミシンの特許を取得。

ジョン・グリーノウがアメリカで初めてミシンの特許を取得しました。
1842年、アメリカの発明家ジョン・グリーノウがチェーンステッチ式の手動ミシンに関する特許を取得しました。 彼の設計は安全機構と縫い目制御装置を備え、家庭用から工業用まで幅広い用途を想定していました。 これにより手縫いから機械縫いへの移行が進み、衣服生産の効率化が図られました。 後のミシン改良や組み立てラインとの結合により、繊維産業の規模拡大を促しました。 グリーノウの特許はアメリカのミシン産業の発展に大きな影響を与えました。
1842年 アメリカ合衆国 ミシン
1947年

エドウィン・ハーバード・ランドが初のインスタントカメラをアメリカ光学会で発表。

ランドが初のインスタントカメラを発表し、即席写真技術が実用化された。
1947年2月21日、発明家エドウィン・ハーバード・ランドはアメリカ光学会で世界初のインスタントカメラを披露した。 このカメラは撮影後数十秒で現像が完了する革新的な技術を搭載し、のちにポラロイド社製品として普及した。 ランドの技術は化学的な現像プロセスをカートリッジ内で完結させるもので、一般消費者の写真体験を一変させた。 即席写真のアイデアはプロ・アマチュアを問わず写真文化に新たな楽しみを与え、商業的にも大成功を収めた。 のちの世代にも影響を及ぼし、デジタル時代の即時性への先駆けとされる。
1947年 エドウィン・ハーバード・ランド インスタントカメラ アメリカ光学会
1953年

フランシス・クリックとジェームズ・ワトソンがDNAの二重螺旋構造を発見。

フランシス・クリックとジェームズ・ワトソンがDNAの二重らせん構造を明らかにし、分子生物学の革命が始まった。
1953年2月21日、ケンブリッジ大学の研究室でフランシス・クリックとジェームズ・ワトソンがDNAの二重螺旋モデルを提案。 これまで不明だった遺伝物質の構造を立体モデルで解明し、塩基対の相補性を示した。 ワトソンは複製機構の仮説を提示し、遺伝情報の伝達原理を理論化。 同年4月に科学誌『Nature』に論文が掲載され、分子生物学の基盤を築いた。 この発見は遺伝学やバイオテクノロジーの発展を促し、ノーベル賞受賞への道を開いた。
1953年 フランシス・クリック ジェームズ・ワトソン DNA 二重螺旋
1972年

ソ連の無人月探査機「ルナ20号」が月に着陸。

ソ連の無人探査機ルナ20号が月面に着陸し、サンプル採取ミッションを成功させました。
1972年2月21日、ソビエト連邦のルナ20号が月の高地に着陸し、月の岩石や土壌を採取するミッションを完遂しました。搭載されたサンプル容器には約55グラムの月岩が収納され、地球へ持ち帰られたことで月の地質研究に大きく貢献しました。この成果は米ソ宇宙開発競争においてソ連の科学技術力を示すものとなりました。
ルナ20号
1979年

東大宇宙航空研がX線観測衛星「はくちょう」を打ち上げ。

1979年、日本初のX線観測衛星『はくちょう』が打ち上げられ、宇宙X線天文学の新時代が幕を開けました。
1979年2月21日、東京大学宇宙航空研究所(現・宇宙航空研究開発機構)はX線天文衛星『はくちょう』(ASTRO-A)を打ち上げました。本衛星は銀河中心核や超新星残骸など多数のX線天体を観測し、新たな発見をもたらしました。その成果は日本の宇宙科学研究の発展に大きく寄与し、後続ミッションへの基盤となりました。
1979年 東大宇宙航空研 はくちょう