619年

カンタベリーのラウレンティウス

カンタベリー大司教

カンタベリー大司教
カンタベリー大司教として初期イングランド教会の基盤を築いた宗教指導者。
6世紀初頭、イングランド教会の礎を築いたキリスト教聖職者。604年にローマで司教に叙され、カンタベリーへ渡航。 アウグスティヌスの後任としてカンタベリー大司教に就任し、教区の再編や宣教活動を指揮。 異教だったアングロサクソン人の改宗に尽力し、多くの修道院や教会の設立を支援。 同時代の文献『イングランド教会史』にも名が記され、教会史上重要な人物とされる。 619年にその生涯を閉じたが、その業績はのちのキリスト教布教に大きな影響を与えた。
619年 カンタベリーのラウレンティウス カンタベリー大司教
仁寿2年12月22日

小野篁

(802 - 853)

歌人

歌人
平安時代前期の歌人・貴族官人で、中国詩文と和歌に秀でた文人。
平安時代前期の貴族で、嵯峨・淳和朝に仕えた中国詩文と和歌に秀でた文人。 漢詩では唐風の作品を多く残し、『古今和歌集』などに歌が採録される。 また伝説では閻魔大王の使いとして冥界を訪れたとされ、数々の逸話が民間に伝わる。 官人としては参議・左大臣などを歴任し、朝廷内で高い地位を占めた。 その奇行や才気あふれる言動は、後世の物語や能楽作品にも題材として取り上げられている。
853年 仁寿 12月22日 小野篁 歌人 802年
1014年

スヴェン1世

(960 - 1014)

デンマーク王

デンマーク王
バイキングの王としてデンマークと周辺地域で勢力を拡大した君主。
960年生まれ。 父ハーラル1世の死後、デンマーク王位を継承し勢力を拡大。 ノルウェーやイングランド沿岸への海賊襲撃を繰り返し、植民地化を推進。 1013年にはイングランド侵攻に成功し、一時的に支配を確立。 その死後、息子クヌート大王によって帝国の拡大が継続された。
1014年 スヴェン1世 デンマーク王 960年
1116年

カールマーン

(1070 - 1116)

ハンガリー王

ハンガリー王
中世ハンガリー王国を統治し、学問と法整備を奨励した王。
1070年頃生まれ。 1095年に兄弟との内紛を制してハンガリー王に即位。 教会や学問を保護し、学者を宮廷に迎えるなど文化振興を推進。 厳格な法整備を行い、国家の統治基盤を強化。 1116年に崩御し、その治世は「学者王」と称賛された。
1116年 カールマーン ハンガリー王 1070年
永久4年12月30日

源基綱

(1049 - 1117)

平安時代の公卿

平安時代の公卿
平安時代の公卿として院政期の政治を支えた貴族。
1049年生まれ。 源氏の有力支族として成長し、参議や権大納言など主要な官職を歴任。 摂関家や法皇の側近として政治の最前線で活躍。 荘園管理や朝廷儀礼を統括し、武士と貴族の関係調整に努めた。 1117年に薨去し、その実直な統治姿勢と文武両道の精神は高く評価された。
1117年 永久 12月30日 源基綱 平安時代 公卿 1049年
暦仁元年12月28日

九条任子

(1173 - 1239)

後鳥羽天皇の中宮

後鳥羽天皇の中宮
後鳥羽天皇の中宮として院政期の宮廷に影響力を持った皇族女性。
1173年生まれ。 九条家出身の女性皇族として後鳥羽天皇の中宮に立后。 宮廷文化の中心人物として歌学や書道を奨励。 院政期の政治にも一定の影響力を有し、朝廷行事で重要な役割を果たした。 1239年に崩御し、その華麗な宮廷生活は『玉葉』などの史料に刻まれている。
1239年 暦仁 12月28日 九条任子 後鳥羽天皇 中宮 1173年
1399年

ジョン・オブ・ゴーント

(1340 - 1399)

ランカスター公

ランカスター公
ランカスター公としてイングランド政界で大きな権勢を振るった貴族。
1340年生まれ、イングランド王エドワード3世の三男として誕生。 リチャード2世の摂政を務め、政治的実権を掌握。 フランスやスペイン貴族と姻戚関係を結び、国際的影響力を拡大。 文学や学問の庇護者としても知られ、宮廷文化の発展に寄与。 その子孫は後のランカスター朝を興し、イングランド内戦に深く関与した。
1399年 ジョン・オブ・ゴーント 1340年
応永35年1月18日

足利義持

(1386 - 1428)

室町幕府第4代将軍

室町幕府第4代将軍
室町幕府第4代将軍として幕政の安定に尽力した武将。
1386年生まれ。 足利義満の子として将軍権を継承し、幕政を主管。 応永の外寇対応や朝鮮との国交回復交渉にあたる。 守護大名の統制強化を図り、幕府権威の維持に努めた。 1428年に将軍職を嫡男に譲り、間もなく没し、室町幕府の土台を支えた。
1428年 応永 1月18日 足利義持 室町幕府 将軍 1386年
1451年

ムラト2世

(1404 - 1451)

第6代オスマン帝国スルタン

第6代オスマン帝国スルタン
オスマン帝国第6代スルタンとして領土拡大を推進した君主。
1404年生まれ。 若くしてスルタンに即位し、バルカン半島での遠征を主導。 複数回のコンスタンティノープル包囲戦を実施し、領土拡大を図る。 内政では官僚制度や法令の整備に努め、国力を強化。 一時退位後も再度政権を掌握し、1451年に崩御した。
1451年 ムラト2世 オスマン帝国 スルタン 1404年
1468年

ヨハネス・グーテンベルク

金細工師、印刷業者

金細工師 印刷業者
活版印刷術を発明し、書物出版の革命をもたらした発明家。
15世紀前半、ドイツ・マインツの金細工師として生まれる。 1440年代に可動活字を用いた印刷機を開発。 1450年頃の『グーテンベルク聖書』出版により書物の大量生産を実現。 活版印刷はルネサンスや宗教改革の思想普及に大きく寄与。 1468年に没したが、その技術革新は世界の知識伝播を一変させた。
1468年 ヨハネス・グーテンベルク 金細工師 印刷
元亀元年1月1日

村上義清

(1501 - 1573)

戦国大名

戦国大名
信濃国を拠点に活動した戦国大名。武田信玄や上杉謙信と抗争した武将。
村上義清(1501-1573)は、信濃国の豪族として台頭した戦国大名。1548年の上田原の戦いで武田信玄を破り、一時的に勢力を誇った。 その後、上杉謙信と同盟を結び甲斐・信濃地方で抗争を続けた。 時代の転機とともに領地を失い、最終的には越後を離れて隠棲。晩年を迎えた。 武勇と戦術に優れた武将として知られ、群雄割拠の時代を象徴する存在だった。 1573年に没し、その生涯を閉じた。
1573年 元亀 1月1日 村上義清 戦国大名 1501年
1751年

ムザッファル・ジャング

ニザーム藩王

ニザーム藩王
18世紀中頃、デカン地方のニザーム藩王として短期間統治した人物。
ムガル帝国の権威を背景に、デカン地方のニザーム藩王位を継承した。 在位は1750年から1751年と短く、国内の権力争いの中で急逝した。 生年や幼少期の詳細は不明で、執権前の活動も多くが伝わっていない。 名前は『勝利をもたらす者』を意味し、その名にちなみ支持を集めた。 1751年に急逝し、短命の治世を終えた。
1751年 ムザッファル・ジャング ニザーム藩王