1938年
北海道札幌市で国内初のボブスレー競技会が開催された。
1938年、札幌市円山競技場で日本初のボブスレー競技会が開催されました。
札幌市では冬季スポーツの振興を目指し、新たに円山競技場にソリコースを整備。
1938年2月12日、国内初となるボブスレー競技会が開催され、多くの選手と観客を集めました。
欧米から輸入されたソリを使用し、山間のコースを滑走する迫力あるスポーツとして注目されました。
この大会は後の札幌冬季オリンピック開催への布石となり、地域の観光振興にも寄与。
現在も冬季競技の聖地の一つとして語り継がれています。
1938年
札幌市
ボブスレー
1984年
植村直己が北米・マッキンリー山の冬季単独登頂に成功(翌13日、下山中に消息を絶つ)。
1984年、冒険家の植村直己がマッキンリー山の冬季単独登頂に成功しました。
1984年2月12日、日本人冒険家・植村直己は北米最高峰マッキンリー山(デナリ)の冬季単独登頂に世界で初めて成功。
当時の気温はマイナス60℃にも達し、極度の寒さや吹雪を単独で乗り越えたことで大きな注目を集めました。
登頂後、翌13日に下山を開始しましたが、その後の消息は途絶え、行方不明となりました。
この未曾有の偉業は植村の名声を不動のものとし、冬山登山という過酷なチャレンジの象徴となりました。
その後も植村の失踪は謎のままで、山岳遭難の危険性が改めて注目されました。
1984年
植村直己
マッキンリー山
1994年
第17回冬季オリンピック、リレハンメル大会開催。2月27日まで。
1994年2月12日から27日まで、第17回冬季オリンピックがノルウェー・リレハンメルで開催されました。
リレハンメル大会は67か国から1,700名以上の選手が参加し、アルペンスキーやスピードスケートなど計61種目が実施。
ノルウェー国内での開催は1952年オスロ大会以来で、多くの地元観客が熱狂的に支持。
大会ではヨハン・オーロフ・コスがスピードスケートで世界記録を樹立するなど、幾つもの名場面が生まれました。
また、開会式では環境保護をテーマにした演出が話題となり、以降の大会でも環境配慮が重視されるきっかけとなりました。
閉会式では北欧らしい文化紹介が行われ、環境テーマは後続大会にも波及しました。
1994年
冬季オリンピック
リレハンメル大会
2月27日
2010年
第21回冬季オリンピックバンクーバー大会開幕。2月28日まで。
2010年、バンクーバーで第21回冬季オリンピックが開幕し、2月28日まで熱戦が繰り広げられた。
2010年2月12日、カナダ・バンクーバーで第21回冬季オリンピックが開会し、世界86か国以上から約2,600名の選手が参加しました。
開会式はBCプレイス・スタジアムで行われ、数万の観客と世界中の視聴者を魅了。
競技はスキー、スケート、アイスホッケーなど15競技86種目で実施され、数々の記録と感動のドラマが生まれました。
女子フィギュアスケートでは地元の代表選手がメダルを獲得し、大きな話題を呼びました。
環境に配慮したグリーンオリンピックの理念のもと、持続可能性を重視した運営が注目されました。
2010年
バンクーバー大会
2月28日
2010年
バンクーバーオリンピック開会式前のリュージュの公式練習中に、グルジアのノダル・クマリタシビリが事故により死亡。
2010年、バンクーバーオリンピックのリュージュ公式練習中にグルジアのノダル・クマリタシビリ選手が死亡する事故が発生。
開会式前日の2月12日、リッチモンド・オーバル近郊のリュージュトラックで公式練習が行われていました。
グルジア代表のノダル・クマリタシビリ選手は高速走行中にコースアウトし、高速でバンクの壁に衝突。
重体で病院に搬送されましたが、現地時間2月15日に帰らぬ人となりました。
リュージュ競技での死亡事故は初めてで、大会運営と安全対策への警鐘となりました。
事故を受けてリュージュやボブスレーなど滑走競技のコース設計見直しが進められました。
リュージュ
グルジア
ノダル・クマリタシビリ