1152年

コンラート3世

(1093 - 1152)

神聖ローマ皇帝

神聖ローマ皇帝
1138年にローマ王に選出され、神聖ローマ皇帝としてホーエンシュタウフェン朝を確立した。 第二回十字軍を指揮し、欧州史に名を残す君主。
コンラート3世は1093年にシュヴァーベン公コンラート1世の子として生まれた。 1138年にローマ王(ドイツ王)に選出され、ホーエンシュタウフェン朝の初代皇帝となった。 教皇の支持を得られず正式な戴冠を果たせなかったものの、皇帝位を実質的に保持した。 1147年から1150年にかけて第二回十字軍を率い、アジア遠征で大きな影響力を発揮した。 皇帝としては皇権強化に努め、神聖ローマ帝国内の諸侯統制を図った。 1152年に没し、同家のフリードリヒ1世(バルバロッサ)の時代へとつながった。
1152年 コンラート3世 神聖ローマ皇帝 1093年
応保2年1月30日

藤原宗輔

(1077 - 1162)

平安時代の公卿

平安時代の公卿
平安時代後期の藤原氏北家に属する公卿。朝廷の儀式や政治に参与した長寿の貴族。
藤原宗輔は1077年に藤原氏北家に生まれた。 長年にわたり公卿として朝廷で要職を務め、儀式や政務に関与した。 応保2年(1162年)1月30日に没し、享年86を数えた。 具体的な事績の記録は限られるものの、当時の貴族社会を代表する一人とされる。 長寿を全うし、平安時代後期の宮廷文化を支えた。
1162年 応保 1月30日 藤原宗輔 平安時代 公卿 1077年
延徳3年1月7日

足利義視

(1439 - 1491)

室町幕府の武将

室町幕府の武将
足利義政の弟にして後継者候補となり、応仁の乱の発端に関わった室町幕府の武将。
足利義視は1439年に室町幕府8代将軍・足利義政の弟として誕生した。 将軍後継争いに巻き込まれ、当初は東軍の総大将として応仁の乱を指導した。 しかし義政の子嗣誕生により後継権を失い、その後は幕府内で一線を退いた。 退隠後は武芸や文化活動に親しんだとされる。 1491年に没し、室町時代の権力闘争を象徴する人物の一人となった。
1491年 延徳 1月7日 足利義視 室町幕府 武将 1439年
天正19年1月22日

豊臣秀長

(1540 - 1591)

戦国時代の武将、豊臣秀吉の弟

戦国時代の武将 豊臣秀吉の弟
戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した豊臣秀吉の実弟。 豊臣政権の軍事指揮を担い、四国征伐や九州平定で大きな功績を残した。
豊臣秀長は1540年に尾張国で生まれ、豊臣秀吉の実弟として仕えた。 1585年の四国征伐では讃岐・阿波攻略を、1587年の九州平定では島津氏討伐を指揮し、豊臣政権の拡大に貢献した。 その後は近江長浜城主として領地経営にも携わり、行政手腕を発揮した。 晩年は弟秀吉の政務を補佐し、政権の安定化に努めた。 1591年に没し、兄弟の絆と軍事的才能で知られる武将として記憶されている。
1591年 天正 1月22日 豊臣秀長 戦国時代 豊臣秀吉 1540年
1621年

ミヒャエル・プレトリウス

(1571 - 1621)

作曲家

作曲家
バロック初期の多才なドイツ人作曲家・音楽理論家。
ミヒャエル・プレトリウスは1571年にマクデブルク近郊で生まれた。 マルティン・ルター派教会の聖歌を編纂し、多くの宗教曲を作曲した。 代表作集『テリピシコレ(Terpsichore)』ではダンス音楽を集大成した。 音楽理論書『楽器編成論』などを著し、当時の音楽実践に大きな影響を与えた。 1621年に没するまで、教会音楽と舞曲の両面で豊かな作品を残した。
1621年 ミヒャエル・プレトリウス 作曲家 1571年
1637年

フェルディナント2世

(1578 - 1637)

神聖ローマ皇帝

神聖ローマ皇帝
1619年に皇帝に即位し、三十年戦争を主導した神聖ローマ皇帝。
フェルディナント2世は1578年にアルファベンで生まれ、ハプスブルク家を代表する君主であった。 1619年に神聖ローマ皇帝に即位し、教皇派の支持を得てカトリック教会の権威回復に尽力した。 1618年に始まった三十年戦争では軍事・外交を統括し、帝国領の防衛に努めた。 ティリー将軍やバイエルン選帝侯マクシミリアン1世と連携し、プロテスタント勢力に対抗した。 1637年に没し、その後のウェストファリア条約締結の一因を作った。
1637年 フェルディナント2世 1578年
慶長6年1月13日

末次元康

(1560 - 1601)

戦国時代の武将、毛利元就の八男

戦国時代の武将 毛利元就の八男
毛利元就の八男として生まれ、毛利氏の一族として活躍した戦国武将。
末次元康は1560年に安芸国で毛利元就の八男として生まれた。 兄たちとともに毛利氏の領地拡大に関与し、国内統治や外交に携わった。 戦国時代の混乱期において家中の結束維持に努め、諸大名との交渉で役割を果たした。 具体的な戦功記録は少ないが、長寿を保ち1601年に没した。 元就の血を引く武将の一人として、当時の大名家の複雑な家族関係を示す存在である。
1601年 慶長 1月13日 末次元康 戦国時代 毛利元就 1560年
1781年

ゴットホルト・エフライム・レッシング

(1729 - 1781)

詩人、劇作家、思想家、評論家

詩人 劇作家 思想家 評論家
ドイツ啓蒙主義を代表する詩人・劇作家・思想家。
ゴットホルト・エフライム・レッシングは1729年にナイエで生まれた。 『ミンナ・フォン・バルバラ』や『エミリア・ガレルニカ』などの戯曲で人気を博した。 代表作『ナータン・デア・ヴァイゼ(Nathan der Weise)』は宗教寛容を主題とする。 哲学的論考『ユダヤ人問題』において宗教・社会問題への鋭い洞察を示した。 評論家としても活動し、文学批評・美学理論にも重要な貢献をした。 1781年に没し、ドイツ文学と思想に大きな影響を与えた。
1781年 ゴットホルト・エフライム・レッシング 詩人 劇作家 思想家 評論家 1729年
享和4年1月5日

高橋至時

(1764 - 1804)

天文学者

天文学者
江戸時代後期の天文学者で、暦法研究と天体観測に貢献した。
高橋至時は1764年に江戸で生まれ、幕府の天文方となった。 天体観測機器の改良や星図作成を手掛け、暦法の正確性向上に尽力した。 日食・月食の観測を通じて理論と実測の差異を研究し、新たな暦作成に寄与した。 著作には天文方の記録や観測報告が残され、後世の天文学発展に影響を与えた。 1804年に没し、日本の江戸時代における科学技術史の重要人物とされる。
1804年 享和 1月5日 高橋至時 天文学者 1764年
文化2年12月27日

松平容住

(1779 - 1806)

陸奥会津藩第6代藩主

陸奥会津藩第6代藩主
会津藩第6代藩主として領地統治にあたった江戸時代の大名。
松平容住は1779年に会津松平家に生まれ、第6代会津藩主として家督を継いだ。 藩財政の健全化を図り、農村振興や商工業奨励策を実施した。 藩校や学問所の整備を支援し、人材育成に力を注いだ。 幕府との連携を重視しつつ、会津藩の自治と安定に尽力した。 1806年に没し、藩政改革を推進した名君として記憶される。
1806年 文化 12月27日 松平容住 陸奥 会津藩 1779年
1844年

ヘンリー・アディントン

(1757 - 1844)

政治家、イギリス首相

政治家 イギリス首相
18世紀から19世紀にかけて活躍したイギリスの政治家。第2代首相として国政運営に尽力した。
1757年に生まれ、オックスフォード大学で学んだ後、庶民院議員として政治家の道を歩む。1790年代から財務大臣など要職を歴任し、1801年に首相に就任。ナポレオン戦争前の休戦条約(アミアンの和約)締結に尽力し、国民の支持を獲得した。1812年から1816年までアイルランド副王を務め、行政改革を推進。晩年は貴族院で穏健保守派として活動し、その政治手腕で評判を集めた。
1844年 ヘンリー・アディントン イギリス首相 1757年
1846年

オットー・フォン・コツェブー

(1787 - 1846)

航海士、探検家

航海士 探検家
ロシア帝国に仕え、世界各地を探検したバルト海沿岸出身の航海士兼探検家。
1787年に貴族の家庭に生まれる。1815年から1818年にかけて太平洋諸島の海図作成に貢献し、1823年から1826年の北極探検ではコツェブー海峡を発見した。ロシア海軍で中佐に昇進し、地理学・民族学の調査成果を報告。探検報告書を出版し、学術界や海軍に多大な影響を与えた。晩年まで探検家としての業績を広く伝えた。
1846年 オットー・フォン・コツェブー 探検家 1787年