慶長9年12月16日
慶長地震が発生、津波被害。
慶長地震に伴う大津波が発生し、被災地に甚大な被害をもたらした災害。
1605年2月3日(慶長9年12月16日)、東海道から紀伊水道にかけて大規模な地震が発生しました。
地震動による被害に加え、津波が沿岸部を襲い多くの集落が壊滅的な被害を受けました。
詳細な被害報告は古文書に残されており、漁村や農村が壊滅状態となった記録があります。
当時の日本は地震と津波の防災知識が乏しく、復興には長い年月を要しました。
この地震は慶長地震と呼ばれ、歴史的防災研究において重要な資料となっています。
1605年
慶長
12月16日
慶長地震
津波
1922年
現在の新潟県糸魚川市勝山地区で雪崩が発生。列車が巻き込まれ死者90人、負傷者40名。(北陸線列車雪崩直撃事故)
1922年、新潟県糸魚川市勝山地区で発生した雪崩が列車を直撃し、90人が死亡しました。
北陸線を走行中の列車が大規模な雪崩に巻き込まれたことで発生した事故です。多数の乗客と乗務員が凍死や圧死により命を落とし、負傷者も40名に上りました。事故後、冬期の鉄道運行における雪害対策の強化が求められるようになりました。現場では除雪設備の改善や防雪トンネル建設などインフラ整備が進められました。当時の豪雪地域における公共交通の脆弱性を浮き彫りにした悲劇的な事故です。
1922年
新潟県
糸魚川市
北陸線列車雪崩直撃事故
1931年
ホークスベイ地震。ニュージーランド史上最大の被害を出す。258人が死亡。
1931年にニュージーランド北島のホークスベイで史上最大となる地震が発生し、258人が死亡しました。
ホークスベイ地震(通称ネイピア地震)はマグニチュード7.8と推定される大規模地震です。地震発生直後に津波や火災が発生し、都市部が壊滅的な被害を受けました。建物の倒壊による死者は258人に上り、多数の負傷者と避難者が発生しました。地震後の復興計画では耐震設計の強化や都市再開発が進められ、ネイピアは芸術的な建物で再建されました。ニュージーランドの防災対策や建築基準の改定につながった重要な教訓となりました。
1931年
ニュージーランド
1959年
アイオワ州でロックンローラー・バディ・ホリー、リッチー・ヴァレンス、ビッグ・ボッパーが乗った小型飛行機が墜落し、パイロットを含めた全員が死亡。ドン・マクリーンが「アメリカン・パイ」の中でこの事故を「音楽が死んだ日」と歌う。
ロックンロールの英雄バディ・ホリーら3人を乗せた飛行機が墜落し、「音楽が死んだ日」と呼ばれる悲劇が起きました。
1959年2月3日、アイオワ州クリアレイクを離陸した小型チャーター機が墜落し、搭乗していたバディ・ホリー、リッチー・ヴァレンス、ビッグ・ボッパーの3人とパイロット全員が死亡しました。
当時人気絶頂だった彼らの突然の死は世界中に衝撃を与え、ロックンロール界に大きな穴を開けました。
この事故は後にドン・マクリーンの「アメリカン・パイ」の歌詞中で「音楽が死んだ日」として象徴的に歌われました。
事故原因は悪天候とパイロットの判断ミスとされ、音楽史に残る最も悲劇的な出来事の一つとなっています。
犠牲となった3人は現在でもロックの殿堂入りを果たし、その功績が語り継がれています。
1959年
アイオワ州
バディ・ホリー
リッチー・ヴァレンス
ビッグ・ボッパー
英語版
ドン・マクリーン
アメリカン・パイ
音楽が死んだ日
1996年
中国雲南省麗江でM7.0の麗江地震発生。死者309人、負傷者17,057人(内重傷者4,070人)、家を失った人18万人の被害。
1996年2月3日、中国雲南省麗江付近でマグニチュード7.0の地震が発生し、多数の死傷者と大規模な家屋被害をもたらしました。
1996年2月3日午後5時26分(現地時間)、中国雲南省麗江付近でマグニチュード7.0の強い地震が発生しました。
揺れは麗江市街や周辺の山間部にまで及び、多数の建物倒壊や土砂崩れを引き起こしました。
公式発表では死者309人、負傷者17,057人(うち重傷者4,070人)を記録し、約18万人が住居を失いました。
とりわけ世界遺産登録前の麗江古城でも被害が深刻で、復興には国内外からの支援が集まりました。
この震災を契機に、地域の耐震補強と防災意識の向上が図られました。
1996年
中国
雲南省
麗江地震
1998年
アメリカ海兵隊のパイロットがイタリア・カヴァレーゼのスキー場でリフトのケーブルをくぐりぬけて飛行しようとし、ケーブルを切断、20人を死亡させる。(チェルミス・ロープウェイ切断事件)
1998年2月3日、米海兵隊パイロットがイタリアのスキー場でリフトケーブルを切断し、20人が死亡した重大事故です。
1998年2月3日、アメリカ海兵隊所属のF-104戦闘機パイロットが訓練飛行中にイタリア北部カヴァレーゼのスキー場上空を低空飛行しました。
パイロットはリフトケーブルをくぐり抜けようとした際、ケーブルに接触して切断し、倒壊したケーブルやリフト構造物の破片がスキー客に降りかかりました。
この事故により20人が死亡、多数が重軽傷を負う惨事となりました。
事件は国際的な非難を招き、米軍の訓練飛行に対する飛行高度規制や飛行経路管理の強化が進められました。
民間地域上空での軍用機訓練の安全確保が大きく見直される契機となりました。
1998年
アメリカ海兵隊
イタリア
カヴァレーゼ
チェルミス・ロープウェイ切断事件