1631年

ロジャー・ウィリアムズがボストンの教会の牧師に着任。

宗教的寛容を主張したロジャー・ウィリアムズがボストン教会の牧師に就任。
ロジャー・ウィリアムズは宗教的寛容と信教の自由を主張したイギリス系移民の神学者です。1631年2月5日、ボストンの第一公会派教会で牧師に任命されました。彼はマサチューセッツ湾植民地当局と対立し、のちにロードアイランド植民地を設立しました。ロードアイランドでは宗教の自由が保証され、アメリカにおける多元主義の礎が築かれました。ウィリアムズの思想は後の米国憲法の信教の自由規定に影響を与えました。
1631年 ロジャー・ウィリアムズ ボストン
1920年

慶應義塾大学と早稲田大学が、大学令による日本初の私立大学として認可される。

慶應義塾大学と早稲田大学が同日に日本初の私立大学として認可を受けました。
1920年2月5日、大学令の改正により慶應義塾大学と早稲田大学が正式に私立大学として認可されました。 これにより、日本で初めて学校法人が設置する私立高等教育機関が誕生しました。 両大学とも明治期からの私塾としての歴史を持ち、これを機に近代大学としての制度的基盤を確立しました。 学術研究と自由な学風を重視する両校の発展は、その後の日本の高等教育に大きな影響を与えました。 現在も日本を代表する私立大学として多くの人材を輩出し続けています。
1920年 慶應義塾大学 早稲田大学
1950年

川崎競輪場で八百長騒ぎが契機に暴動に発展。約2万人が場内に乱入する騒ぎとなった。

八百長疑惑から暴動に発展し、約2万人が競輪場内に乱入した騒動。
1950年2月5日、川崎競輪場で金銭を巡る八百長疑惑が発覚し、観客の怒りを買いました。 騒ぎは暴動へとエスカレートし、約2万人が場内に乱入して施設を破壊しました。 警察との衝突も起こり、一時は競輪開催が困難になる事態となりました。 この事件は公営ギャンブルの信頼を揺るがし、競輪の運営体制や規制強化の契機となりました。 その後、安全対策や不正防止策が見直され、競輪の公正性向上が図られるきっかけとなりました。
1950年 川崎競輪場 八百長 暴動
1973年

渋谷駅のコインロッカーで嬰児の死体が発見される。以後、同様の事件が続発。(コインロッカーベイビー)

渋谷駅のコインロッカーで乳児の死体が発見され、社会に衝撃を与えた事件。
1973年2月5日、東京・渋谷駅構内のコインロッカーから乳児の遺体が発見されました。 発見された女児は生後間もない状態で、遺棄の手口は後の同様事件の先駆けとなりました。 メディア報道を通じて社会問題化し、『コインロッカーベイビー』という言葉が広まりました。 子どもを取り巻く福祉制度や母子保健の重要性が見直され、児童虐待防止策や相談窓口の整備が進められました。 以来、全国で同種の遺棄事件が続発し、社会的議論を呼ぶ契機となった悲劇的事件です。
1973年 渋谷駅 コインロッカー コインロッカーベイビー