慶長元年12月19日

日本二十六聖人: 豊臣秀吉の命により、長崎でカトリック信徒26名が処刑される。

豊臣秀吉の命で長崎にて26名のカトリック信徒が殉教した悲劇。
1597年、豊臣秀吉はキリスト教の拡大を警戒し、長崎で宣教師や日本人洗礼者を含む26名の信徒に対し十字架刑を執行しました。これらの殉教者はのちに日本二十六聖人として列聖され、キリスト教弾圧の象徴とされます。表向きは異文化排除の政策ですが、信教の自由や人権の問題を浮き彫りにしました。この処刑は当時の日本とヨーロッパの宗教関係に深い影響を与えました。事件後も長崎には記念碑や教会が建立され、巡礼地として多くの人々が訪れています。
1597年 慶長 12月19日 日本二十六聖人 豊臣秀吉 長崎
1649年

清教徒革命: スコットランド議会が革命に反対し、フランスに亡命中のチャールズ2世をスコットランド王及びイングランド王に推戴すると宣言。

清教徒革命下のスコットランド議会がチャールズ2世を王として推戴した宣言。
父チャールズ1世の処刑後、イングランドでは清教徒革命が進展し共和政が樹立されました。これに対しスコットランド議会は革命勢力に反対し、亡命中のチャールズ2世をスコットランド王およびイングランド王として認めることを宣言しました。この宣言はイングランド内戦の再燃を招き、政治的混乱を深刻化させました。王党派はスコットランドの支持を得て反革命活動を再編成し、イングランド侵攻へと動き出します。この動きは後の再王政復古につながる政治的転換期を形成しました。
1649年 清教徒革命 フランス チャールズ2世
1778年

サウスカロライナ州が連合規約の初批准州となる。

サウスカロライナ州が全13州で最初に連合規約を批准した歴史的重要事象。
アメリカ合衆国初期の憲法的枠組みである連合規約は、全州の批准を経て発効しました。1778年2月5日、サウスカロライナ州は他に先駆けて連合規約を批准し、国としての統一的政府運営に向けて重要な役割を果たしました。批准により戦時中の外交交渉や資金調達が円滑化し、独立戦争遂行に寄与しました。この批准により他州への圧力が高まり、残る州も続々と賛同しました。連合規約の下での権限配分はのちの合衆国憲法制定の議論を促進しました。
1778年 サウスカロライナ州 連合規約
1818年

ジャン=バティスト・ベルナトットがカール14世ヨハンとしてスウェーデン=ノルウェー王に即位。

元フランス元帥ベルナトットがカール14世ヨハンとしてスウェーデン=ノルウェー王に即位。
フランス革命戦争で活躍したジャン=バティスト・ベルナトットは、1810年にスウェーデン国王チャールズ13世の後継者に指名されました。1818年2月5日、ベルナトットはカール14世ヨハンとしてスウェーデン=ノルウェー同君連合王に即位しました。彼の統治は軍政改革や経済振興を軸に進められ、近代的な行政システムとインフラ整備が推進されました。その結果、スウェーデンとノルウェーの統合的な安定化が図られました。
1818年 カール14世ヨハン スウェーデン=ノルウェー
1885年

ベルリン会議で、ベルギーが領有を主張していたコンゴを、ベルギー王レオポルド2世の私領地(コンゴ自由国)として扱うことを決定。

ベルリン会議でコンゴ自由国がレオポルド2世の私領とされた決定。
1885年2月5日、アフリカ分割を協議したベルリン会議で、コンゴ地域をベルギー王レオポルド2世の私領地「コンゴ自由国」とする決定が承認されました。表向きは文明化と奴隷廃止が目的とされましたが、実態は厳しい搾取と虐待が横行しました。この政策は国際的な批判を呼び、後の植民地支配の倫理的問題を浮き彫りにしました。コンゴ自由国の悲惨な実態は国際人権運動の契機ともなり、植民地主義の負の側面を象徴しています。この決定はアフリカ分割時代の帝国主義的支配を象徴し、その後の歴史に深い影響を残しました。
1885年 ベルリン会議 ベルギー レオポルド2世 コンゴ自由国
1913年

護憲運動・大正政変: 政友会と国民党が桂内閣の不信任案提出、尾崎行雄が弾劾演説を行う。

大正初期、日本の政局を揺るがした護憲運動の一環として政友会と国民党が桂内閣不信任案を提出し、尾崎行雄が熱弁を振るいました。
大正2年(1913年)2月5日、政友会と国民党は桂太郎内閣に対し不信任案を提出しました。 尾崎行雄は国会で弾劾演説を行い、政府の専制的運営を厳しく批判しました。 この動きは護憲運動の中心的な出来事であり、議会政治の在り方を問う大正政変の一翼を担いました。 納得のいかない政治手法に対し市民の支持を集め、政党政治の重要性を示す機会となりました。 最終的に桂内閣は退陣に追い込まれ、日本の政党政治は新たな局面を迎えました。
1913年 護憲運動 大正政変 政友会 国民党 桂内閣 尾崎行雄
1917年

メキシコの現行の憲法が採択。

メキシコ革命後、新憲法が採択され、土地改革や労働権、教育の世俗化などの諸制度が盛り込まれました。
1917年2月5日、メキシコ革命を経た国家再建の一環として、憲法制定会議が開かれ新憲法が採択されました。 この憲法には大土地所有制の制限や農地改革、労働者の権利保障、教育の世俗化などが明記され、現行憲法として現在に至ります。 社会的不平等の是正と民主主義の確立を目指し、カリスマ的指導者らの指導の下で制定されました。 採択後、各地での法整備が進められ、メキシコの政治・社会改革に大きな影響を与えました。 この憲法は世界でも当時最も革新的な憲法と評され、多くの国の立憲運動に影響を与えました。
1917年 メキシコ 現行の憲法
1923年

国際刑事警察機構(インターポール)設立。

国際的な警察協力を目的に、国際刑事警察機構(インターポール)が設立されました。
1923年2月5日、加盟国間の犯罪捜査協力を推進するために国際刑事警察機構(ICPO-Interpol)が設立されました。 本部は当初オーストリアのウィーンに置かれ、後にフランスのリヨンへ移転しました。 設立当初はヨーロッパ中心の組織でしたが、やがて世界各地の警察組織が加盟しました。 Interpolは国際手配書の発行や犯罪情報の共有、会議や訓練を通じて越境犯罪の摘発を支援します。 現在では190以上の国と地域が加盟し、世界最大級の警察機関となっています。
1923年 国際刑事警察機構