1946年

新円切替: 「金融緊急措置令」を公布施行。旧円紙幣の通用を停止、預金持出しを制限。

1946年、日本政府が金融緊急措置令を実施し、旧円から新円への切替を行った経済改革。
戦後の急激なインフレを抑えるため、1946年2月17日に金融緊急措置令が公布されました。 旧円紙幣の通用が停止され、新円への切替が義務付けられました。 預金の引き出しや持ち出しには上限が設けられ、国民は混乱と不安に直面しました。 一律の交換比率が適用されたものの、高額紙幣の扱いで混乱が続出しました。 この緊急措置は物価安定に一定の効果をもたらしたものの、経済活動への影響も大きく、その後の金融政策に影響を与えました。
1946年 新円切替 金融緊急措置令
1972年

フォルクスワーゲン・タイプ1(ビートル)の累計生産台数がフォード・モデルTの世界記録を塗り替える。

フォルクスワーゲン・タイプ1(ビートル)の累計生産台数がフォード・モデルTを超え、世界一となりました。
1972年2月17日、フォルクスワーゲン・タイプ1(通称ビートル)の累計生産台数が、長年世界最多を誇っていたフォード・モデルTの記録を塗り替えました。 戦後の再建期から小型車市場を席巻したビートルは、安価で信頼性の高い設計により世界中で高い人気を博し、自動車産業の枠組みを変える存在となりました。 この達成はフォルクスワーゲン社の技術力とマーケティング戦略の成功を示すものであり、欧米をはじめ各国で愛好者を増やしました。 一方、モデルTは20世紀初頭に自動車普及の先駆けとして革新的な大量生産方式を導入し、自動車産業全体に大きな影響を与えた歴史的存在です。 両車種の競争は自動車ファンや産業専門家の間で語り草となり、自動車史におけるマイルストーンとして評価されています。
1972年 フォルクスワーゲン・タイプ1 フォード・モデルT