慶長3年1月4日

慶長の役・蔚山城の戦い(一次):蔚山城で籠城中の加藤清正・浅野幸長らが、明・朝鮮軍による最後の攻撃を撃退。撤退を開始した明・朝鮮軍を援軍の毛利秀元らが追撃する。

慶長の役において蔚山城包囲戦で加藤清正らが明・朝鮮連合軍の総攻撃を退けた戦いの第一局面。
慶長の役(文禄・慶長の役)の一環として、1598年2月9日(慶長3年1月4日)、加藤清正や浅野幸長らの守備隊は蔚山城で籠城に入っていました。連合軍は城を総攻撃し、兵糧攻めと砲撃を繰り返しましたが、日本軍は巧妙な防衛戦術でこれを退けました。退却を決断した明・朝鮮軍は、毛利秀元らの援軍によって追撃を受け、多大な被害を出しながら撤退しました。この戦いは蔚山城の守備戦として名高く、日本側の防衛能力を示す象徴的な勝利とされています。戦況の流動性と各大名の連携が評価される重要な合戦の一つです。
1598年 慶長 1月4日 慶長の役 蔚山城の戦い 蔚山城 加藤清正 浅野幸長 朝鮮 毛利秀元
1861年

南北戦争: ジェファーソン・デイヴィスがアメリカ連合国の暫定大統領に指名。

アメリカ連合国が結成され、その暫定大統領としてジェファーソン・デイヴィスが選出された。
1861年2月9日、アメリカ南部諸州によって結成されたアメリカ連合国(CSA)は、暫定政府を組織しジェファーソン・デイヴィスを暫定大統領に指名しました。デイヴィスは元連邦上院議員で、政治経験と軍事経験を買われた指導者です。南北戦争の開戦直前に指名されたことで、南部側の統一指導体制が確立しました。CSA政府は綿花経済を基盤とし、奴隷制存続を掲げて北部連邦政府と対立を深めました。デイヴィス政権は戦時体制の構築を急ぎ、後の大規模な南北戦争への幕を開ける役割を果たしました。
1861年 南北戦争 ジェファーソン・デイヴィス アメリカ連合国