1867年

ヨハン・シュトラウス2世のワルツ『美しく青きドナウ』が初演される。

ヨハン・シュトラウス2世の代表作ワルツ『美しく青きドナウ』が初演されました。
1867年2月15日、ウィーンのヴォルフガング座にてヨハン・シュトラウス2世によるワルツ『美しく青きドナウ(An der schönen blauen Donau)』が初演されました。 当初は合唱付き楽曲として発表された後、器楽版が編曲され世界的な名曲となりました。 ドナウ川の風景を音楽で表現したこの作品は浪漫派音楽を代表し、華麗な旋律とオーケストレーションが特徴です。 初演は大成功を収め、シュトラウス2世の名声を不動のものとしました。 現在もニューイヤーコンサートなどで演奏され続ける、ウィーンの象徴的な楽曲です。
1867年 ヨハン・シュトラウス2世 美しく青きドナウ
1955年

文部省が、重要無形文化財指定制度に基づく第一次指定を告示。初の人間国宝認定。

1955年、文部省は重要無形文化財の第一次指定を告示し、初の人間国宝を認定しました。 伝統文化の保存と継承を目指した制度のスタートです。
日本の伝統文化を後世に伝えるため、1955年2月15日に重要無形文化財指定制度が始まりました。 同日に第一陣として能楽や茶道、工芸技術などが指定されました。 また「人間国宝」と呼ばれる保持者制度も初めて認定されました。 この制度により、優れた技術や芸能を持つ個人が国から公的支援を受ける仕組みが整備されました。 以降、文化財保護法の一環として多くの分野で無形文化財の保護が進められています。 今日では国内外から日本文化の貴重な側面として高く評価されています。
1955年 重要無形文化財 人間国宝
1981年

日本劇場が閉館。日劇ダンシングチーム (NDT) が解散。

1981年、東京・日比谷の日本劇場が閉館し、長年人気を誇った日劇ダンシングチーム(NDT)が解散を余儀なくされました。
日本劇場は戦後から長年にわたり国内外の舞台作品を上演し、多くの観客を魅了してきました。 しかし、興行不振や建物の老朽化により1981年2月15日に閉館が決定されました。 同劇場を拠点に昭和の名物企画として人気を博した日劇ダンシングチーム(NDT)も同日に解散。 華やかな舞台衣装や軽快なダンスで一世を風靡したNDTの解散は、昭和のエンターテインメント文化の一つの区切りとなりました。 閉館後、日本劇場跡地は再開発が進められ、現在は別の施設に生まれ変わっています。 今でも当時の舞台写真や映像は昭和の舞台芸術を伝える貴重な資料として残っています。
1981年 日本劇場 日劇ダンシングチーム