文明14年2月4日

足利義政が慈照寺(銀閣)の造営を始める。

室町幕府8代将軍・足利義政が東山文化の象徴である慈照寺(銀閣)の造営を開始しました。
1482年、室町幕府8代将軍の足利義政は山荘として銀閣山荘の造営を命じ、東山山荘(のちの慈照寺)が建設され始めました。 設計には禅宗の影響や書院造、回遊式庭園の要素が取り入れられ、後の東山文化を代表する建築様式とされます。 正式名称は慈照寺ですが、仏殿の屋根が銅板で覆われる計画から「銀閣」と呼ばれました。 義政没後も数度にわたる改修を経て、現在は世界遺産「古都京都の文化財」の一部として保存されています。 その簡素で侘び寂びを重んじる美意識は日本美術史上重要な位置を占めています。
1482年 文明 2月4日 足利義政 慈照寺
1911年

夏目漱石が文部省からの文学博士号授与を辞退する。

夏目漱石が文学博士号の授与を辞退し、学位よりも創作の自由を重んじる立場を示した。
1911年、文部省は夏目漱石の業績を評価し文学博士号を授与しようとした。 漱石は学位授与を辞退し、自身の文学活動が学問的規範に囚われない自由な創作を旨とする意志を示した。 辞退の理由には欧米留学での経験や、自らの作家としての独立性を重視した姿勢が背景にある。 この決断は当時の文壇に大きな波紋を呼び、学術と文学の関係について議論を喚起した。 漱石の姿勢は後の作家にも影響を与え、自由な表現を追求する文学観の先駆けとなった。
夏目漱石
1974年

朝日新聞で連載されていた4コマ漫画『サザエさん』が、作者・長谷川町子の病気療養によりこの日を最後に休載。そのまま打ち切りとなる。

1974年、漫画『サザエさん』が作者の病気療養により突如休載され、そのまま連載が終了しました。
1974年2月21日、長谷川町子の病気療養に伴い朝日新聞で連載されていた4コマ漫画『サザエさん』がこの日を最後に休載となりました。再開されずに打ち切りとなったことで、戦後日本の家庭風景を描いた国民的作品は意外な形で幕を閉じ、多くの読者に衝撃を与えました。
1974年 朝日新聞 4コマ漫画 サザエさん 長谷川町子
1980年

家元制度に反対する前衛舞踊家の花柳幻舟が、花柳流家元3世花柳寿輔を襲撃。

1980年、日本舞踊の家元制度に反発した舞踊家が家元を襲撃し、芸能界に衝撃を与えました。
1980年2月21日、前衛舞踊家の花柳幻舟が自身の芸風を貫くために家元制度に反対し、花柳流家元3世の花柳寿輔を稽古場で襲撃しました。寿輔は軽傷を負いましたが、この事件は伝統文化の継承方法や家元制度の是非を巡る議論を呼び起こしました。日本舞踊界内外に波紋を広げ、後の改革運動にも影響を与えました。
1980年 花柳幻舟 3世花柳寿輔
1988年

8センチサイズのシングルCDが日本国内で初めて販売される。

日本国内で初となる8センチサイズのシングルCDが登場し、音楽市場に新たな可能性を開きました。
1988年2月21日、日本の音楽市場において新たな試みとして8センチサイズのシングルCDが初めて販売されました。 従来の12センチCDに比べて携帯性に優れ、ジャケットデザインやパッケージサイズもコンパクトにまとめられています。 このフォーマットは主にシングル曲のリリース向けに最適化され、アーティストの新曲プロモーションに利用されました。 発売当初は専用トレーやアダプターが必要でしたが、後にプレーヤーの仕様変更でその必要がなくなるなど技術進化を促しました。 多くのレコード会社が続々と8センチシングルCDを発売し、その後数年間でJ-POP市場の定番フォーマットとなりました。
1988年 8センチサイズ シングル CD
2008年

歌手のリアーナが母国バルバドスの名誉文化大使に任命される。バルバドス政府がこの日を「リアーナの日」と制定。

世界的歌手リアーナがバルバドスの名誉文化大使に任命され、この日が「リアーナの日」と制定されました。
2008年2月21日、バルバドス政府は国際的に活躍する同国出身の歌手リアーナを名誉文化大使に任命しました。 リアーナは音楽活動のみならず慈善活動でも高い評価を受け、若年層への教育支援や医療支援に貢献しています。 政府は彼女の文化的功績を称え、この日を「リアーナの日」と定め、毎年記念行事を開催すると発表しました。 名誉文化大使としてリアーナにはバルバドスの文化遺産の国内外への発信と観光促進が期待されました。 任命式では大勢の国民が祝福し、メディアも大きく取り上げるなど国民的な祝賀ムードが広がりました。
2008年 歌手 リアーナ バルバドス