天正8年1月17日
三木合戦(三木の干殺し)が終結。羽柴秀吉が三木城を陥落させる。
1580年2月2日、羽柴秀吉が三木城を陥落させ、いわゆる『三木の干殺し』による三木合戦が終結しました。
秀吉の包囲戦術と兵糧攻めが決定打となった戦いです。
三木合戦は織田信長の家臣であった羽柴秀吉が、中国地方攻略の一環として行った包囲戦です。
三木城の別所長治・重治父子が籠城しましたが、兵糧攻めと持久戦により城内は疲弊し、2月2日に城は落城しました。
この戦法は『干殺し』とも呼ばれ、城兵は飢餓に追い込まれました。
戦いの終結により、中国方面の制圧が進み、秀吉の勢力は急速に拡大しました。
この勝利は後の全国統一への重要な足がかりとなりました。
1580年
天正
1月17日
三木合戦
羽柴秀吉
三木城